古代ロマンの試み 「伊豫国宇摩郡邪馬台国説 こと始め」 偽終止 3/5 追記 再掲
- 2020/05/07, 05/08 05/10 2021/08/23 補追 2023/05/10, 11
ページ割りの都合で、末羅からの行程図をここに載せます。
*伊豫路の旅
旅路は、宇摩で果てるのでなく、さらに東方に続くのですが、当時は、伊吹島から備讃瀬戸に出る経路が、明石/鳴門海峡の難所に阻まれるため、これを迂回して陸路に転じ、今日の阿波池田へ山越えした後、吉野川沿いに進んだと見ます。あるいは、深く刻まれた吉野川河岸から川船で通ったかも知れません。いずれにしろ、中央構造線をたどる「径」は、細くても、大きくうねることはなく、容易にたどれたはずです。
*黎明期の東西交易要地
最終的に、鳴門海峡の東方に降り立つので、全体を通して、難所のない、つまり、遅くても確実な瀬戸内海航路となります。各地の商人には、少ない人材、機材と短い日時で見返りの得られる、確実な商いが続けられます。
と言うことで、宇摩国は、荷船が瀬戸内海を往来できなかった時代、九州北部と淀川水系を繋ぐ要地であり、物資の集散地であったように思います。
世上、阿波国を流れる「吉野川」の河口から、真東を河口とするもう一つの「吉野川」は、古来から、一つの河川として親しまれていたとする私見があり、或いは、太古、中央構造線の路は、河内湾を越えて、紀伊半島に続いていたかもしれないのですが、途方の調べられるものではないので、一応、ここが終着としておきます、
因みに、紀伊半島を東に進むと、いずれかの地で、中央構造線の径を離れて、奈良盆地に入ることが可能ですから、常識的には、奈良盆地に入る最南の「径」として、太古以来、通用していたことと思われます。
後年、宇摩の背後の山地に豊富に自生する楮(こうぞ)、三叉(みつまた)を活用した製紙業が地域産業となったことも、付記しておきます。
*完稿宣言
か細い論理の鎖ですが、平和なオチが付いたので、ここにお披露目します。
*図版の著作権確認 [重要]
添付図で、愛媛県の地形図は、特に著作権の主張されない公有の地形図から作成したものです。下手くそな馬の絵は、自作です。後は、GoogleMapの3Dビューで生成した架空視点展望ですが、利用条件に従い、著作権情報を残し、最低限の注記を付記しています。
一部の篤実なかたを除き、著作権に関するコンプライアンス意識が低い論者が多く、無造作な盗用が目立つので、念のため書き残しています。今回の例でも、Googleの設定している制限は緩やかなものですが、簡単な付記を除き原図「無改造」引用が原則であり、勿論、権利表示は隠さないことが必須条件です。
ここでは、PDF出力を介してJPGファイルにし、文字書き込みなどしているものです。おわかりのように、本来、大小随意ですので、興味のある諸兄は、GoogleMapを試したらいかがでしょうか。
画面表示のため横1280ドット程度に縮小したので、細部は見えにくくなっていますが、提供された図版で見て取れる適切な遠近感は、遠景のかすみ具合も含め絶妙で、本小論が追求する現実的世界観を支持するものです。
なお、ここに示された架空視点には、昨今多用される精密地図の空々しさはなく、当時識者の世界観、近年言われる空間認識を想起させるものと見ていますので、時代錯誤の非難は、ご勘弁いただきたいのです。
*遠すぎる楽土
GoogleMapの助けを得て、九州北部末羅から宇摩の想定経路を計測しましたが、400㌔㍍を越え五千地域里程度(概数)のようです。いずれにしろ、経路はあくまで推定であり、海上部分は測量できず、数字に大した意義はないのです。
難路を避けて順当な日数計算として、船待ち、潮待ちを見込んで、不彌国から「水行二十日」に押し込めても、郡から倭まで万二千地域里を、かなりはみ出します。 これは、この場では説明しきれず、別途談義します。このあたりは、日頃批判する各地説と同断で、慚愧の至りですが、遠隔地比定の宿命とご理解いただきたい。
*謝辞
本小論の推進にあたり、合田洋一氏の提唱された、西条付近を含めた越智国を往時の地域政治経済中心とみた諸論考を参考にしましたが、敬意を払いつつも過度に依存しないように気をつけたので、この場で謝辞を述べるに止めます。また、各種郷土史事項は、現地常識と理解いただきたいのです。
論文ではないので、細々とした出典は省略します。
*仮泊まり
なお、全体の筆致、特に、宇摩考察でおわかりのように、当記事は、筆者の生まれ育った地を、半世紀を隔てて回想して書き出したものです。
他の記事では、諸兄の考察を我田引水と批判していますが、筆者とて、生まれ育った地への愛郷心は持ち合わせているのでつい甘くなっているのです。
と言うことで、懸案を残しつつ、一旦締めくくります。
未完
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