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2023年6月12日 (月)

新・私の本棚 石井 幸隆 季刊「邪馬台国」143号「古代の海路を行く」

「離島の考古学-日本の古層を探る旅」季刊「邪馬台国」143号 令和五(2023)年六月一日
私の見立て★★★★☆ 好記事 瑕瑾多々  2023/06/12~16

◯始めに
 待望の新刊であるが、昨年の142号発刊より2カ月程度先行していることもあって、また、「邪馬台国の会」サイトに、本日現在、なにも告知がないのもあって、一週間以上、刊行を見逃してしまった。と言う事もあって、ここでは、新刊告知をかねている。

*瑕瑾
 大小取り混ぜて、氏の玉稿に散在する瑕瑾を取り上げさせていただく。
*無法な「海路」
 いきなりタイトルで躓いているが、氏は、国内古代史の研究者であって、中国資料には疎(うと)いと見えるので用語が的外れでも仕方ないのだろうか。少なくとも、中国古代史書に「海路」はあり得ず、氏の圏外での無学を吐露していると言われそうである。
*史料談義
 本文冒頭の『「古事記」の原本は存在(現存の意味か)しない』とは、古代史分野に蔓延(はびこ)る一部野次馬論者の無責任な放言に似ていて、定例では、この後に「原本を読んだものも現存しない」と続くが、幸い、氏は、そのような放言の泥沼を辛うじて避けているつもりのようであろう。
 通常は、史料批判の劈頭では、現存最古の写本論義や数種の写本間の比較を語るはず(語らなければならない)であるが、氏は、いきなり正体不明の「写本」とだれが物したか分からない現代語訳を持ち出して、これに基づいて、氏の持論を開示していくのである。これでは、読者には、資料の確認ができない。
 氏は、「写本」の現物を確認してなのか、いずれかの解説書に依存しているのかも、語っていない。何とも困ったものである。
 これは、史学論文の基本の基本であるので、編集部が何の校閲もしていないのが心配である。
 以上は、恐らく、氏の追随した「お手本」がお粗末なのだろうが、お手本を真似をするかしないかは、氏の見識の問題と思うので、ここに指摘する。

 なお、氏は「古事記」に拘泥しているが、倭女王が魏に遣使したのは、日本書紀「神功紀」補注に記載されているので、一言触れるべきと思われる。

*「九州」談義

 「九州」は、中国古典書で言う天下全体に由来しているとの説が有力であるから、これも、一言触れるべきと思われる。

*船越幻想~いやしがたい迷妄
 本稿で重大なのは、「船越幻想」の蔓延である。氏は、何気なく、船を担(にな)って、つまり、人力で担(かつ)いで陸越えしたと言うが、そんなことができるものでないのは明らかである。反論があるなら、現地で実験/実証して頂きたいものである。但し、寄って集(たか)って、一回実行できたから、当時実施されていたと実証できたなどと、こじつけずに、そのような難業・苦行が、長年に亘り、地域の稼業として持続できるかどうかということである。せめて、丸太を転がした上を、大勢で曳いて滑らせたというものではないか。

 そもそもも、手漕ぎで渡海すると言っても、対馬界隈は、強靱な、つまり、骨太でずっしり重い船体でないと運行できないので、「船」と言っても、総重量の大半は、船体の自重(じじゅう)なのである。水分をたっぷり吸った船を、寄って集(たか)って担(かつ)いで陸(おか)越えしたとは、三世紀の古代社会に対して何か幻想を抱いているものと見えるが、だれも、覚ましてくれないようなので、ここに謹んで、幻想と申し上げる。いや、この地以外でも、荷船を担いで陸(おか)越えしたという幻想は、揃って早く「殿堂」入り、退場頂きたいものである。

*持続可能な事業形態
 当時、陸の向こうにも荷船と漕ぎ手は十分にあったから、陸を越えて運ぶのは、荷下ろしして小分けした積み荷だけで良いのである。
 小分けした積み荷なら、寄って集って、運べば良いのであり、担おうが、背負おうが、勝手にすれば良いのである。もともと、手漕ぎ船の積み荷は限られるので、人海戦術と言っても、知れているのである。と言うことで、向こう側で、船を仕立て出港すれば、船体が痛むこともなく、また、住民を酷使することもなく、持続可能である。いや、漕ぎ手すら、ここから、知り尽くした経路の帰り船を運航するのが常道であり、あえて陸を越えるのは、大変、大変非効率的である。
 このあたり、氏は、具体的な現地地形図まで付けて、対馬浅茅湾界隈の「船越」を語っているが、行程の「高低」は語っていないので、当世流行りの架空視点になっているのではないかと危惧される。この際に要求される労力は、どの程度の高みを越えるかで決定するのである。
 ここは、倭人伝で、『街道でなくまるで「禽鹿径」(みち)である』と言われるように、手狭で、上り下りのきつい連絡径(みち)、つまり、ぬけみち同然の未整備状態なので、荷馬も台車も使えず、大勢で担ぎ渡りしたと見えるのである。
 氏が、この区間を、大勢で船体ごと担いで渡ったという理由が、一段と不明である。何か、大量の物証が有るのであろうか。

*「ロマンティック」、「ロマンス」の(良くある)誤解~余談談義
 氏は、欧州系の話題に疎(うと)いらしく、ローマ談義の余談に「ロマンティック」、「ロマンス」の誤解が飛び出して、困惑する。どちらも、欧州の中世騎士道談義について回るのであり、男女の恋愛には全く関係無いのである。よく調べて頂きたいものである。
 因みに、19世紀オーストリアのクラシック音楽の大家であるアントン・ブルックナーには、”Romantishe”(ドイツ語)の「愛称」が付いた大作交響曲があるが、日本で、なぜか英訳を介して「ロマンティック」と通称されたため、随分誤解されているようである。あるいは、ドイツには、「ロマンティック」街道(Romantische Straße)と親しまれている観光名所があるが、これも、中世を思わせる街道という趣旨であり、通称のために随分誤解されているようである。氏も、こうした誤解に染まっているようであるが、ここに言及するには、ちゃんと語源を検証して欲しかったものである。誤解の蔓延に手を貸しては、氏の名声が廃(すた)るというものである。
 因みに、氏ほど。世上の信頼を集めている論者であれば、責任上、「Romantic」は、ローマ帝国と無関係とする有力な意見があることも、考慮すべきである。
 「専門分野」を離れるとその「離れた距離の自乗に比例して誤解の可能性が高まる」ものである。ご自愛いただきたい。

*AIIDA談義~余談談義
 後出の「アイーダ」談義も的外れである。
 提起されたAiidaは、イタリア19世紀の大作曲家ジュゼッペ・ヴェルディが古代エジプトを舞台に描いたオペラのタイトルロール(題名役)であり、実は、敵国エチオピアの王女が、正体を隠して虜になっていたのだが、最後は自害する薄幸の人なのである。
 悲劇の主人公にあやかったのでは、あまり元気が出ないと思うのだが、Aiidaをアルファベットで書くと、船名列記のトップに来るので命名されたようである。現に、大抵の百科事典で、Aiida/アイーダは、冒頭に出て来るので、氏も、ちょっと目をやれば、オペラ歌手/プリマドンナのことでないことはわかったはずである。
 それにしても、ここは、氏の博識をひけらかす場所ではないのである。

*離島談義~「要路」の島嶼国家と離島
 さらに言うなら、厳しく言うと、壱岐、対馬は「離島」などではなく、「倭人伝」によれば、両島は、大海に連なる州島、流れに浮かぶ「中の島」であり、朝鮮半島に当然のごとく繋がっていた交通の「要路」だったと思われる。見方によっては、一時期、「一大国」は、地域の中心であり、それこそ「従横」に巡らされた影響力を持っていたとも見えるのである。但し、「倭人伝」は、郡から倭への行程」に専念していたので、「従横」と言っても、「横」は一切描かれていないのである。
 ついでに言うと、「倭人伝」の視点で言うと、伊都国の属する山島以外は、行程を外れた「辺境」、「離島」とされているので、「本州」も「四国」も、離島ということになるのである。万事、奴の時代のどの地域の視点を採用するかで、異なってくるのではないかと思われる。
 掲載誌から注文を付けられたにしろ、そのように明言された方が良かったと思うのである。
 因みに、壱岐、対馬が、最終的に福岡県を離れたのは、両島は、他に「離島」のない福岡県に重荷になるので、五島などの島嶼が多い長崎県に任せたと見えるのであるが、どうだろうか。氏ほどの見識であれば、そのような見解を耳にしたことは有るはずであるから、そうした視点から見た両島の行政区分について、一言あってしかるべきだろう。

*稼ぎ頭の保身策
 因みに、交易路での収益は、「国境」、つまり、倭・韓の境界での取り引きから生じるのであり、言うならば、対馬は、三世紀において、稼ぎ頭(がしら)だったはずである。倭の諸公は、対馬に心付けをはずんでも、競い合って売り込んだはずであり、そのためには、米俵を送り届けることも、それこそ、日常茶飯事あったはずである。もちろん、そんなことを、帯方郡に知られると、何が起きるか分からないので、「倭人伝」にあるような「食うに困ってます」との「泣き」を入れていると見えるのである。そうでなくても、豊富な海産物の乾物類を売りさばくことも多かったはずである。 

*まとめ
 というように、つまらない瑕瑾がゴロゴロ転がっていて、しかも、肝心の「船越」談義が、一種与太話になっているのは、まことに勿体ないことである。
 氏は、既に、社会的な地位を極めて久しいので、ここに書いたような不快な直言を耳にしていなかったのだろうが、それは、氏に対して失礼と思うので、率直な苦言を呈するものである。

以上

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