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2023年6月26日 (月)

新・私の本棚 張 明澄 季刊「邪馬台国」第12号 道里行程論 新解 5/9

「一中国人の見た邪馬台国論争」 好評連載第二回 梓書院 1982年5月刊
 私の見立て ★★★★☆ 泥中の真珠再発見 2022/12/01 部分改訂 2023/01/15 2023/06/07, 12, 19, 21, 23~26

*「邪馬壹」行程の意義 残された課題
 伊都から南にあるとされている「邪馬壹」は「女王之所」であり、「結び目」を武断で断ち切らずに、丁寧に解きほぐすと、先行諸国と同列ではなく、道里行程記事の結語と見える。(改行した方が良い)
 と言うことで、郡太守の文書は、伊都で受領された時点で、倭王に届いたと見なされる。「郡使往來常所駐」とは、郡文書使は、伊都に文書送達した後、回答待ちで宿所待機したと見える。正始魏使なる漢使は、女王に拝謁した「蓋然性」が高いが、「邪馬壹」に参詣したかどうかは、不明である。尤も、漢使が蕃王治に参詣して蕃王と会見すること無しに交流した例は、班固「漢書」西域伝安息条に見え、不法ではない。

◯「張明澄」提言の意義~泥の中の真珠
*里程記事新たな一解~エレガントな解釈の提案
 以上、筋を通すと、道里行程記事は、最終的に「南至邪馬壹國女王之所」で完結し、全行程の集約として、要件が示され簡明至極、首尾一貫と見える。
 [道里] 都[都合]水行十日、陸行一月
 [官名] 官有伊支馬、次曰彌馬升、次曰彌馬獲支、次曰奴佳鞮
 [戸数] 可七萬餘戶
 その後、狗奴国記事に衍入して付け足している。
 [道里] 自郡至女王國萬二千餘里

*部分修正 2023/01/15
 当ブログ著者は、道里行程記事は、郡を発し倭に至る公式街道の明示であり、魏明帝が魏使を派遣する際に参照されたものと見ているので、世上の意見と大きく異なっていることを、再度確認する。
 その際、郡を発した文書使の目的地は、「倭人」の代表者である伊都国であり、道里行程は伊都で完結するとみている。

*行程の最終到着地再考~2023/06/21
 以前の解釈では、「邪馬壹国」が最終到達地と見たため、伊都国との間の道里・所要日数が欠落したと見えたが、修正後は、伊都国が最終目的地なので省略可能と見える。副次的な影響として、邪馬壹国の所在は広範囲に置けるので、 比定地諸説に対する排他的な判断は発生しないと言える。
 修正解釈では、郡から倭・伊都まで一路南下する行程が、明快である。続く、奴、不弥、投馬、邪馬壹を、揃って「餘旁國」に追いやってしまうのが、諸兄姉には、受入れがたいと思うが、本記事は、解釈の根拠を述べているので、ゴミ箱行きは、もう少し、ご辛抱頂きたいものである。
 文献考証の見地から、「都水行十日、陸行一月」は、郡を発し伊都に到る所要日数であるから、「都」の直前に改行を追加すべきである。

*「直線的解釈」に「とどめ」
 熟読すると、今回取り上げた張氏提言は、誠に明快、整然としていて、先行諸説の中で、実は、榎一雄師の「放射行程」説と軌を一にしていて、私見では、明解、堅固な論説と呼ぶに、あと一歩迄届いている。
 本稿では、当記事で直線的な解釈に「とどめ」が刺されているとみるが、これに賛同するかどうかは読者諸兄姉次第であり、拙稿は論点提示に留める。

                               未完

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