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2023年7月 4日 (火)

私の所感 古賀達也の洛中洛外日記 第3059話 『隋書』俀国伝に記された~都の位置情報 (1)  

古賀達也の洛中洛外日記 第3059話 ブログ記事 2023/07/02                     当ブログの初稿  2023/07/04

◯コメント
 本稿は、「多元的古代研究会」の会誌『多元』176号掲載の八木橋誠氏論稿に対する古田史学の会事務局長古賀達也氏の「賛成意見」と見える掲題ブログ記事に対する「賛成意見」である。あくまで、一介の素人の「所感」であるが、早いうちに表明しないと契機を逸するのではないかと懸念して、あえて、早合点覚悟で先走ったものである。
 八木橋誠氏論稿の引用は、二重引用になり、第三者著作物の取り扱いに疑義が生じることもあり、本稿からは割愛したが、あくまで、古賀達也氏の部分引用コメントに限定したものである。

*本題
 知る限り、古田武彦師の本件に関する最終的な見解は、『「隋書俀国伝」は、中国人によって、中国人のための史書として書かれているのであるから、中国史書として解釈すべきである』と解される「原則再認識」と見える。要するに、隋書編者が知るはずもない「現代日本人の地図情報や歴史認識、及び/又は『日本書紀』の記述」を参照した論義は、論外/圏外のものとして、まずは排除すべきであるとの真意と思うものである。
 つまり、当史料は、それ自体の明記事項と先行する史書、主として、「魏志倭人伝」の明記事項に基づいて、丁寧に解釈することを推奨しているものである。

*隋書俀国伝再確認
 「隋書俀国伝」は、冒頭部分で「三史」の重鎮である笵曄「後漢書」を根本として、格下の「魏志」は、一応書名に言及するだけで、内容はほぼ無視していて、「古云去樂浪郡境及帶方郡並一萬二千里,在會稽之東,與儋耳相近。」と、「古」として尊重する笵曄「後漢書」を、無造作に節略して述べているので、当該記事に限っての断定であるが、隋書編者の「存檔史料」が、時代混濁している感じである。
 さすがに「魏志倭人伝」の「存在」は承知しているはずであるが、厳密な史料批判無しに、新作記事を捏ね上げているので、後世東夷の無教養な素人読者にしてみると、編者の視線/視点が、有らぬ方にさまよっていて、いわば、宙に浮いていると見えて心許ないのだが、諸兄姉は、どう感じておられるのだろうか。

 その程度の史料認識に搭載された裴世清「訪俀所感」と見えるが、それにしても、本来原史料として最も尊重すべきである「魏志倭人伝」は、九州島外の地理を一切詳記していないこと、及び「隋書俀国伝」自体が、「竹斯国から東に行けば、最終的に海の見える崖(海岸)に達する」と書くだけで、以後、「浮海」するとも「渡海」するとも書いていない以上、「書かれていない」海津/海港で船に乗って長距離を移動することは、一切予定されていないと見るべきではないかと思われる。天子である隋帝楊廣(煬帝)は、この時期は、以前意気軒昂で在ったはずであるから、魏代以来疎遠であった俀国への往還記が、探索行の要点を漏らした粗雑なものと見たら、突っ返して、きつく叱責したはずである。

 それにしても、陳寿が、「魏志倭人伝」に於いて、ことさら「水行」なる行程用語を渡海行程に充てる書法を創始したことに気づけば、幸甚な先例として、「循海岸水行」と書くのは適法であるが、それも書かれていない。「魏志倭人伝」に一顧だにしていないことを重大に受け止めたい。

 もちのろん、論者が「魏志倭人伝」の道里行程記事に、「島外に出て、東方に遠出する」と書いていると、根拠無しに「決め込んで」いると、さすがに「つけるクスリが無い」のだが、論義は、「決め込み」を主張することで解決することは無いのである。

*頓首/死罪の弁
 古田武彦師が書かれたように、順当な文書解釈にたいして、あえて重大な異議を唱えるのであれば、正統な論拠に準拠した堅固な論証を提示する重大な義務がある」ことにご留意いただきたい。それでようやく異議が一人前と認められて審査に付されるのである。世に蔓延る「異議」僭越に対して、当然の指導とみる。

 以上の「難詰」は、「異議」を奉戴している史学界諸兄姉には、無礼極まりないと聞こえるかも知れないが、ことは、「論義」/「論証」の正道の確認であるので、ご容赦いただきたい。また、古賀達也氏に対して、頭越し/僭越の失礼であることも、よろしく御寛恕頂きたい。

以上

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コメント

ナカジマさん
 貴兄の見識には、かねがね私淑しているのですが、今回のようなご指摘をいただくと、ご鞭撻には深謝しますが、小生が、多年の研鑽を歴て、今回の表現に達したことが、無視されているようで、大変失望しています。
 小生がさらに、時時遡行して過去ログにダメ出ししていることを理解頂けていないのが、何より口惜しいものです。

1.小生が言いたいのは、陳寿が、規定/不可侵の万二千里の道里を改竄することなく、所要日数四十日(水行十日、陸行三十日)と昇華したことの筋道であり、一説として言い立てる価値有りと自負しているものです。
 わかる人にしかわからないので、言い立てないでいるのですが、小生は、PCプログラミング[local,privateなるscope]、特許権利化実務[先行技術文献の克服]、契約交渉[defintion】などの実戦に於いて、それぞれ修行と実績を得ていて、論理的な文書構築については、自信を持っている次第です。
 例えば、正史道里記事で、二史に「水行」が存在しなかったことは、認識頂いているのでしょうか。存在しなかったから、ここで創始されたと言っているのです。小生の見落としで、二史に先例が存在していたら、それこそ「独善」と断定していただいて結構です。
 ここまで線引きしないと、呉志や裴注を持ち出してくるヤジ馬がいて、紛らわしいので、峻別しているのです。

2.書きぶりが謙遜「しすぎ」で誤解されたのかも分かりませんが、「都」が、倭人伝のこの文脈で、「すべて」と解釈するのが合理的であることは、数年前から自力で検証しているものです。魏志蛮夷伝で、蕃王は「居所」がせいぜいで、「みやこ」などは罰当たりだと理解しなければ鳴らないという断定を含む論証過程に、具体的に反論頂くのなら歓迎しますが、冷やかしは御免被ります。
 小生同様に技術者上がりで、素人扱いされている古賀達也氏を含めて、国内古代史論では、「都」の多様な意義が見過ごされていて、「女王之所都」などと、罰当たりな解釈をしているとする「論理」は、理解いただけているでしょうか。
 結論には、そこに到る多大な改訂、はしご段が存在するのであり、貴兄のように、ハシゴを外して天辺だけを論じられたら、たまったものではないのです。
 本件は、知らされていなかった先例/先覚者の顔を立てただけで、厳密には、小生としては独創/創唱であり、その意味では、「独善」と攻撃されるでしょうが、孔子気取りなら、「徳不孤必有隣」(優れた論は孤立しているように見えても、必ずどこかに支持者があるものだ)と思っているものです。
 因みに、「エレガントな解答を求む」とは、小生若輩時に、数学専門誌が、懸賞問題に付していた要件であり、要するに、「問題」に対する「正解」のうち、「最も簡潔明快なものを首位にしていた」ことにちなんでいます。別に尊大でも独善でもないのです。

3.「古田師」「安本師」「白川師」などの先賢諸師は、「凡百の野次馬」と一線を劃すことを、個人的な私淑称号として表したものです。
  世に「先生」なる称号が蔓延っていますが、中国語口語で、「先生」は、大抵の場合、単なる「おっさん」、「だんな」なので、不謹慎としているのです。要するにしゃれっ気です。何しろ、何かで敬意を表しようとしているだけです。

 以上の背景を無視して、「独善」とおっしゃるのを見ると、これだけ丁寧に、言葉を選んで爪を隠しても、世に蔓延る「野次馬」と同様とこじつけられるのは残念です。排他的ではない、とか。だれでも錯誤はある、とか、字数をかけているのですがね。

 と言うことで、ここまで、一千五百餘ページを費やして、天に問い掛けているので、聞きかじりするのでなく、小論の論理の階梯をたどっていただき、筋道が曲がっていたら、ご指摘/ご啓示頂ければ幸いです。今回のようなご好評は、申し訳ありませんが、テニス前衛気取りの小生の背中にドライブサービスをぶつけられるようで、お気に障れば失礼としますが、ともあれ、ご辞退いたします。敵は、ネットの向こう側に、山ほどいるのです。

頓首頓首死罪死罪

>
>1,陳寿が、「魏志倭人伝」に於いて、ことさら「水行」なる行程用語を渡海行程に充てる書法を創始したことなどと述べたり、
>2,「女王之所都水行十日陸行一月」の都という文字を古賀達也氏の単なる思い付きを借りて皆(すべて)と読んで、水行十日陸行一月を帯方郡からの距離として、それをエレガントな解釈であるなどと。
>3、古田氏や安本氏の表示を古田師とか安本師などと変えて
>
> とうとう、何か独善的な傾向が進んで、泥沼に最近、入ってきたようですかねー??
以上の内容でよろしいでしょうか。
>ナカジマさん
>
>1,陳寿が、「魏志倭人伝」に於いて、ことさら「水行」なる行程用語を渡海行程に充てる書法を創始したことなどと述べたり、
>2,「女王之所都水行十日陸行一月」の都という文字を古賀達也氏の単なる思い付きを借りて皆(すべて)と読んで、水行十日陸行一月を帯方郡からの距離として、それをエレガントな解釈であるなどと。
>3、古田氏や安本氏の表示を古田師とか安本師などと変えて
>
> とうとう、何か独善的な傾向が進んで、泥沼に最近、入ってきたようですかねー??


1,陳寿が、「魏志倭人伝」に於いて、ことさら「水行」なる行程用語を渡海行程に充てる書法を創始したことなどと述べたり、
2,「女王之所都水行十日陸行一月」の都という文字を古賀達也氏の単なる思い付きを借りて皆(すべて)と読んで、水行十日陸行一月を帯方郡からの距離として、それをエレガントな解釈であるなどと。
3、古田氏や安本氏の表示を古田師とか安本師などと変えて

 とうとう、何か独善的な傾向が進んで、泥沼に最近、入ってきたようですかねー??

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