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2023年7月 3日 (月)

新・私の本棚 三木 太郎 『「太平御覧」所引「魏志倭国伝」について』 再掲 1/3

邪馬台国問題の論争点について  2019/02/17 補充 2022/02/18 05/30 2023/07/03
私の見立て ★★★★☆ 必見         「日本歴史」349号 (1977年6月)

*総論
 氏の論考は極めて篤実で、捨てがたい卓見ですが、採用史料の評価に同意できない点を含み、多大な論考の結論であっても、同意できないのです。今さら、ここに書評するのは、氏の古典的な論考ぶりが、今でも、同様の趣旨で継承されているからです。
 陽だまりの大樹にも実生の時代があったのであり、せめて、人の手の届く低木の時代に、このようなあからさまな傷を癒やしていれば、今日の巨木になって、大きな欠陥を人目にさらすことはなかったのにと、惜しまれるのです。まことにもったいない話です。

*不吉なタイトル
 その一端は、タイトルに表れていて「魏志倭国伝」は、氏の言う「通行本」(紹凞本)の小見出しに符合せず「倭人伝」書き出しにも整合しません。論文として、最低限の考査も加えられていない表れとみられてしまいます。

*「魏略」批判欠如~「翰苑」は論外
 通行本に並列の二史料の第一、「魏略」は現存せず、他史料に引用の佚文、つまり、ひ孫引き等された断片の集成に過ぎません。(衆知の如く、魏志第三十巻の巻末に裵松之によって補注された魚豢「魏略」「西戎伝」は、伝全体の良好な写本が挿入されていて、佚文などではなく、ここで言う「魏略」批判の対象外です
 つまり、無造作に「魏略」というものの、実態は、それぞれの断片の健康状態次第であり、いずれにしても、佚文である以上、「魏略」原本の忠実な再現かどうかは、大いに疑問です。(再現の筈がないと断言しているのです)

 特に、ここで提起されている倭人伝部分の依拠する「翰苑」の所引記事は、そもそも、「翰苑」 自体が、適切に編纂された史書などではなく、「倭」関連部分に限って言えば、明白な誤解、誤記を、非常に多く含み、編纂者の資料の取扱が、不正なものではないかと大いに疑われますが、本来、原本に囚われない自由な引用と見えるので、史学の視点で言うと、大変粗雑な引用と思われます。
 早い話が、野次馬の聞き書き同然で、支離滅裂だという事です。
 三木氏が、素人目にも明らかな難点を審議しないままに、氏の論拠とするのは、むしろ失態に近いものと見えます。

*「御覧」批判欠如
 その第二、所引本は太平御覧(御覽)に引用の「魏志」です。
 世上、誤解が出回っていますが、「御覧」は史書ではない類書であり、編纂時の引用、記事承継に加えて、編集が施されていて、史料の正確さに関して、全く信頼できないと言わざるをえません。
 榎一雄氏の考察によれば、「太平御覧」は、先行する複数の類書に依存した編纂物であり、「御覧」の編纂自体、実に数多くの所引担当者を動員した大事業と見えるので、信頼性の面で大いに疑問があります。
 榎一雄著作集 第八巻「邪馬台国」 巻末の「太平御覧に引く三国志について」に、書誌学的考察とともに、史料の精査に基づく、精緻な考察が展開されている。

 これに対して、「三國志」は、史官としての訓練を受け、史官の使命で動機づけられていた陳寿が、専念して史書として編纂して完成稿を遺し、没後の上程後は、歴代皇帝の蔵書として、適確に継承されていた、検証済みの史書です。
 後に、劉宋史官裴松之が、陳寿の編纂の簡潔さに不満な劉宋皇帝の指示で、陳寿が割愛した稗史の類いまで採り入れて補注した「裴松之補注三国志」を編纂していて、今日、この形態が、陳寿「三国志」の決定版と誤解している例が多いのですが、大変な誤解であり、「所引三国志」が、裴松之付注記事を、無造作に「三国志」本文に取り入れているのは、史料改竄の不祥事とみるべきです。

 いずれにしろ、氏の議しているのは、蟻が富士山に背比べを挑むようなものであり、それだけで、氏の奉じる史料批判の信頼性が大きく損なわれるものと見えます。

 「御覧」上程以後に限定しても、「御覧」も絶対不朽の継承が検証されているわけではなく、「三国志」同様に、北宋末、侵入金軍によって、中原から長江流域に至る全土での「諸書(経書、史書、類書)及び版木の全面的破壊」の被害を受け、南宋が、国の権威をもって、各地に遺存していた写本から原本回復を行った結果、今日の「御覧」の南宋刊本が得られたものであり、史料としての信頼性としては、少なくとも、同様の依存史料から復原されたと思われる「三国志」に対する批判と同等の批判を克服する必要があると思えます。

 国内史学界で陳腐化している、つまらない言い草の繰り返しを論じるのは、誠に鬱陶しいのですが、「太平御覧」の原本は現存せず、原本を読み通した者も現存しない』のです。そして、最良の刊本は精々南宋期のものでしかないのです。肝心なのは、南宋による復原努力の成果であり、原本が現存しないこと自体は何の根拠にもならないのです。子供の口喧嘩に似た、無意味な言説は、発言者の氏ら用を損ねるので、慎んだ方が良いのではないかと愚考します。

 見かけない議論ですが、所引魏志に云う「耶馬臺國」は、⑴所引者の見た魏志の正確な引用なのか、⑵「邪馬壹国」(通行本由来)ないしは、⑶「邪馬臺国」(後漢書)の何れなのか、三択状態にあり、結局、より信頼性に乏しい後代史料によって、信頼性の卓越した通行本を批判しているのです。余りに、後代史料の正確さに対する信頼性が低いのです。

 素人目にも明らかな難点を審議しないままに、論拠とするのは、むしろ失態に近いものと見えます。

*両史料の信頼性評価
 まとめると、「魏略」には、かなり厳しい批判が必要であり、所引魏志(「御覧」所引魏志)にも、しかるべき史料批判が必要/不可欠であり、両史料が通行本に優越するとは(絶対に)言えません。

*先人評価~風に揺れる思い
 ちなみに、冒頭に二重引用された末松保和氏の評言は、
 所引本は、当時の三国志原本(意味不明)からの引用、要約と認めつつ、
 通行本では「侏儒国、躶国の記事を含む一節が不自然な位置と考えられ」るが、
 所引本では、「より自然と認められる位置にある」、及び
 主要国の路程などの順序が、所引本では「比較的整頓され」ているが、
 通行本は「実に支離滅裂(意味不明)
 と見た上で、所引本は、(魏志の)「本来の形」であり、所引本魏志は、通行本魏志と「系統を異にする別本」、と推定口調とは言え実質的に断定しましたが、三木氏は、前段の路程などの記述順序評価は不当と認めつつ、後段は妥当と認めているようです。(「意味不明」は、当記事での追記です)

 このあたり、論理が大きく動揺していて、とても、筋の通った推論とは見えないと申し上げざるを得ないのです。

 「所引本」に対して、史料批判、検定を受ける前から、つまり、著者の深意が知られないうちから、その記述内容について評価するのは、本末転倒の錯誤です。

                               未完

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