« 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 3/6 再掲 | トップページ | 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 1/6 再掲 »

2023年7月 4日 (火)

倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 2/6 再掲

                                                       2019/02/27 表現調整 2020/11/10 2023/07/04

*「曹魏短里」/「魏晋朝短里」論争
 本説を広く宣言したのは古田武彦師であり、第一書『「邪馬台国」はなかった』において明言し、陳寿「三国志」全体の里数記事用例を対象に、「普通里」か、「短里」かの検証を進めた成果として、史料から『曹魏短里』が証されたとの論議を展開しました。
 
 これに対して、古田師の用例解釈に反駁し、安本師を代表とする異議が呈され、『曹魏短里』はなかったとの議論が提起され、大変活発な論議が行われましたが、陳寿「三国志」全用例から、その当否を証する試みは、いまだ進行中と見えます。
 
 素人目には、短里制度を確実に支持すると見られる用例は少なく、全国制度として施行されたとするには、根拠薄弱というか、事実無根と見られますが、一方、全面的に否定はできないとの論があり、あたかも、レジェンドと化して博物館入りした「臺壹」争いの再現ですが、攻防が逆転し、論法だけは類似しているのが、奇観を呈しています。

*『曹魏短里』制度
 用例論争に比べて不活発ですが、曹魏の全国制度として、短里が施行されたという証拠となる帝詔などが、陳寿「三国志」魏書(魏志)に明記されていないことが『曹魏短里』の支持されない断然有力な理由となっています。

 古田師は、初代皇帝文帝曹丕が、後漢献帝から国を譲り受け、皇帝に就職した際に、国家としての「礼」を、周制に従う帝詔を発したことを引いて、里制は「礼」の一部であるから、それにより、里制も、当然周制に復帰したと解釈しているのです。⑹
 「解釈」と言わざるを得ないのは、里制が「礼」の一部とする明確な定義が見当たらず、また、従来の普通里を短里に変更すると明記されてないことにあります。

 また、文帝は、後漢制度の復興、継承にあたったと評されていて、三国鼎立の臨戦体制で、社会構造の変革/破壊を引き起こす里制変更には想到しなかったと見られることから、古田氏提唱の曹丕改訂は否定的に見られています。

*景初改革
 続くのが、二代皇帝明帝曹叡の「景初暦」改定です。
 明帝は、文帝が後漢朝遺風を継承したことに反対であり、魏朝礼制、暦制の創始、確立を指示し、景初暦採用の際は、礼制一新の帝詔を発しています。
 依然戦時下ながら断行した景初改暦と礼制改定は、国家大綱を改革する「景初維新」の一環として、里制変更が行われたと推定するのが、「景初里制」説です。
 しかし、裴松之の付注(裴注)は、明帝の布令を補足する際に、「文帝の遺制を廃して、殷の暦を用い、殷と同様に建丑の月を正月とし、犠牲や旗に使用する色は、すべて殷の礼を用いた」と「礼記」を参照しながら、景初暦制の執行は宣言され、実行されているものの、それ以外については一切言及していないのです。つまり、明帝の布令は、里制の変更なる「天下の一大事」に触れていないのです。
 

 景初年間は、遼東に割拠した公孫氏を討滅し、天朝の威光を東夷に及ぼした画期的時期であり、里制改定の大事業に相応しいように見えますが、それほど画期的な一大事が、陳寿「三国志」魏書に、明記されていないという克服しがたい難点があります。
 
 また明帝の「景初維新」は、二年後、景初三年元旦の明帝早世によって終焉し、景初暦、並びに、宮殿造営が撤回された所からも明帝自身明言していない里制変更が、曹魏後継皇帝少帝曹芳や司馬晋の皇帝によって、補追完成されたと見るのは、困難(不可能)です

*曹魏短里説の終熄
 曹魏短里」制度は、全国制度としての実施を証することができず、従って、潔く撤回されるべきです。
 なお、ここで確認しないといけないのは、当時は、三国鼎立時代であり、魏明帝がいかに礼制改革を称しても、魏を不法な賊子と見ていた蜀漢が追従することはあり得ないのです。いや、時に、臣従の動きを示していたとは言え、東呉皇帝孫権は、天子として元号を制定していたので、曹魏の不法な制度変更に追従することはあり得なかったのです。特に、東呉は、自身の「正史」を編纂していて、そこに、曹魏の制度に追従することはないのです。

 ついでに言うと、遼東に君臨していた公孫氏は、後漢の臣下であっても、曹魏の臣下とは言えない常態であったので、郡の屋台骨が揺らぐような、里制変革に追従したとは思えないのですが、こちらは、郡としての正史を残していないので不明です。

                               未完

« 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 3/6 再掲 | トップページ | 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 1/6 再掲 »

倭人伝随想」カテゴリの記事

倭人伝道里行程について」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 2/6 再掲:

« 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 3/6 再掲 | トップページ | 倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 1/6 再掲 »

お気に入ったらブログランキングに投票してください


2024年4月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30        

カテゴリー

無料ブログはココログ