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2023年7月 2日 (日)

私の所感 岡上佑 「魏書倭人伝の究明」「サンプルファイル」 読後感 2/2

「魏書倭人伝の究明」「サンプルファイル」                                               2023/07/02

*無定見の陳寿批判/誣告
 付随して、氏は、適当に、しきりに三国志編者陳寿を誹謗するが、根拠の無い誹謗は「誣告」であり、感心しない。物々しく資料解読して、不正確な飜訳でお茶を濁しては根拠にならない。

 氏は、陳寿が先行史料に忠実であるのを「剽窃」と誹謗するが、それは、「史実」遵守の史官責務を理解していない、後世東夷の無法な暴言である。氏は、「述べて作らず」の至言を知らないのか誠に不遜である。要するに、陳寿が原史料を尊重して、自身の加筆を最低限にとどめているのを理解せず、後世東夷の感性で断罪しているのである。陳寿は、氏の誹謗を知ることはなく、反論もしないから、言いたい放題だが、古代史論者として、それでいいのだろうか。

 まして、この発言は、陳寿が、「魏志」から、曹魏に偏した記述を極力排除し、「呉志」、「蜀志」の二部を合わせて、「三国志」とした途方もない難事に挑んだ「編集方針」を無視している。軽率なのか不明なのか、いずれか不確かである。

*「御覧所引」の怪
 続いて、千巻大部の「類書」「太平御覧」所引のいわゆる「所引魏志」を論じるが、榎一雄師が丁寧に解析したように、「太平御覧」は宋代に編纂完結したものの、唐末以来の「五代十国」分裂期に地方政権が国家事業として編纂したと思われ、以下、類書大要が承継されたものであり、いずれの時点で「所引」されたか、史料の変遷も含めて、誰も見たことがないので、一切不明である。

 要するに、いずれかの時点で、編集機関が入手した史料を引き写し、担当書生が要約短縮した断片であり、史料の品質や編集子の要約の的確さは、保証の限りでないと見るべきである。氏は、陳寿の著述を「粗雑」と言うが、氏が誹謗しているのは、ご自身の読解力、表現力の反映であり、良くある自爆発言と見える。そして、「所引魏志」の勝手気ままな縮約、改変は、粗雑をとうに越えていて、上には上があるものと考える。
 古人曰く、「割れ鍋にとじ蓋」である。

 「所引魏志」の発祥はいつのことか不明だし、だれも、その現場をみていないので、確言はできないが、生まれ落ちての腕白もののようである。ともあれ、初回所引時の元史料の現物が確認できない以上、その時点の陳寿「三国志」善本と対比の評価が不可能であり、史料として、参考にならないとみえる。せめて、劉宋裴松之の補注時に、まずは三国志原本が周到に校訂された時点を取っても、御覽草創時よりは、随分以前である。

 因みに、敦煌などの文書断片で論じられる三国志「呉志」らしき断片は、明らかに、数次の粗雑写本の成れの果てであり、誤字、誤写、写本者の主観による改竄によって、「三国志」善本から逸脱していると見えるから、それとは程度の差こそあれ、「所引魏志」の参照原本の時代善本からの粗雑な素人所引による逸脱が、確実に推定される。

*テキストクリティークということ
 このように、対象史料の品質を評価するのが、「テキストクリティーク」のイロハであり、散佚史料のカケラを眺めて、二千年近い年月、歴代王朝「国宝」として最善の努力で継承された陳寿「三国志」と対比して、適否を論ずるのは無謀である。

 「魏略」が、氏の思惑で宙空を泳いでいるが、魚豢は曹魏官人として公文書を閲覧し、「魏略」を編纂、執筆できたのであり、その筆の運びの強(したた)かさは、陳寿「三国志」魏志巻末に裴松之が補追したおかげで、良好に承継されている「魏略西戎伝」で知ることができる。後世東夷が、自身の視覚、聴覚、三半規管の健全さを検証せずに、「偏向」と喚くのとは、別の世界である。視点倒錯と言うべきか。

 因みに、衆知の如く、公文書を渉猟し史書編纂するのは、本来大罪であり、妻子親族が連座するから、後世まで生存した魚豢は、職務として公文書庫に出入りできたのである。
 と言うことで、魚豢は、時に、「前世」後漢代の西域史料の誤謬を指摘/校正するが、これは、史官の正史編纂の筆法と大いに異なるものである。

◯まとめ
 以上、氏は、大仰に論じるが、周知事項を見落として誤解を募らせているから、よくよく顔を洗って見直すのをお勧めする。粗雑な著作で、ご自分の顔に汚泥を塗りつけるのは、美顔術としても、程々が良いと愚考すると思う。

 以後展開される氏の思いつきは、根拠となるべき史料観の誤謬が如実であるから、氏の諸作は、到底代金を払って読むことができないのである。何しろ、泥沼と躓き石の連続では、多分、一歩ごとに、足元を確かめないと、読解のしようがないのである。

 とば口での、泥沼掛け流しの謝絶は、自衛手段であり攻撃手段ではない。
 以上、書評ならぬ、教育的指導である。
                               以上

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