倭人伝随想 さよなら「野性号」~一九七五年の実証航海 (補) 2/3
2020/01/31 2021/10/24
⑶ 漕行路は、重荷を運べないと運用不可能です
「野性号」の積荷想定は不明ですが、二十人漕ぎで、荷物を百㌔㌘程度、乗客を五人から十人程度運ばないと分が悪いでしょう。
して見ると、最低五百㌔㌘程度の有効荷重があって「業」として維持できるのでしょう。漕ぎ手二十人で、客五人は相当なものですが、どうも、商用の貨客船には見えないのです。といって、漕ぎ手二十人が、空荷の船を目的地に届けても、一切実入りはないのです。「実証」するには、船荷と乗客を乗せた航海が必要だったでしょう。
*漕行の非効率
世の中には、古代の運送では「比重」が大きいものを水上便にするというご託宣を垂れるかたがあります。多分、「質量」(目方)のつもりでしょうが、大変な心得違いです。純金は、比重20に近い「重さ」ですが、極めて高価で、少量軽量で流通したのです。今日日(きょうび)の商用出版物には、編集チェックがないのでしょう。
漕ぎ船は、荷が重いと推進力が負けてしまいます。水上なら荷が軽いと思いそうですが、船体と漕ぎ手はまことに重いのです。漕ぎ手の奮闘も、推進力となるのは一部だけで、大概はひたすら波を起こすのです。水上便は負荷が軽くて効率的だと思い込んでいる向きが多いようですが、それは、川下りの様子を見ているのであって、例えて言うなら、海はすべて追い風の航行であれば軽いものでしょうが、世の中には、追い風と同じだけの向かい風があるので、港で何日でも風待ちするのは、手漕ぎ時代でも同じだったのです。水流の助けは片道だけで、かならず逆行があるので、帳消しどころでなくなります。
総じて、漕ぎ船の推進力は、人馬が地面を踏みしめて荷物の正味を進める力に、遠く及ばないのです。船が、人馬を労せずして荷を運ぶのは帆船が定着してからです。
*陸道~駄馬と痩せ馬が共有する重荷
陸では、荷物を適宜小分けし、人馬の数をそれに合わせて無理なく担える程度にすればよく、後は、規定の日数でゆるゆる行くのです。
税の一部である労役に動員可能な日数は限られていても、小遣い銭程度で追加労役に動員できるのです。いや、世に駄馬という荷役専門の馬は数が限られていて大変貴重ですから「痩せ馬」と称して人を増やすのです。倭人伝によれば荷役駄馬はいなかったので、万事、背負子だったかも知れません。広く人馬を募れば、重荷の峠越えも、難なくこなせるのです。いや、そのために、郡から鉄山まで、街道整備し、維持したのです。
*滔々たる七千里の官道
ということで、弁辰産鉄の郡納入を目的に整備された筈の半島中央の官道七千里、随一の難所、小白山地竹嶺越えも、近郷農民に手当をばらまけば、痩せ馬背負子が、働き蟻の如く集い寄ってつづら折れを行く「数」の力で大役をこなせるのです。(冬季は、積雪、路面凍結の難がありますが)
動員される農民達も、農作業は家族に任せて、出稼ぎ代わりに参集したでしょう。当時の世相はわかりませんが、経済活動が発展途上のため、そんなに苛酷な労役は無かったように感じます。
交通量が増えたら、街道に茶店でも出たかも知れません。腰弁当にせずとも、茶店で食が補えるなら、安いものと思う程度の手当は出ていたはずです。
*渡海事情と実現性の考察
と言うものの、三度の海峡渡海には、陸送の選択肢はなく独占です。
倭人伝には、対馬と壱岐の食糧事情に続いて交易船運用が書かれていても、末羅と狗邪韓国には無いので、海峡便船は両島がほぼ独占し、頻繁に運送したように見えます。両島は往来する交易船から、入出港料、関税として、最低限、饑餓が発生しない程度の食糧を徴収できたと見えます。
それにしても、文書便は文箱だけですが、米俵など重量物は、漕ぎ船には荷が重いので、極力、軽量高貴品に専念したでしょう。つまり、海峡渡船は、確実に稼げる事業形態になっていた筈です。その視点で、沿岸航行の実現性を時代考証していただきたいものです。
*人身売買の暴言
先ほど食糧充足にこだわったのは、古代史学界には「人身売買」など、ご自身の無知に由来する冤罪を唱えて誣告し、現代両島住民に罵声を浴びせる妄言派がいるからです。講演に出かけて謝礼を受け取っておいて、自身の妄想を言い立てて、現地の先人を非人道的だと罵倒するとは、論外だと思うのです。と指弾されても、古代住民は、立ち上がって名誉毀損を唱えられないので、一介の素人がここに書き残すのです。
未完
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