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2023年7月 4日 (火)

倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 1/6 再掲

                                                       2019/02/27 表現調整 2020/11/10 2023/07/04

□終着 道の果て(Terminus 米国南部 ジョージア州都アトランタの旧名)
 良く言うように、鉄道の終着駅は始発駅です。すべての道はローマに通ずという諺の英文(All roads lead to Rome.)は、「すべての道はローマに至る」と言う意味ですが、丁寧に言うと、すべての道は、ローマから始まりローマに果てるという意味です。ここに、「短里説の終着」と示したのは、短里制に関する議論の始発、原点を確認するためです。
 言うまでもなく、「魏志倭人伝」史料解釈の原点に立ち返って、史料の真意、つまり、陳寿の提示した「問題」の題意を確認しようとしているので、そのあと、回答に取り組む道程をどのように選ぶかは、論者諸兄姉、その人の勝手です。
 何しろ、各論者の倭人所在地の比定は「百人百様」であり、不撓不屈の信念と見えるので、第三者がとやかく言い立てるべきではないのです。そのため、当ブログでは、滅多に「比定地論」を述べない「はず」です。

*追記
 全体道里「万二千里」の「由来」と「後日談」に関する考察は、とても、とても、本稿に収まらないので、別の機会に述べることにしました。

*里制論議 諸説の起源
 「倭人伝」解釈に於いて、所謂「短里説」が提起されたのは、倭人伝」の記事を、(「背景知識に欠けた門外漢」、要するに「無資格の野次馬」が、不勉強の無理解で、「天然」)「素直」に読むと、方位、道のりが、日本列島、特に「九州島」内に収まらないように見えて、重大な難関になると見えた点から始まっているとされます。

 「天然」というと、時代用語では憤激を買いそうですが、要するに、現代風の国語教育には、漢文解釈の素養や漢文資料読解時の必須教養などが、承継されていないので、自然に、普通に理解しようとすると、至る所で、躓き石に足元をすくわれているのに、足が地に着いていないので、躓いているのに気づかずに「浮行」(空中歩行)してしまうと言うことであって、別に、文章の行きがかりで不勉強」と言っても、個人を非難しているのでは無いのです。知らないことは、言われるまで知らないのは当然であり、肝心なのは、自身の知識を過信/頼りにしないで、謙虚に地に足を付けるということです。

*短里説と誇張説
 難関回避の一案が、道のりの『里』が、定説の四百五十㍍程度の『普通里』でなく七十五㍍程度の『短里』との解釈、「短里説」です(以下、程度を略)。

 
「普通里」が四百三十五㍍程度としている方が多いようですが、どのみち、大まかな話なので、当ブログでは、切りの良い数字、つまり、一尺二十五㌢㍍、一歩(ぶ)は六尺で、百五十㌢㍍程度、即ち、一.五㍍程度、一里は三百歩で、四百五十㍍程度に「丸めて」います。これが、周代以来唐代まで、長期に亘って大局的に安定して運用されていた「普通里」である/としましょうという考えです。いわゆる「短里」は、公的な制度として運用されたことはなかったと見られるので、対照する必要は無く、単に「普通里」と呼んでいる次第です。

 短里説」は、本来の主唱者である安本美典師が、「魏志倭人伝」の道里行程記事から読み取った一里七十五㍍程度の「道里」であり、実質的に、安本美典師が、四十年ほど前に提唱し、近著でも維持している不朽の提言です。

 一方、巷間、短里には「証拠がない」とする否定的な論議が横行していますが、「倭人伝」に短かい里が書かれているということを理解しないと、倭人伝の道里が理解できないのです。古代史分野では、時には、「証拠より論」という見方でいたいものです。

 そのため、「魏志倭人伝」に通用していた里制は、「普通里」であるが、「魏志倭人伝」記事の道里は、「普通里」の里数を、六倍程度に誇張したとの「誇張説」が説かれています。⑵
 
 あるいは、「魏志倭人伝」記事は、当時の現実を離れた創作であり、信を置くべきで無い、と言う極論として「創作説」まで説かれています。⑶
 
*快刀乱麻症候群~余談
 共に、縺れを断ち切る「快刀乱麻」ですが、それは理解力の乏しい短気な輩(やから)の暴力行使であって、謎を解(ほぐ)し解くという「解答」になっていないのです。

 「乱麻」とは、もつれた糸という趣旨なのでしょうが、西洋古代史で言う「ゴルディアスの結び目」の説話の通説では、貴重な綾織りの糸を、込み入った結び目にして、後世の解明を期待した古人は、「賢人が現れて、込み入った結び目を解いて、貴重な糸を取り出しとそれを編み上げた綾織りの技法を理解する」ことを期待したと思われます。
 要するに、「問題」には、正解があって、出題者は、正解者が現れるのを期待していたのですが、大変有名なマケドニアの若き英雄「アレキサンドロス」大王は、結び目を解すことなく「一刀両断」して、編み上げられた貴重な素材を無に帰してしまったようなのです。

 つづいて、大王は、貴重な素材、至上の富みを、ギリシャ世界、西方の「ヨーロッバ」に齎した東方の「アジア」、当時で言うとアケメネス朝「ペルシャ」との軍事衝突に快勝して、宏大な領域を軍事制覇したのですが、「ヨーロッバ」が求めている至上の富は、得られなかったものと見えます。

 説話の別解では、大王が、巧妙に結び目をほぐしたとしていますが、大王の進撃の様子を見ると、この解釈と整合しないように見えます。

 「ペルシャ」は、東方、南方からもたらされる香料、海産物などの富と、領域内に散在する宝石、貴石奇蹟や各地でバラバラに編み上げられている絨毯などの産物を国王の手元に集中させ、西方との交易に供していたと見えます。
 時代は尚早のようですが、後世中国産の絹布がもたらせる以前、原産していたと思われる野繭(原種)から、細々と紡がれた「絹」が、ペルシャ王の手元に集められ西方に供されていたとも見えるような気がするのですが、大王が、ペルシャ王の支配体制を破壊したことによって、それらの産物の流れは原産地に止まり、「ヨーロッパ」に届くことはなくなったと推定されるのです。

 因みに、大王の死後の混乱から、「ペルシャ」の支配領域東端から興隆したパルティアが、ペルシャ王の残した体制を復元し、西方に拡張された「ヨーロッパ」に興隆したとされるローマから、巨利を得たとされています。

 「快刀乱麻」は、「ガチョウと黄金の卵」のイソップ寓話に通じるものであり、高貴な産物を齎す「ペルシャ」を破壊しても、得られるものがなかった「寓意」を示していると見えるのですが、どうでしょうか。

*「武断」談義~余談の続き
 本題に還ると、「武断」は、「当時唯一の「正史」を編纂した陳寿の名声を破壊して、自身の明察を誇りたかった」ものと理解するのですが、「正史」を毀損して、どこから、「史実」を得ようとしたのか不可解です。現代人には、「正史」の根拠となった、種々の史料の原文を知るすべはないのです。

*短里制支持論
 本記事は、史料の記事(テキスト)を原点とする立場を採っているので、⑵「誇張説」、⑶「創作説」に言及しないことをご理解ください。
 言い訳するなら、これらの説は、学術的見解ではなく、論者の情緒の表明なので、議論が成立しないということが、割愛の理由です。

 また、これらの説は、短里が存在しなかったと主張しているに過ぎないので、短里の存在を証すれば自然に棄却されるということです。

1 「魏晋朝短里」説考
 「短里説」陣営でも、古田武彦師の主唱する仮説が、短里制は、曹魏が支配下の中原領域に施行した全国制度であったというものです。⑷

 それ以降、この短里制は、曹魏を継いだ西晋に継承され、西晋が北方異民族に打倒されたために南遷した東晋で廃止され、普通里制に復帰したとされています。代表的な提唱者は、既に詳解したように、古田武彦師です。

 『魏晋朝短里説』は、かくの如く「非常」(臨時、暫定)の制度と提唱されました。本論は、字数節約して、勝手に『曹魏短里』と四文字略称します。

 因みに、安本美典師は、「魏志倭人伝」の道里が「短い里」であることの論証と「短い里」の実寸の推定に止まり、「短里制」の敷衍は支持していませんから、一線を劃していると言うべきです。

                              未完

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コメント

尾関郁さん
 ご不満でしょうが、拙考は「短里か長里か」に関する論議では無く、倭人伝の道里行程記事が、どのような「里」に基づいて書かれているかという、大変「限定された推定」なので、貴信のご意見は、当方の論議の行程を外れているのです。つまり、貴兄の「真理追究の鉄則」も「鉄則第四」も、それに基づく用例も、関心外ですので、回答はいたしません。
 当方は、長年の「短里か長里か」論議の厖大な徒労を歎いて、仕方なく行程を外れた道草として、『魏晋朝「短里」説の根拠が無い』ことを示しているだけです。この点に「限定された」ご意見でしたら、検討させていただきます。
以上

短里か長里の議論よりも、真理追究の鉄則(私が呼んでいるだけ)第一の「真理は具体的・個別的である」より、三国志に書いてある二点間の距離の一つ一つの記述を古代地図で測って具体的に統計を出せば鉄則第四「真理の粒が加わって総体としての真理が発展する」に従って自ずから算出されます。私の18
の用例より一里100∼130メートルが算出されました。古代史研究の風雲じぃ・尾関郁

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