新・私の本棚 前田 晴人 纒向学研究第7号『「大市」の首長会盟と…』4/4
『「大市」の首長会盟と女王卑弥呼の「共立」』 纒向学研究 第7号 2019年3月刊
私の見立て ★★☆☆☆ 墜ちた達人 2022/01/15 2022/05/30 2023/07/08
*「神功紀」再考~場外「余談」による曲解例示
俗に、「書紀」に、「神功紀」追記で遣魏使が示唆されるものの本文に書かれていない理由として、魏明帝への臣従を不名誉として割愛したとされる例があるように聞くが、そのような「言い訳」は、妥当なものかどうか疑問である。素人門外漢の目には、「書紀」本文の編纂、上覧を歴た後に、こっそり追記したと見るのが順当のように思われる。
景初使節は、新任郡太守の呼集によって、中原天子が公孫氏を討伐する(景初二年説)/した(景初三年説)という猛威を、自国に対する大いなる脅威と知って、急遽帯方郡に馳せ参じ、幸い連座を免れ、むしろ「国賓」として遇されたから、後日、国内には「変事に援軍を送る」同盟関係を確立したとでも、言い繕って報告すれば、別に屈辱でもなんでもないのである。
ここに敢えて取り上げた「割愛」説は、神功紀の現状の不具合を認識しつつ実在しない原記事を想定する改訂談義の例であり、言わば、「神功紀」の新作を図ったので、当時の状況を見過ごしてこじつけているのである。当記事外の「余談」で、前田氏にはご迷惑だろうが、世間で見かける纏向手前味噌である。
因みに、「書紀」には、「推古紀」の隋使裴世清来訪記事で、隋書記事と要点の記述が、大いに異なる、しかも、用語の誤解を詰め込んだ「創作」記事を造作した前例(?)があるので、「書記」に書かれているままに信じるわけにはいかないのである。いや、これは、余談の二段重ねであり、当事者でない前田氏をご不快にしたとしたら、申し訳ない。
繰り返すが、(中国)「史書」は、「史書」用語を弁えた「読者」、教養人を対象に書かれているから、「読者」に当然、自明の事項は書かれていない。「読者」の知識、教養を欠くものは、限られた知識、教養で、「史書」を解してはならない。
それには、東夷の漢語学習の不出来に起因する用語の乖離も含まれているから、東夷の用語だよりで「史書」を理解するのは、錯誤と覚悟しなければならないのである。
*閑話休題~会盟談義
卑弥呼擁立の際に、広大な地域に宣して「会盟」召集を徹底した由来は、せいぜいかばい立てても「不確か」である。後漢後期、霊帝以後は、「絶」、不通状態であり、景初遣使が、言わば魏にとって倭人初見なので、まずは、それ以前に古典書を賜ったという記事はない。遣使のお土産としても、四書五経と史記、漢書全巻となると、それこそ、トラック荷台一杯の分量であるから、詔書に特筆されないわけはない。
折角、国宝ものの贈呈書でも、未開の地で古典書籍の読解者を養成するとなると、然るべき教育者が必要である。「周知徹底」には、まず知らしめ、徹底、同意、服従を得る段取りが欠かせないのである。とても、女王共立の会盟には、間に合わない。
後年、唐代には、倭に仏教が普及し、練達の漢文を書く留学僧が現れたが、遥か以前では、言葉の通じない蕃夷を留学生として送り込まれても何も教えられない。と言うことで、三世紀前半までに大規模な「文化」導入の記録は存在しない。樹森の如き国家制度を持ち込んでも、土壌がなければ、異郷で枯れ果てるだけである。
*未開の証し
因みに、帝詔では、「親魏倭王」の印綬下賜と共に、百枚の銅鏡を下賜し、天朝の信任の証しとして、各地に伝授せよとあり、金文や有印文書で通達せよと言っているのではない。倭に文字がないことを知っていたからである。
蛮夷の開化を証する手段としては、重訳でなく通詞による会話が前提であり、次いで、教養の証しとして四書五経の暗唱が上げられている。この試練、試錬に耐えれば、もはや蕃夷でなく、中国文化の一員となるのである。
と言うことで、倭人伝は、「倭に会盟の素地がなかった」と明記している。「遣使に遥か先立つ女王擁立の会盟」は、数世紀の時代錯誤と見られる。
もちろん、以上の判断は、氏の論考には、地区の文物出土などの裏付けがあったとは想定していないので、公知の所見を見過ごしたらご容赦頂きたい。
〇まとめ
全体として、氏の「倭人伝」膨満解釈は、氏の職責上避けられない「拡大解釈」と承知しているが、根拠薄弱の一説を(常識を越えて)ごり押しするのは、「随分損してますよ」と言わざるを得ない。
これまで、纏向説の念入りな背景説明は見かけなかったが、このように餡のつまった「画餅」も、依然として、口に運ぶことはできないのである。所詮、上手に餡入りの画を描いたというに過ぎない。
諸兄姉の武運長久とご自愛を祈るのみである。 頓首。
以上
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