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2023年7月25日 (火)

新・私の本棚 サイト記事 塚田 敬章 「魏志倭人伝から見える日本」三訂 8/16

塚田敬章 古代史レポート 弥生の興亡 1,第二章、魏志倭人伝の解読、分析
私の見立て ★★★★☆ 必読好著 2020/03/05  記2021/10/28 補充2022/08/10, 12/18 2023/01/18, 07/25 

*對海國談義
 ついでに言うと、對海國方里談義で、南北に広がった島嶼の南部の「下島」だけを「方里」表現するのは、「對海國」の国力を表現する手段として、「重ね重ね不合理」です。帯方郡が、皇帝に対する上申書でそのように表現する意義が、「一切」見られないのです。
 そうでなくても、山林ばかりで農地として開発困難(不可能)な土地の広さを示して、何になるのでしょうか。「對海國」の国力は、課税可能な戸数で示されていて、本来、それだけで十分なのです。
 因みに、東夷伝で先行して記載されている高句麗の記事も、なぜか、「山川峡谷や荒れ地が多く、国土の大半が耕作困難と知れている」高句麗を「方里」で表現する意図が、理解困難なのです。東夷傳に記載されているということは、「方里」に何らかの意義は認められていたのであり、恐らく、高句麗以南を管理していた公孫氏遼東郡の独特の管理手法が、東夷伝原資料に書き込まれていたものと見えます。
 といって、今さら、遼東郡の深意を知ることは困難です。後世人としては、「敬して遠ざける」のが無難な策と考えます。

 さらに言うと、郡から倭に至る主行程上の各国は、隔壁代わりの海に囲まれた「居城」であって、戸数で農地面積を示す標準的な「国邑」と表現されているので、想定しているような方里表現は、本来、無意味なのです。よろしく、御再考いただきたい。

*両島市糴談義
 「誤解」は、両島の南北市糴の解釈にも及んで、「九州や韓国に行き、商いして穀物を買い入れている」と断じますが、原文には、遠路出かけたとは書いていないのです。ほんのお隣まで出向いて、「市場」で゛食料などを仕入れて帰還したと見るものでしょう。
 そのように「誤解」すると、一部史学者が、現地まで出向いて、わざわざ因縁を付けたように、食糧不足で貧しい島が、何を売って食糧を買うのかという詰問になり、島民を人身売買していたに違いないとの、とんでもない暴言に至るのです。おっしゃるとおりで、手ぶらで出向いて売るものがなければ、買いものはできないのです。

*当然の海港使用料経営
 素直に考えれば、両島は、南北に往来する市糴船の寄港地であり、当然、多額の入出港料が取得できるのであり、早い話が、遠方まで買い付けに行かなくても、各船に対して、米俵を置いて行けと言えるのです。
 山林から材木を伐採/製材/造船して市糴船とし、南北市糴の便船とすれば、これも、多額の収入を得られることになります。入出港に、地元の案内人を必須とすれば、多数の雇用と多額の収入が確保できます。
 両島「海市」(うみいち)の上がりなど、たっぷり実入りはあるので、出かけなくても食糧は手に入るのです。
 むしろ、独占行路の独占海港ですから、結構な収益があったはずです。
 当時、狗邪韓国が、海港として発展したとは書かれていないので、自然な成り行きとして、狗耶海港には、對海國の商館と倉庫があり、警備兵が常駐して、一種、治外法権を成していたと見えます。狗耶が、倭の北岸と呼ばれた由縁と見えます。

*免税志願
 ただし、標準的な税率を適用されると戸数に比して、良田とされる標準的農地の不足は明らかであり、食糧難で苦しいと「泣き」が入っていますが、それは、郡の標準的な税率を免れる免税を狙ったものでしょう。魏使は商人ではないので、両島の申告をそのまま伝えているのです。また、漕ぎ船運行と見える海峡渡船で、大量の米俵を送るなど、もともとできない話なので、對海、一大両国が欠乏しているのに、さらに南の諸国から取り立てるのは、金輪際無理という事です。

b、北九州の各国。奴国と金印
《原文…又渡一海千余里至末盧国有四千余戸……東南陸行五百里到伊都国……有千余戸 東南至奴国百里……有二万余戸東行至不弥国百里……有千余家

コメント:道里行程記事の締め
 ここまで、道里論と関わりの少ない議論が続いたので、船を漕ぎかけていましたが、ここでしゃっきりしました。
 倭人伝は伊都国、邪馬壱国と、そこに至るまでに通過した国々を紹介した記録なのですと見事な洞察です。
 私見では、倭人伝道里記事は、「魏使の実地行程そのものでなく」、魏志の派遣に先立って、行程概略と全体所要日数を皇帝に届けた「街道明細の公式日程と道里」と思いますが、その点を除けば、氏の理解には同意します。

 但し、氏自身も認めているように、ここには、議論に収まらない奴国、不弥国、投馬国の三国が巻き込まれています。小論では、三国は官道行程外なので、道里を考慮する必要はないと割り切っていますが、氏は、魏使が奈良盆地まで足を伸ばしたと、予め、特段の根拠無しに決め込んで考証を進めているので、三国、特に投馬国を通過経路外とできないので、割り切れていないようです。
 この「決め込み」は、氏の考察の各所で、折角の明察に影を投げかけています。
 資料の外で形成した思い込みに合わせて、資料を読み替えるのは、曲解の始まりではないかと、危惧する次第です。
 このあたり、「倭人伝」の正確な解釈により、行程上の諸国と行程外の諸国を読み分ける着実な読解が先決問題と考えます。

 氏が、こじつけ、読替えなどを創出する無理な解決をしていない点は感服しますが、議論に収まらない奴国、不弥国、投馬国の三国は、倭人伝に於いて、『「余傍の国」と「明記」されている』と理解するのが、順当としていただければ、随分、単純明快になるのです。

 「金印」論は、後世史書范曄「後漢書」に属し、圏外として除外します。
 「倭人伝」道里行程記事に直接関連する論義では無いので、割愛するのですが、おかげで、史料考証の労力が大幅に削減できます。

                                未完

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