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2023年7月 3日 (月)

新・私の本棚 榎一雄著作集 第八巻 「邪馬台国」御覧所収魏志 増補 1/5

汲古書院    1992/5
私の見立て ★★★★★ 不朽の金字塔 必読     2019/07/13 記 2022/09/02

 本考察は、『「魏志」「倭人伝」とその周辺~テキストを検討する~』と題して、季刊「邪馬台国」第十五号~第四十一号(1983/3~1990/3)の二十二回にわたって連載され、当方も、最初、同誌バックナンバーの誌面で出会いましたが、結局、本書を古書購入したものです。

□「太平御覧に引く三国志について」
 今回検討したのは、同書の最終部分ですが、里程論の基礎として踏みしめました。
 同誌は、安本美典師の編集のもと、学術誌としての編集方針が脈々と流れていて、古代史に関する思案の基礎とできる上質の記事が、見られました。
 本稿では、榎師の「倭人伝」テキストに関する考察の中から、掲題のごとく、太平御覧所収の「所引魏志」に関する考察を糧に、当方の考察を試みたものです。当方の浅慮によって、氏の高見を誤っていないことを望むものです。

*先行類書談義~榎師による
 従来、「太平御覧」、「御覧」が北宋初期の太平興国年間(977-983)に編纂された類書(百科全書的書籍)と見て所収記事を批判しましたが、氏の幅広い調査によれば、実は、北朝の齊、北齊『修文殿御覧』三百六十巻(572)、唐『芸文類聚』百巻(622-624)、『文思博要』千二百巻(641)の三大先行資料を基本に、編纂当時の諸資料を取り入れ、一千巻に及ぶ大部として完成させたとされています。
 と要約されているが、さらに調査すると、そもそもの起こりは、南朝梁武帝(在位502-547)が、中華正統である梁の権威を示すために「類書」編纂を号令したようです。それまで、曹魏黄初年間に完成したとされる「皇覧」(222)が存在していて、幾つかの集団が競った挙げ句、七、八年を要した六、七百巻と言われる「華林遍略」(523)が上程されたようです。大部の著作でしたが、武帝は、東晋末から動揺していた南朝を一気に安定させ半世紀に近い長期の在位の間に経済的な発展を遂げたので、地方蔵書家にまで写本が流布したようです。
 梁は武帝末の大乱によって零落しましたが、「華林編略」を典拠として、北齊「修文殿御覧」(572)、隋「長洲玉鏡」(605頃)、唐「芸文類聚」(624)と、それぞれ、有力王朝による「類書」編纂が開花しましたが、学識豊かで麗筆の人材を多数列席させた「修文殿御覧」が、「華林編略」を大要としつつ北朝独特の諸書を補充したと見え、七ヵ月の編纂期間とは言え、結果として好評を博し、唐代末期には、類書の首座を占める一方、「華林遍略」は退勢に陥って散佚し、そのため、編者、巻数などは、不確かと言うことです。
 と言うことで、太平御覧は、先行する「類書」を底本としたというものの、一連の先行類書の継承部分も多々あり、北宋代編纂と言い切れないようです。特に、初期の「皇覧」は、魏代の完成と言うことで、陳寿「三国志」に取材していないことは明らかです。

 つまり、「御覧」所収「魏志」といっても、十世紀時点で、並行着手されていた刊本事業目的で集成された「魏志」の高級、帝室原本に近い「魏志」良質写本を、直々に参照したのでなく、三、四世紀先行する各類書が、手元の「通用写本」から引用した記事を、さらに、子引き、孫引きしたのです。古ければ、信頼性が高い「魏志」写本を参照したと見がちですが、実際は、当時参照した写本の信頼度と参照・引用の姿勢が不確かです。良質だったかも知れないが、劣悪だったかも知れないのです。

 以下、各国展開は、出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』。

◯北齊『修文殿御覧』の背景
 本類書編纂時(572)は、南北朝対立時代(439~589)も末期の北朝齊でしたが、南朝にも齊があったので、区別のため「北齊」と呼ぶのです。
 南朝側は、梁(502-557)を創業し半世紀統治した武帝䔥衍が、北朝夷将侯景の亡命、帰順を不用意に帝国内部に取り込み、反乱勃発(548)して帝都建康は包囲陥落し、南朝代々の蔵書が焼失したと言われています。反乱は鎮圧されたものの帝国は形骸化して北朝に対して非勢で、最後の南朝、陳(557-589)は、長江の中上流を失い、大きく版図を減らしたのでした。

*北朝形勢 個人的余談
 『修文殿御覧』を編纂した斉、北齊(550-577)は、三国時代の曹魏の旧都鄴(曹魏の「首都」は洛陽)を帝都として、魏(北魏)、東魏(534-550)を継いで中原東部を支配していましたが、土地柄から、後漢、西晋に至る旧都洛陽域の比較的豊富な史料と人材を起用できたようです。
 北朝の全容を見ると、南朝衰退に対して、北朝も、百五十年続いた大国魏(北魏)(386-534)の東西分裂によって、陣営内部の対立が激しかったのです。
 北朝でも、西方では、魏(北魏)、西魏(535-556)を継いで、前漢以来の帝都長安から中原西部と旧蜀漢地域を支配した周、北周(557-581)は、周礼を尊重したとは言え、鮮卑制度も復活させ、皇帝を廃して天主をいただきましたが、国力としては、当時最大の大国でした。

                               未完

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