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2023年7月 4日 (火)

倭人伝随想 15 倭人伝道里の話 短里説の終着駅 5/6 再掲

                                                       2019/02/27 表現調整 2020/11/10
*変動する天下の広さ
 「司馬法}の単位系展開の最後は、周制の「畿」に至る広域の定義です。
 天子の領域とされる「畿」は、一辺千里の方形と思われ、「里」から「里の千倍」に至る過程は、面積十倍(一辺3.16倍)刻みで、隙無く定義されています。つまり、周制が確固として定まった有史時代、里は変わりようがなかったのです。

 もちろん、周時代、王畿を実測測量して、一辺千里の方形を得たわけではなく、「畿」は、周王の領分が諸公領分の一段上との「秩序の理念」を示しているのです。(面積十万倍 一段下位の「封」は一辺三百(六は誤記)十六里と表記)

 また、「司馬法」で「領分」は、軍制規定の基本であり、それぞれ、領分の広さに応じた兵士の数が、義務として定義されています。
 天子は王幾に在り、諸公は、四方で蛮夷の侵入を防いで「中華世界」を護るのが「天下布武」なのです。

*軍制への波及
 秦始皇帝は、周制を採り入れるに際して、諸公軍務を数字だけで算定する形式的な制度が、防衛体制を形骸化して無力なものになり、西周末期に外夷侵攻を許し亡国を招いたのであり、秦は周制を全面踏襲しないとしました。

 そのように、周制の面積単位系は、周代の諸公軍務の原則を決定しているものであり、秦漢でそのまま遵守していないとしても、国政の原則となっていたので、その一部である里制だけを変更はできないということです。

*郡国志
 郡及び国の所在地と方位、道里は、正史の志部、後漢書であれば「郡国志」に明記されます。(「魏志」には「志」が存在せず、笵曄「後漢書」も、「志」書いていますが、先行していた司馬彪「続漢書」の「志」部が後世、追加、補充されています)
 先に述べたように、土地制度の実用単位「畝」や「歩」が書かれていた土地台帳が、堅実に維持されていたため、南北朝の分裂時代を歴ても、再統一される唐代に至るまで不変でした。また、「道里」の物差である「里」を伸縮する改定は、日常生活にほとんど影響しないのですが、古来、正史の史料篇である後漢書「郡国志」、晋書「地理志」、宋書「州郡志」に収容されている公式道里は、凡そ正史の改竄ができない以上、不変だったのです。

*「舊唐書」倭国道里談義~余談
 後世ですが、舊唐書「倭国伝」は、「伝」に必須である道里条を立てていて、「倭國者,古倭奴國也。去京師一萬四千里,在新羅東南大海中。」先行正史を要約/節略しつつ、唐代史料にある「倭国」は、後漢書にある「倭奴国」を継承するものであり、当時、「新羅」の東南大海中在る、としていますが、厳密に正確な継承かどうかは、課題となります。なお、「道里」の基点は、同書「地理志」で「京師 秦之咸陽,漢之長安也。隋開皇二年,自漢長安故城東南移二十里置新都,今京師是也。」と総括しているように、実質上、秦・咸陽、漢・長安、隋・新都は、唐・京師と同一とされています。これに対して、後漢・雒陽は、唐代、東都/神都/東京などと称されていますが、「西京」と称されることになった「京師」とは区別されています。因みに、東京は、「在西京之東八百五十里」とされていますが、これは、見たところ、漢代以来、公式道里として維持されているようです。

 と言うことで、あっさり総括すると、唐の京師から倭国の「道里」は、「魏志倭人伝」の「万二千里」と同様に概念的なものであり、行程を明示しない、また、長安-洛陽間の公式道里を考慮しないものと見えます。
 案ずるに、唐代に「倭国」に至る公式道里を評価した際に、実道里の測量などしなかったものと見えます。つまり、「魏志倭人伝」の「万二千里」を遼東太守公孫氏の見立てなどと解釈/誤解せず、当時の「雒陽基点の概念道里」であったと見て、唐代には、唐側の基点が「京師」に遠ざかって、「天子の権威から一段と遠隔になった」という意義から、道里も一段階格上げして、「万四千里」としたものと見えます。

 その際、行程が、遼東郡、ないしは、楽浪郡を経由したことになっているか、山東半島から渡海したものかどうか、などの「考証」は、一切、抜きにしていたと見えます。と言うのは、隋代裴世清、唐代高表仁の使節は、魏志倭人伝に確固として明記されている「公式行程」である帯方郡からの陸上経路は採用せず、山東半島を発して黄海を南下し、耽羅で東転して、壱岐に「直行」する帆船に適した経路としているので、「魏志倭人伝」に明記された「公式道里行程」は、不採用だったと見えるのです。
 いや、遡って、正始魏使の行程も、公式道里行程は遼東公孫氏時代の遺物と見て、不採用で、帯方郡治には立ち寄らず、唐代統一新羅が置いた「唐津」(タンジン)に確立されていた施設、人員の整った海港を経由したものと見えるのです。そのような「不正規行程」は、皇帝に報告できず、公式文書に書けなかったものの、実務/内部文書として長く継承されたのではないかと愚考するものです。
 そのように勝手な臆測を物するのは、現在の混迷した「倭人伝」談義の解明に有意義な異説ではないかと思量するからです。

 このような、公式道里と実体との乖離は、一時交通が途絶えていた「倭国」の行程道里に限ったものではなく、程度/由来は異なっても、南朝を撲滅して全国を統一した唐代において、周秦漢代以来、営々と継承していた天子から各蕃夷への行程道里が、実際と(時に大きく)乖離していることが問題になり、征討軍の派遣や現地総督の呼集の際に齟齬を来さないように、実行程道里を実務で補正していたようであり、そのような混乱を是正すべく玄宗皇帝が号令して、各地への行程道里を精測させた成果が「入四夷之路」として地理志に掲載されていますが、さすがに、太古以来継承されている公式道里を改訂することは、不可能だったと見えます。

*東夷継承
 こと「倭国」に関しては、新興「日本」に取って代わられただけに、「倭國者,古倭奴國也。去京師一萬四千里」の「軛」を免れたものと見えます。つまり、「日本」は「倭国」の正統な後継ではないということになりますが、あくまで、これは、一説に過ぎませんので、諸兄姉が、自説に採り入れるのであれば、ご自身の責任で史料考証されることをお勧めします。

 本題に還ると、帝国の威勢を示す全土(天下)広さや各国道里が大きく変わるのは大問題(つまり、あってはならない不法、大逆行為)です。「王幾」の広さが変わると、中華世界の広さ/大きさも変わるのですから、天下の一大事なのです。もし、中華世界の広さ/大きさが、変われば、周囲を取り巻く、蛮地、荒地の範囲も変わることになりますが、だれも、実測できないことですから、問題になることは少ないでしょうが、理屈はそういうことです。

 この辺りも、里制変更を、正史史料篇である「地理志」などに明記しないといけない理由です。いや、一切明記されていないというのが、里制変更のなかった、絶対的な根拠なのです。

*不可能な使命
 因みに、少なくとも、魏晋代に到る古代には、小数の概念がなかったので、簡便な掛け算/割り算計算が、ほぼ不可能であり、その意味でも、全国に波及する里制変更はあり得ないのです。また、千里を超える道里の一/六倍の計算では、概数の切りの良い数字が半端になるのも、難点です。これは、何らかの計算器具で換算しても、記帳が困難となるので大事件です。
 最後の決め手として、「公式道里」の改竄は、天子すらなし得ない、天に背く大罪であり、実行不可能と見えるのです。と言うことで、公式道里でない、列伝記事などでは、「普通里」や「公式道里」から乖離した不正規道里が見られるかも知れませんが、それは、あくまで「不正規」のものであり、史官には、是正の仕様がないものだったので、陳寿ほどの同時代に至高の史官も、これには是正などしていないのです。

*正史記録の不在は「史実」の不在
 つまり、これほどの天下の一大事が正史に記録されていないのは、一大事などなかったからと見るべきです。

*記録不在の意義
 時に史書に記事が無くても「無かった」とはならないとの強弁がありますが、天下の大事件を書かなかったのは「無かった」からに違いないのです。
 正史に書いてなくても、知られている史実は明白だから、そのように書いてあるものと見て、そのように「改竄」して読むと言う態度は、一部ね牢固たる古代史論者の「常套手段」です、最後の隠れ穴ですが、安易に真似してもらいたくないのです。
 史料は史料としてそのまま読むという基本原則に従うと、里制変更の主張には、明白な証拠が必要です。

 史料解釈は、史料自体による解釈から「始発」すべきではないでしょうか。

                                未完

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