新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」鍵14 9/12 臺論5 三掲
「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義 2021/08/14 2023/08/28 2024/02/14
前にも述べましたように魏使は魏帝の命令により女王に贈物を届けにやって来て、その役目を果たし、女王の礼状を預かって帰ったのです。……女王の礼状が都に届いたことは倭人伝に「倭王、使に因って上表し、詔恩を答謝す」とあることから明らかです。陳寿……は簡潔……、キッチリと行程を述べています。……途中に経過する主な地点を示し、……所要日数[里数か]を書き、最後に合計日数を示すのが今まで見て来た陳寿のやり方です。……つまり、「女王の都する所」で一旦文は終わり、続けて所要総日数が「水行十日・陸行一月」であると述べているのです。
折角の卓見が、伊都国以降「奴国、不弥国、投馬国」は、通過国か脇道国かの岐路が未解決のため、各論輻輳、喧々囂々と見えます。
陳寿は、泥沼史書を上申稿としたのでしょうか。ここでは、総日数を確定し、その裏付けとなる行程諸国を列記したのではないでしょうか。「通過国以外(余傍)は略記、狗邪韓国-倭は(周旋=往来)五千里」との注記は無視するのでしょうか。
因みに、東夷の蛮夷とのやりとりは、帯方郡が行うのであり、至尊の皇帝天子が蕃王に使節を派遣することなどありません。氏の世界観は、大分傾いているようです。それにしても、「女王の都する所」とは、随分乱雑な解釈です。魏晋代、特に、西晋代は、王族の「王」はいたものの、それは、群太守と同格の臣下であり、「都」などと称することはなく、まして、「蕃王に都などない」のです。よく顔を洗って、読みなおしてほしいものです。別稿で示したように、訳文が、字句の区切りを取り違えているのです。
初めに述べましたように東夷伝の序文で陳寿は、今まで良く知られていなかったが、東夷の国々はきちんと先祖の祭りを行っている礼儀正しい国で、中国で礼儀が失われた時には見習う事がある……国々であり、今まで……知られていなかったそれらの(礼儀正しい)国々を(初めて)順次紹介する……東夷伝を書き、その締めくくりとして倭人伝を記述しているのです。
原文の文意を誤解していますが、そもそも「国々」(複数?)と解するのは勘違いです。ここで礼賛されているのは、ただ一つの「倭人」です。高句麗、韓は、反乱を起こして討伐されていて賞賛されるはずがありません。ここぞとばかり「自大」論をぶつべきです。
「不弥国」の南にあった「邪馬壹国」
さて、倭人伝では「不弥国」に続いて「投馬国」の方向を示した後、「南、邪馬壹国に至る、女王の都する所。水行十日・陸行一月」とあることで、「不弥国」に続いてその南に「邪馬壹国」……と述べました。……「邪馬壹国」の所在地探求は……分かり易いものだと思っております。それを難しくしているのは予定(想定)した場所にたどり着かないと考える人達によって、ねじ曲げた解釈が繰り返されて複雑な様相を示し、それをそのまま受けて、岨噌せずに流すメディアによって拡散されたからだと言わざるを得ないのです。
近来希な、正確な感想ですが、『「不弥国」の南に「邪馬壹国」と思い込んでいる』のが、不可解です。それは、校訂道里記事の、一解に過ぎないのですが、要するに、検証されていない「思いつき」でしかないのです。
メディアは、「鵜」の親戚で「早のみこみ」の拡散が商売で、鳥類には、歯が無いので咀嚼できないのです。それを咎めても、メディアの反感を買うだけで、事態は是正されないのです。
批判すべきは、未検証の「新説」を、報道各社に公平にプレスレリース資料を配布せず、独占的にばらまいて餌付けして、提灯持ちさせている小数の研究機関です。見当違いなところにつけを回さない方が無難です。
「不弥国」に続く「南、投馬国に至ること水行二十日」の一文の解釈に論の余地があることは述べました。しかしながら、今まで見て来た通り、「至」には方向だけを示す場合と実際にそちらに行く場合とがあることがあり、実際に行く場合は始めに進みだす方向を示し……たと思っております。
素人目には、原文の文意を適確に理解したとの「思い込み」が、本来明解な文意を撓めていると見えます。文意は、まずは、文書自体に聞くべきです。
奴国、不弥国、投馬国記事は、「伊都国起点の道案内」だけで、「倭人伝」行程に関係無いとする「明解な」見方が一顧だにされてないのは残念です。行程道里は、郡文書使の周旋行程の所要日数と初見以前に提出された概念的道里が要点とご留意いただきたい。
「邪馬台国」論義にしばしば見られる魏使行程、場違いな時代錯誤の観光案内、サラには、サラリーマンの出張報告は、ここには、一切、書かれてないのです。真面目に取り合うのも、時間の無駄なのですが、俗耳に受け入れやすい俗論は、往々にして「定説」に祭り上げられ、「レジェンド」と化するのです。
未完
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