新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」鍵14 8/12 臺論4 再掲
「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義 2021/08/14 2023/08/28
以上のことから、……、原文で「邪馬臺国」である[あった]ことは疑い難い……ので、本書では以後「邪馬台国」は原文を参照する場合は「邪馬壹国」とし、それ以外の場合は「邪馬臺国」と……します。
粗雑な論拠に依拠して、原典改竄を確信するのは合理的ではありません。ぜひ、困難を乗り越えて、疑うべきものは疑っていただきたいものです。簡単に騙されると評判が世間に立つと、次々に騙り屋が押しかけてくるのが世のならいです。歴代皇帝の宝物として継承された正史を、命がけで書き換えるということ自体、到底あり得ないので、そのような暴挙の動機、理由を詮索するのは、時間のむだです。
そもそも、正史(三国志)の一隅のその又一隅に過ぎない東夷の国名を、れっきとした中国官人が、命がけで書き換える意味が不明です。自国を過大視する自大錯視でしょうか。
因みに「台」(たい)は、「臺」(だい)とは別の字であり、便宜的に代用されただけです。もともと、「やまだい」だったのでしようか。ご自分の想像力の欠如、勇気の阻喪を、「疑い難い」などと壮語するというのは、どうかと思います。
何故「南」は「東」の間違いなのか
さて、「南、邪馬壹国に至る、女王の都する所。水行十日・陸行一月」の部分も読み方の論が分かれる所です。……陳寿は三国志で里程については途中の里程を示しながら最後に合計としての総里程を示し、併せて所要総日程を示……しているのです。……つまり、倭人伝の行程記事は前半は里程で書いてあり、後半は日程で書いてあるとして、最後の「水行十日・陸行一月」を読み解くことが鍵だとされます。……全体の行程を里程と日程の両方を書いて確認するのであれば理解できますが(三国志はその書き方です)、前半と後半を里程と日程に分けて書いて、里程と日程という全く別のものを合わせることで目的地を示す事ができるとするのが通説……と思います。
比喩が的外れで、足を引っ張っています。真っ直ぐ書けない理由がわかりません。そもそも、道里行程記事の解釈は、「倭人伝」論冒頭に論じ尽くすべきであり、このような場であたふたと論ずべきことではありません。
……「郡より女王国に至る、萬二千余里」と書いてあるのですから、これが帯方郡から女王国までの総里程であることは疑問の余地はありません。不弥国までで、既に総里程一万二千余里の内一万七百余里が消化されています。残りは千三百余里しかありません。……残った里程に「水行十日・陸行一月」も掛かる理由が説明されることも無いようです。……倭人伝……[を素直/普通に]読んだのでは……[必達目標である]「邪馬臺國」にたどり着かないので、前半は里程で後半は日程として全体を引き延ばし、それだけでも納まらないので南は東の間違いと修正する、ということだと思われます。
直感[思い付き]……は検証して立証することが求められます。……[直感]が結論に直結するのでは学問の看板が泣くのではないでしょうか。
必要な見識のあるものの「直感」には、価値がある可能性がありますが、無知な素人の「直感」は、「蓋然性」どころか、考えるだけ時間の無駄です。
但し、そのような評価は、凡人の埒外です。およそ、諸兄姉所説は、「直感」に始まっても、検証、考察の果てに世に問うものです。誰も見ていない地の果てで、史学の「看板」は、既に涙が涸れるほど泣いているはずです。
因みに、氏は、他人の提言を「直感」と排斥しますが、発表に先立ち、どれだけ知恵を絞ったか、とか、「直感」を契機にどれだけ汗をかいて思案したか、とか、ご自分の行程を振り返って、何か感慨はないのでしょうか。相手は、背中を振り返って何の看板も背負っていないと歎くでしょう。
肝心なのは、「敵を作って攻撃して納得させられる」かどうかでしょう。論争は、論敵を説得するものなのです。
未完
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