新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」 1/12 序論1 再掲
「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義 結論別儀 2021/08/14 2023/08/28
〇はじめに~謝辞にかえて
本書は、小生(当ブログ筆者の一人称)が、かねてから古代史論で兄事する刮目天一氏が、第三者ブログを舞台に、小生専攻範囲「倭人伝」道里について、高柴氏と問答しているのを拝読して、どう差し出口するか迷ったあげくの題材です。
第三者ブログ投稿に第四者が口を挟むのは、無作法ですが、放っておくにしのびないので、本書書評の形を取って、高柴氏の見解に口を挟むことにしたものです。
ご両人はもとより、対話の場を提供された氏の厚誼に感謝するものです。
以下の書評は、お耳触りでも率直な意見と聞き置いていただければ幸いです。
〇古代史論争に涼風一陣
まずは、長年混迷が続く倭人伝談義の経緯を精査し、漂う暗雲というか、泥沼に似た混迷を歎いて明解な筋を通す建言に、全面的に賛成します。
つまり、『倭人伝論議は、信頼すべき文書史料「倭人伝」を全考察の出発点としなければ、混沌に目鼻がつかない』との提起と思います。
既に世紀を越えた仁義なき議論は、浄き高嶺を目指して難所に登攀路を創出すべく先を競っていますが、私見は、それと別に、最寄りの高みへの「散歩道」を進むというものです。ご不快でしょうが、耳に留めていただければ幸いです。
砕けて言うと、例えば、「倭人伝」冒頭の「倭人」紹介や郡から倭に至る「道里行程」記事は、締めとする「読者」に倭人なる新参の東夷を紹介する「倭人伝」のつかみの部分であり、多少の謎で好奇心を喚起するのは序の口で、以下は、読者の教養をもって読み解ける程度の「問題」であったから、題意を解し、解答(正解)を出すのは、本来の回答者、つまり、三世紀洛陽の読書人には、造作ないとこだったはずです。
〇論争混迷の実相
後世人には、「倭人伝」を読解する教養に欠けるのを自覚することなく、尊大な態度を取って、かほどに善良な読者が、いくら考えても読み解けないのは「倭人伝」に多発する誤記、あるいは、曲筆のせいだ、との「神がかり」説が出回っています。
そんな風評のため、「倭人伝」の道は、大半の「読者」にとっては、踏み込みをためらう「荒れ地」であり、家庭ごみや業務廃材に類するごみを投棄されて「荒れ地」にすら見えなくなっていると見えます。
倭人伝は、同時代に関する最も有効な史料であり、廃材をどけて、じかに噛みしめる時と思うのです。本来、明快に読み解けたものに違いないと察していただければ、つまらない「神がかり」は、影を潜めるものと感じています。
〇失敗の効用~惹き句の失敗
「発明王」トーマスエジソンによれば、失敗例は、探索範囲を一段絞らせるので、幾千の失敗例は、そう見えずとも、針路を照覧していると見えます。
ちなみに、「惑わされない」は「倭人伝」の用語と齟齬します。卑弥呼は「衆を惑わし」多くを感動させ共立されたのが筋であり、「迷わされない」と字を変えた方が良かったようです。
「倭人伝にあいまいな記述無し」は不用意で、概数表現のように『過不足無く「あいまい」である』と考えます。
帯惹句の「一切の固定観念」は勇み足で、「固定観念」の取捨選択なしの読解は不可能です。現に、本書は「固定観念」満載です。「合理的」も要らざる断言です。過去論者は、全て自分なりに「合理的」な判断と自負していたわけで、「自分なり」同士の衝突は解決不能です。
まあ、これらは、恐らく出版社の営業方針によるもので、氏につけを回すのは筋違いなのでしょうが、「随分損してますよ」と言うところです。
氏の指摘が大勢の混濁を晴らすだけに瑕瑾を指摘したくなったものです。
〇景初遣使論争の意義
因みに、契機となった両氏論議は、魏志東夷伝/倭人伝の「景初遣使」の経緯の解釈で、史料に立脚した論議を進めようとしているのには、敬服しますが、史料から御両所の「合理的」見解に移ると「固定観念」に足をとられて迷走していると感じたものです。
「ダイハード」の諺のように「悪い癖ほど止められない」のです。諺は「ダイハーダー」、「ダイハーデスト」と最上級に進んでも、そこで終わる保証はない、底なしの泥沼かもしれないのです。
それにしても、以下味見しているように、本書は、ご大層な能書きはどこへやら、「通説」やら「俗説」やらを棄てきれずに引き摺っているのは、もったいない話で、これでは、「ゴミ屋敷」必然です。
未完
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