新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」 2/12 序論2 再掲
「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義 結論別儀 2021/08/14 2023/08/28
〇裏切られた抱負
氏は、『安易な「通説」追従や無効な「固定観念」を棄却して、論理の筋を明解にする』抱負ながら、当然必要となる「原文回帰」が果たせていません。実際には、東西両派を問わず、数多くの「固定観念」が混沌に手を貸しています。この点は、まことに残念であり、この急転はまことに残念です。
〇借り物の固定観念
1.短里説の不都合
行程道里記事の解釈は、「倭人伝」解釈の基礎の基礎であり、冒頭で解明しなければ、以下の論議の混沌に繋がります。この際、一から洗い直すべきです。
2.史料批判の欠如
「倭人伝」に対する批判の根拠とされる諸史料ですが、適確な史料批判のないままに、論義の確信に起用され、しばしば「倭人伝」誤記論の根拠とされているのが、不審そのものです。自明に近いものを列記しておきます。
⑴「三国史記」史料批判の欠如
当史料が編纂されたのは、新羅の統一時代、高麗による再統一を経た、いわば、原資料散佚後の再構成で、特に、統一以前の新羅に関する記事は、「正史」と対峙する資格のない「ジャンク]であり棄却すべきです。要は、統一新羅を高揚し、敵対「倭人」、「倭奴」は、客観的に書かれていないのです。
統一新羅といえども、「倭人伝」時代は、まともに国史記事を残せなかった辰韓の一員「辰韓斯羅」に過ぎず、倭国使を受ける立場にありません。
同記事は、年代比定が不合理で、採用した断片史料が、不都合な断片かと思わせます。と言うことで、本記事は、後世編者が、後知恵で半ば捏造したものとして、棄却すべきです。
氏は、「通説」論者が道ばたのごみを盛り付けた「ごちそう」にかぶりついているもので、「拾い食い」は止めた方が良いですよと進言するだけです。
氏には、慎重な史料批判を求めます。
⑵「翰苑」史料批判の欠如
本件は、小生にとっては、解決済みです。氏は、正確な史料批判のできない福永氏の提言に依拠し、これは「固定観念」の最たるものでしょう。
引き合いに出された福永氏は、「翰苑」の現物(影印版)を精査することなく、不正確な文字起こしに推定を重ねて「謝承後漢書」なる散佚史書を勝手に再構築し、現存「倭人伝」対等史料としたもので、率直に言うと、福永氏ほどの学識の方に不似合いな粗忽と言うしかありません。誰も、氏に対して事実誤認を指摘しなかったのは、「学界」として機能不全と見えます。いや、学説として公開していないから、批判されなかったのかも知れません。小生は、後日、中国哲學書電子化計劃サイトで、《遼海叢書》本《翰苑 遼東行部志 鴨江行部志節本》として、校訂済みの整然たる刊行物が収録されているのを見て、なぜ、心ある研究者が参照しないのか不思議に思っている次第です。
言うまでもないことですが、原文資料から書写、引用を重ねると、原資料から遠ざかるにつれて急速に失調が募り、史料が損壊してしまうのは常識中の常識で、そのような行程で起きる破壊的な誤写雪崩は、一度起きれば、取り返しのつかない惨状に陥ります。そのような惨状を満載した非史書「翰苑」は、原本でなく、不確かな引用を重ねた誤写満載「資料」なので、文献論議には、無用の廃材です。
このような不当な史料を根拠に論議するのは、冒頭の崇高な抱負に反するものであり残念です。氏には、慎重な史料批判と証人審査を求めます。
〇所感まとめ
主要部だけで力尽きた感じですが、氏は、新しい革袋の雑味のない「新酒」を、と訴えています。古いワインには古いワインなりの滋味があるのですが、氏は、「先賢」の独断と偏見を検証不十分なままに温存した古いワインを「新酒」と触れ込んでいるのは、民心を「迷わせて」いるのです。
*今さらの「長大」論議
例えば、「長大」なる普通の言葉の解釈を、用例を踏まえた古田氏の慎重な提言に背いて、俗説の「老齢」の決め込みで、『無謀で無法な卑弥呼老婆説捏造に加担する』愚行は、金輪際是正できないのでしょうか。
倭人伝をそのまま読めば、魏使が書いたのは、「女王は小娘時代に女王に担がれたが、ついこのあいだ、成人になった」と言う、まことに簡明で合理的な報告と思うのです。
因みに、ここで示された「長大」は、「成人」となったという意味であり、「いい年をしている」という意味ではないのですが、違いがわかるでしょうか。
この項完
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