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2023年8月28日 (月)

新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」鍵14 6/12 臺論2 再掲

 「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊 
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義  2021/08/14 2023/08/28

 ……陳寿も范曄も斐松之も李賢も……「謝承後漢書」を見たと思います。

 裴松之が付注に参照した史料は明記されています。裴松之補注は、陳寿が割愛した諸史料を蒸し返した例が多く、後世の東夷が安易に論じるべきではありません。また、裴松之は、信を置いていなかったと見える謝承「後漢書」から好んで補追したとは見えません。
 また、「陳寿が不勉強で謝承後漢書を知らなかった」と速断しては、軽率と言われるでしょう。福永氏は、随分尊大不謹慎と見えますが、高柴氏の引用錯誤も想定されるので、原文要確認です。

 なお、四先哲は同時代人でなく、「陳寿」と「裴松之及び笵曄」は、百年以上離れていて、同時に読むはずはありません。まして、李賢太子は唐代で別時代です。それぞれ、「見たからどうだ」というのかと、反発必至です。

 福永氏は「翰苑」高麗条に引用された雍公叡註三種の後漢書の内、最初のものは……「魏牧魏後漢書」で、次が……「苑嘩後漢書」、三番目の無名の「後漢書」が「謝承後漢書」である可能性を……見出され、「翰苑」の史料としての価値……を指摘しておられます。

 翰苑「高麗」(高句麗)記事は、「魏牧魏後漢書曰」と書き出しますが、単なる誤字を超えた深刻な問題をはらんでいます。
 本来は、「魏収」(人名)編纂「後魏書」(南北朝 北魏史書)が書名であり、ここでも、「翰苑」断簡は、誤記連発混乱多発です。つまり、想定される「翰苑」原本の「魏収後魏書曰」を粗忽な(素人か)写本工は、「魏牧」と誤記したのに続いて「魏」と書いて「後」を飛ばしたのに気づき、付記の後、書き癖で「後漢書」と書いたのでしょうか。高貴な書物の筆写で弁明不可能な不手際の弁明できない連発です。

 気の毒な写本工には「魏収」が人名との認識はなく、「後漢書」も「後魏書」も同じようなものだったのでしょうか。この写本工は、誤記に気づいても修正も目印付けもせず、出来上がった写本には、大事な「校正」がされていないのです。校正の無い写本がどうなるのか、見事な標本となっています。一度、このような写本が発生すると、ここから起こす写本は、回復不能なゴミと化すのです。
 「翰苑」断簡は、文書の格式が乱れていて、一行当たりの文字数は成り行き任せであり、本来格式の定まった原本を参照して写本していないためでしょう、諸所に齟齬を生じています。粗忽な走り書きの連鎖とも見えます。
 つまり、「翰苑」断簡は、書家が珍重する「国宝」文化財であっても、文書史料として全く信頼できない文字資料で、魏志現存刊本倭人伝に明記されている「壹」を否定して「臺」と書き替える効力を一切持たないのです。

 それ以外で、単に「後漢書」とあるのが、謝承、笵曄いずれの欠落なのか不明ですが、常識的には高名な范曄「後漢書」と見るものでしょう。「翰苑」は、文筆家のための文例集であることから、編者は、文筆家として高く評価された范曄の美文を優先したと思われますが、確認してないのでしょうか。

 いずれにしろ、このように不注意な誤記が放置され信頼できない史料の無批判な考察を根拠に、信頼すべき史料の誤記を主張するのは虚妄の極みです。
 そのような史料錯誤に気づかないのは福永氏の粗忽に過ぎません。「翰苑」転けて「福永氏」転けて、そして、と言う誤解の連鎖は、いつ停まるのでしょうか。小生が、ことさら指摘する意味は、おわかりいただけるでしょう。

*校訂済み「翰苑」
 因みに、翰苑断簡が初めて公開されたとき、《遼海叢書》本《翰苑 遼東行部志 鴨江行部志節本》として整然たる校訂済み叢書が刊行されているので、可能な限りの是正が施された最善史料が「中国哲學書電子化計劃」サイトに公開されているので、心ある研究者は、校訂されていない史料でなく、校訂済史料を参照して論ずるべきでしょう。

もとの三国志では「邪馬臺国」となっていた
 以上を踏まえて問題の「邪馬壹国」の部分を見ればどのようなことが判明するのでしょうか。

 以上のような「地雷」を踏んでも平気だというのでしょうか。勿体ないことです。何しろ、簡単な事柄に対して筆が泳ぐのは困ったものです。
 この鍵は、既に無効と判断されていますが、事のついでに追いかけます。

                                未完

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