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2023年8月29日 (火)

新・私の本棚 生野 眞好 陳寿が記した邪馬台国 魏晋朝短里再論 1/2 再掲

 海鳥社 2001年 7月  2019/02/08, 03/21, 08/05 2020/05/06 2021/12/12 補追 2022/01/25 2023/08/29
 私の見立て ★★★☆☆ 有力 但し、「短里」説依存は不合理 

◯再掲の弁
 随分旧聞になりましたが、当ブログの守備範囲の名著なので、内容を更新しました。徐々に結論が動いていますが、当方(ブログ著者の一人称)の見識の進展を示す意味もあって、再掲としました。

*総評   論点を絞り、論拠を明確にしました。 2019/08/05
 当ブログで、批判記事が短いのは、概して同感できる部分が多いことの表れです。「倭人伝」里制考証に絞ると、生野氏は、古田武彦氏の第一書における提言「三国志短里説」に賛同して、「三国志」全体(蜀書を除く)が短里制と判断したものの、安本美典氏の指摘で、「三国志」文献精査により検証を図り、最終的に、古田氏が更新した「魏晋朝短里説」を支持しています。
 と言うものの、以下に批判するように、氏の検証結論は疑わしい(ほぼ否定的という意味です)のです。

*魏晋朝短里説への批判 (決定的否定論の趣旨です)
 「倭人伝」の道里行程記事の考証で、理性的な研究者が必ず直面する課題は、「従郡至倭」と明示された区間の道里が万二千里と明記されていますが、中国古代の里制で言う普通「里」は、切りの良い数字で450㍍として六倍程度と推定されることから、一見して不合理に見えるにもかかわらず、編纂内容に責任のある陳寿が、検証と推敲の上で、あえてそのように書いたことに対して、合理的な説明を求められることにあります。つまり、当時最高とされた専門家が、素人目にも非合理な数字を書いた以上、当時の知識人に不備が丸見えと思われるのに対して、特段説明がされずに放置されているのは、まことに不合理だという事です。と言うことで、世上の俗説の大半は、いきなり排除されるのです。

 これに対して、「倭人伝」の「短里説」は、一見、筋の通った解答のように見えますが、公的資料に、一切、里制の変更が明記されていないため、否定的な見解に直面しました。古田氏は、「魏晋朝短里説」により、一種、臨時の政策として短里制が施行されたとの解釈により、施行期間を限定し、根拠となる記事を、「三国志」全般に求めました。期間は、「魏文帝曹丕(後に明帝曹叡と修正)に導入し、東晋再興時に廃止された」と判断しました。(第一書『「邪馬台国」はなかった 』(1971)で「三国志」短里説を提唱、以後、「魏晋朝短里説」と修正 )
 しかし、魏志、晋書、両正史に里制改訂の記録は存在しないので、晋書「地理志」の記事と併せて、魏朝は短里制を採用しなかったと断定できます。

*短里談義 再確認
 氏は、六尺一歩(ぶ)を里の根拠とする秦制に対して、魏朝短里の根拠を一尺一歩とすることにより、里が秦制の六分の一長となるとの論法のようです。秦始皇帝が、周の「尺里制」を「歩里制」に「きっちり六倍」したとすれば、「尺度」が動揺せず筋が通るのですが、「歩」が六分の一となると、各地の農地管理への影響が大きく、国政の根幹を揺るがす「大事件」です。例えば、田地の広さ「畝」は、「歩」と連動して変わりますから、国家の土台である税制が崩壊します。
 つまり、農地の検地に新「畝」が強制されると、土地台帳訂正、更新、地券改訂で全土が混乱します。秦始皇帝すら天下に秦制土地制度を徹底しても、自国の土地制度を書き換えることは厳重に避けたように見えるのです。

 何しろ、百害あって一利なし、絶対悪ですから、考えもしなかったでしょう。

*秦里制創出の不合理
 そもそも、秦が中原文化圏に参加した東周春秋時代、里制を包含する膨大な度量衡大系を確立し諸国に徹底できたのは、全国を文化で統御していたとされている西周時代の周だけであり、新参で未開の秦が、春秋戦国時代に、依然権威を持っていた東周周制を勝手に改変して、不法で征伐の対象となる独自の国内制度を制定したとは思えないのです。つまり、秦の国内制度は、まずは周制そのものを踏襲していたのです。文字を知らず計数ができなかった秦が、文明的な国法を施行したのは、中原の先進国魏から渡来した商鞅の功績とされています。
 その周制が、いわゆる「短里」であったとする確たる「証拠」は、一切残されていません。むしろ、晋書「地理志」に引用された「司馬法」によれば、周制は秦制に継承されたのであり、そこには、いわゆる「短里」は見当たりません。

 後は、俗信に依れば、秦始皇帝が、全土統一の際に、周制を引き継いだ自国里制をそのまま敷衍せずに、膨大な努力と諸国の反発が必然である全国里制の体系を創設、強制したことになりますが、そうでなくても、全国各地に官吏を赴任させるために、確立していた秦律の確立に必要な膨大な分量の文書制定、公布に尽力していたのに、一言で言えば、国政に何の利益も生まず、皇帝威光の高揚にもならない些末事に、それほどの危険を冒して、壮大な精力を注いだだろうかと言うことです。少なくとも、そうであれば、秦皇帝の格別の業績として明記されたはずです。
 以上は、あくまで状況証拠ですが、安易に排除すべきではないと考えます。

 重ねて言うと、当時の算木算術では、既定里の六倍/六分の一換算は、ほぼ不可能でしたから、全国で里制切り替えの実務が達成できないのです。(計算不要の十倍/十分の一なら、話は別ですが)

 再確認すると、太古以来晋代に到る里制の原史料が集積された晋書「地理志」は、秦里制は周制の継承としているので、周制短里は、歴史を知らない後世東夷人の誤解と見るべきです。
*無駄な史料審議
 氏は、40ページ以上にわたり「三国志」里制関連記事を審議しますが、陳寿自身が編纂した「魏志」はともかく、広範に東呉史官韋昭編纂の「呉書」を採用した「呉志」、さらには陳寿不関与の裴注所引「呉録」、「呉書」記事を議論しても無意味です。『魏制不追従の「蜀志」記事』『「魏志」の後漢朝期記事』の議論も無意味です。後漢献帝「建安」年間は、宰相から魏王に上り詰めた「曹操」の政権といえど、当然後漢制です。
 このような、適切な論拠に欠ける作業仮説の検証が、証拠としての適格性が疑わしい記事文例の解釈論として蒸し返されては、永遠に論争は終結しません。論拠なき「魏晋朝短里」説の論拠確立は、このように不法と見える仮説の提唱者に、全面的に立証責任があります。
*地域短里説談義
 と言うことで、「倭人伝」道里は、魏晋朝の全国制度ではなく、せいぜい郡特有の地域短里と見えます。
 しかし、法治国家である魏朝が、郡において不法な里制が施行されているのを見過ごしたとは、どうしても説明が付かないのです。
 秦代創設の遼東郡と漢武帝創設の楽浪郡は、「漢」の地方郡となって久しく、楽浪郡に中原の影響/後漢官制が届いていたと見える後漢末期、国政混乱に乗じて公孫氏が台頭、割拠したとはいえ、秦が統一した天下に普及させた「普通里」(450㍍程度)が、長年施行され、土地制度、税制の根幹となっていたと思われます。特に、土地制度/税制は、国政の根幹であり、変えようがないと言うべきです。

 陳寿が「倭人伝」の道里行程記事に筆を及ぼした時、同地の里制は、公孫氏時代以来継承されているため、史官の本分に照らして、公文書記事は不可侵であるため、里数に手を加えないことにしたように思います。

 結局、秦代以来の「普通里」と整合しない道里が書かれた公孫氏代以来の遼東郡/楽浪/帯方郡公文書を、合理的に説明するのに専心したのが、「倭人伝」道里行程記事となったと見えます。もっとも、周代以来、道里は、普通里(当ブログでは、概算に適した、450㍍を起用)が適用されていたので、自明の普通里が生きていたのです。書き出しで、公式道里が適用されていたはずの、郡狗邪韓国道里を七千里と明記した意義は、そこにあるように見えます。

*「里」の二面性説について
 当然、氏は、晋書「地理志」などを熟読しての事でしょうが、三世紀当時、距離計測単位の「里」、「道里」と土地区画の「里」、「方……里」は、単位系が異なっていたかと提起しますが、結論先行で書き募って、文献証拠は、いずれ整うというのでは、論議にならないので残念なのです。
 他の著者であれば、憶測が混じることはさほどの難点ではないのですが、生野氏の著作姿勢からすると不満なのです。
 因みに、当ブログ筆者の意見は、氏の臆測が、実は、ずばり正鵠を得ていたという意見です。もちろん、推測で証明したわけではなく、「九章算術」の演習史料に示された原則と陳寿「魏志」東夷伝「倭人伝」の文脈精査から得られた結論ですが、そのためには、「短里説」を忘れ去る必要があるのですから、氏には、かなり困難な(ダイハード)回心と見えます。

 と言うことで、長々と論じましたが、「短里」は、氏の創唱でなければ、氏の独創でもないので、以上は、氏の個人攻撃ではないのです。

                                未完

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