私の所感 遼海叢書 金毓黻遍 第八集 翰苑所収「卑彌妖惑」談義
2023/07/09 2023/09/23 史料参照/評価追加
*翰苑史料評価更新のお勧め
以下、「中国哲學書電子化計劃」所蔵「翰苑」史料を参照する。太宰府天満宮所蔵「翰苑」断簡の影印を、校訂/校勘しているので論考で参照すべきものと思われる。
翰苑 遼東行部志 鴨江行部志節本
*出典:遼海叢書 金毓黻遍 第八集 「翰苑一巻」 唐張楚金撰
據日本京都帝大景印本覆校
自昭和九年八月至十一年三月 遼海書社編纂、大連右文閣發賣 十集 百冊
卑彌妖惑翻葉群情臺與幼齒方諧眾望
後漢書曰 安帝永初元年有倭面上國王師升等獻生口百六十人願請見至 桓靈間倭國大亂更相攻伐歷年無主 有一女子名曰卑彌呼 事鬼神道能以妖惑眾於是共立為王 宗女臺與年十三為王 國中遂定其國官首曰支馬次曰彌馬升次曰彌馬僕次曰奴佳鞮之也
按宗女以下漢書未載
当ブログにて世上の「卑弥娥惑」との解釈が不適切であると述べているが、実は、百年近い昔に校訂済みであった。不明をお詫びする。
記事部分は、「後漢書」と称しているが笵曄「後漢書」「東夷列伝」倭条所引である。世上、「倭伝」と称しているが、「伝」の体裁をなしていないので、単に「倭条」と呼ぶことにする。
内容は、ほぼ「倭条」構文となっているが、末尾は、笵曄「後漢書」を「漢書」と呼び捨てていて味わい深い。
翰苑編者は、配下書生に蔵書「後漢書」から卑彌呼に因む所引を命じて得た本文を書き出したものの、「漢書」(笵曄「後漢書」)に「宗女」以下の字句はない(書き落としている)ので、陳寿「三国史」魏志倭人伝から所引して繋ぎ合わせて復元したと察している。要するに「漢書」(笵曄「後漢書」倭条)所引に続いて、断りなく魏志を所引しているが、翰苑編者は、原典が「倭人伝」に移っているのを隠蔽しているようである。あるいは、当時の常識として、笵曄「後漢書」東夷伝倭条と陳寿「三国史」魏志倭人伝のつながった創作資料を、「漢書」倭国条と称していたのかもしれない。時には、これを「魏志曰」として流用していたのかもしれない。
後世正史や類書に、笵曄「後漢書」倭条の「邪馬臺国」が横行して「邪馬壹国」が見えない原因は、このあたりの(杜撰な)編纂手法にあるように思える。百科全書の類いである「類書」の内容が、厖大な分野に渡り、史料としてみると遠大な年月を包括しているから、手っ取り早いやり口に出したとしても、咎められないのである。「倭人伝」の考察にあたって肝要なのは、類書や後代資料を、正史と同一の信頼性を有する厳密な資料と見ないことである。手短に言うと、史学の基本の基本として、史料批判、資料審査が不可欠なのである。
世上、「翰苑」断簡写本が、安直に、上級史料として参照されているのを見ると、素人なりに苦言を呈したくなるのである。
憑山負海鎮馬臺以建都
後漢書曰 倭在韓東南大海中依山島為居凡百餘國 自武帝滅朝鮮使譯通於漢者三十許國國皆稱王 其大倭王居邪馬臺國樂浪郡徼去其國萬二千里 其地大較在會稽東冶之東與珠崖儋耳相近
魏志曰 倭人在帶方東南大海之中依山島為國邑 炙問倭地絕在海中洲島之山 或絕或連周旋可五千餘里四面俱抵海 自營州東南經新羅至其國也
按炙問以下魏志未載
「倭条」、「倭人伝」に続いて、不明の後代史料から「自營州東南經新羅至其國也」と所引した上で、「炙問」(参問)以下は「魏志」に無いと決め付けている。この部分は、現存刊本で確認できるものであり、何かの勘違いだろうか。それとも、この部分は、「後漢書」の記載漏れだというものだろうか。浅学には、判別できない。
それにしても、後漢書「倭条」所引に依拠して「其大倭王」は「邪馬臺國」に居す、と決め付けていて、魏志「倭人伝」に明記されている「邪馬壹国」を無視している。
ここでは、後漢書(暗黙、当然の笵曄「後漢書」)「倭条」と魏志(陳寿「三国志」)「倭人伝」が、区別されているように見えるが、「魏志曰」の後半は、錯乱していて、落第答案になっている。
ここでも、編者は、苦言を呈しているだけで、是正していない。史料の厳密さは、大した関心事ではなかったと見える。
*まとめ
現代研究者諸兄姉は、原典確認/史料批判を怠らないが、「翰苑」所引編集担当者は、何ともぞんざいで、「三史」笵曄「後漢書」所引の不足を魏志「倭人伝」で補填する姿勢である。
全体として、当時の諸事情も有ってのことであろうが、手軽な流通写本に依拠して、同時代に帝室等に継承されていた貴重書/最善本を原典確認しなかったため、資料錯誤に陥ったと見え、寓話「伝言ゲーム」の誤写累積を、図らずも露呈していると見える。
*史料再評価の提言
諸兄姉は、後世正史や類書の「邪馬臺国」が、同時代の「魏志」から所引されたと断じているようだが、以上に露呈している後世正史や類書の編纂過程の雑然さにお気づきで無いようである。少なくとも杜撰史料は、それ相応な史料評価が先決と思う。
当然極まりないと思うのだが、国宝級の貴重書として厳正に写本継承された現存刊本「魏志」と粗雑な所引佚文を同等評価するのは、深刻な勘違いではないかと思量するものである。
貴重書の末裔である現存刊本に誤伝がある(無欠点ではない)ことは間違いない/否定できないが、「厳正」や「厳密」とほど遠い、無造作、粗略な「野良写本」「走り書き所引」の成れの果ての粗雑史料と同列に扱うのは、科学的な態度ではないと思うものである。
世上、侃々諤々の論義に勤しんでいる諸兄姉は、後世の非難を浴びないように、よくよく考え直して頂きたいものである。
以上
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