「古田史学」追想 遮りがたい水脈 1 「臺」について 改訂・付記 2/3
2015/11/01 再追加 2022/01/12 2023/09/16
付記 2015/11/01
語気の鋭い主張ほど、例外に弱いものである。特に、一部の稚拙な反対論者は、細瑾を持って「致命的」と称する稚拙な攻撃法を取っている。「一点でも誤謬があれば、学説全体が崩壊する」と決め付ける稚拙な手口であるが、つまり、口先の勢いしか、武器がないという「窮鼠」の最後の悪足掻きなので、相手にしないで良いのである。「例外のない法則は無い」というものである。
陳寿は、三国志の編纂に当たって、天子の宮殿、ないしは、離宮の類いのみに「臺」の使用を規制したと思われるが、人名は正しきれなかったと思われる。例えば、著名な人物で「孫堅字文臺」とあるように、何人かの人名で「臺」が使われているのが見受けられる。
このように、三国志を全文検索すると、魏の支配下になかった人物や魏朝の成立以前に「字」(あざな)を付けた人物、言うなら、曹操の同時代人および曹操以前の人物の「字」を書き換えてはいないようである。ちなみに、孫堅伝は、あくまで、東呉史官韋昭が編纂し、東呉君主に奉献した呉書が、東呉滅亡の際に、西晋皇帝に献上し、嘉納された史書が、帝室書庫に所蔵されていたものを、陳寿が、皇帝承認の史料として、ほぼそのまま「呉国志」として、「三国志」の要諦として鼎立させたものである。
三国志本文に限っても、「陳宮字公臺」(魏書 張邈傳)、「王觀字偉臺」(魏書 王觀傳)、「孫靜字幼臺,堅季弟也」(呉書 孫靜傳)の用例が見られる。
古田氏は、「臺」を「神聖至高の文字」とまで口を極めているが、これは言い過ぎであろう。「臺」の使用規制は、天子の実名を諱として避ける厳格さまでには至っていないのである。
なお、呉書諸葛恪傳に「故遣中臺近官」の記述があり、呉書および蜀書においては、魏書におけるほど、厳格に「臺」の使用を規制していないものと思われる。つまり、呉書だけでなく、蜀書も、曹魏書記官/史官の編纂した史書ではないので、用語基準が異なるのであり、陳寿は、両国志に編纂の手を加えていないので、魏書の用語の用例としては、不適当な場合が多いと懸念される。いや、魏書に限定しても、曹魏書記官/史官が精査した本紀部の用語/構文と異なり、夷蕃伝、特に、新参の「倭人」に関する「伝」は、一貫した編集/構成が存在しないと見え、陳寿も、魏志夷蕃伝の編纂にあたって、原史料の用語/後世に、改竄、と言うか、史官校閲の手を加えていないと見えるので、必ずしも、一貫した考証が容易とは見えないのである。
この論義は、古田武彦師の学問の道と軌を一にしていないので、本稿タイトルと蹉跌をなしていると見えるかもしれないが、小論は、古田武彦師の史学の道は、首尾一貫していて、後生によって維持されていると評したものであり、小論は、古田師の論義に無批判に追従しているのではない。よく聞き分けていただきたいものである。
当付記を書くについては、中国哲学書電子化計劃が公開している三国志テキストデータを全文検索させていただいたが、「臺」の用例として「邪馬臺國」はヒットしない。この事実認識を「倭人伝論」の出発点としていただきたいものである。
未完
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