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2023年9月19日 (火)

私の意見 須玖岡本遺跡 春日熊野神社随想

               初掲 2013/12/31 再掲 2023/09/19
*再掲の弁
 今般、常々参考にさせていただいている
 「古賀達也の洛中洛外日記」 第3114話 2023/09/15 『筑前国続風土記拾遺』で探る卑弥呼の墓
 に、掲題神社に関する新たな論考が示されたので、懐旧の念をこめて再掲いたします。
 また、別途書評している高柴 昭「邪馬臺国は福岡平野にあった」に於いて、須玖岡本遺跡と春日熊野神社 について、一項が割かれていて女王の墓所と示されていることは、取り扱いがむつかしいので、先送りしたのですが、別記事を参照することとしました。
 新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」 番外 「春日市の王墓 -惑わされない鍵15」 

*初稿再掲
 初心者時代に、近場の古書店店頭で立ち読みして、早速購入したものであり、第一印象に近いものですが、春日熊野神社は、倭國王墓の守りではないかとの感慨があります。これは特に、根拠のない思いつきで、「倭人伝」記事に直接関係するものではありません。
 下記参考資料「筑前須玖史前遺跡の研究」 京都帝國大学文學部考古学研究報告
(原本 昭和五年発行)
は、福岡県春日市岡本町に現存する須玖・岡本遺跡(岡本遺跡)の発掘報告であり、当然、学術的な史料であって、簡単に論評できるものではないのですが、所収の発掘現場パノラマ写真(圖版第二 岡本遺跡地展望(西方より望む) )と周辺地図(圖版第三 岡本発掘地點及び附近地形圖)を見ると感慨が浮かんできます。
 なお、本史料は、古書店でよく見かけるとは言え、参照困難と思いますので、ここでは、つなぎ合わせた圖版第二を下掲します。

・発掘地点は、古代の墓地であったようで、甕棺と副葬物が発掘され、この報告書になっています。
・発掘地点の東南の方角にこんもりした岡があって、その頂上に熊野神社が安置されています。

 現地を実地確認したわけでもないのに、色々言うのは僭越そのものなのですが、このようなこんもりした岡は、高貴な人の墓所にふさわしく、墓址の真上に礼拝所を設けたのが、そのままの位置で熊野神社となったという気がしてきます。いや、当時、一の宮として尊崇されていた「神社」が、後世「熊野社」とされたのかも知れません。
 高貴な人が亡くなったときに、墳墓を造成して盛り上げるのは、古墳時代になってから発展したものであり、それ以前は、小高い岡の頂を掘り下げ、被葬者を副葬品と共に埋葬して軽く盛り土し、岡の周辺に供え物を並べて、墓所としたのではないかと思っています。
 特に、生前に墓作りをする風習がなければ、没後に新たに工事して間に合う程度の墓所作りになっていたかと思います。特に、被葬者が、若くして亡くなった場合は、備えができていないのではないでしょうか。

 当報告書を見ると、須玖遺跡は、低地に、それほど高貴ではない人たちの墓所を、岡の中腹には、そこそこ高貴な人たちの墓所を、それぞれ設ける階層式になっていたのではないかと想像します。
 当報告書に書かれた京都帝大文学部の発掘以後、豊かな副葬品を備えた「王墓」が発掘されているようですが、ここに葬られている「高貴な人」は、王以上の存在だろうと想像しています。何しろ、一番高いところに、厳重に護られて眠っているのですから。

 当報告書によれば、報告書の発掘の以前に、岡の中腹部の崖崩れで甕棺が露出したことがあったようですが、熊野神社と鎮守の森とはその真下に眠る人たちを丁寧に護っていて、今日まで、穏やかに過ごしているものと思います。
 して見ると、熊野神社は、特別な墓所を、後世の盗掘から防いでいたとも思います。

 なお、ここが、定説として奴国遺跡とされていることについては、諸論、異論があるようなので避けて通ります。

 因みに、同様に由緒を感じる場所として思い出すのは、倉敷市阿知の阿智神社です。往時は、海の近くにあって、海を望む小高い岡であったことが、そのように思わせるのです。同地は、小生の敬愛する将棋15世名人大山康晴氏の出身地であり、また、観光名所「倉敷市景観地区」の守り神でもあるようです。

 以上の憶測が、現地の方にご迷惑をかけたら、ごめんなさい。

*参照資料
 「筑前須玖史前遺跡の研究
  京都帝國大学文學部考古学研究報告 第十一刷 (昭和三年から昭和五年)
    株式会社 臨川書店刊 昭和五十一年九月復刊  (原本 昭和五年発行)
Okamoto_kumanosha_1280
*追記
 以上の私見をまとめ上げて、ほんの数日して、「よみがえる卑弥呼」 (古田武彦 朝日文庫 1992年)の第6篇 「邪馬壹国の原点」で同様な推定が公刊されていることを知りました。(よみがえる卑弥呼:日本国はいつ始まったか (古田武彦・古代史コレクション 7) 単行本 – 2011/9/30)
 多分、上記参考資料に触発された点で共通したものがあるのでしょうが、本論は(新発見の)主張では無く、あくまで、素人の感慨をしめすものなので、特に取るに足りないものと思い、予定通り発表します。
 何にしろ、二番煎じは、感心しないのですが、ほぼ独力で想定した内容なので、ここに残します。

以上

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