新・私の本棚 渡邊 徹 「邪馬台国への道 ~熊本・宮地台地…」 9/14 再掲
邪馬台国への道 ~熊本・宮地台地に眠る失われた弥生の都~ Kindle書籍 (Wiz Publishing. Kindle版)(アマゾン)
私の見立て ★★★★☆ 力作 ただし勉強不足歴然 2019/03/30 追記 2020/05/19,2021/03/27,2022/01/17,2023/09/02
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲したことをお断りします。代わって、正体不明の進入者があり、自衛策がないので、引きつづき更新を積み重ねています。
*巨大な前車の後ろ影か
この辺り、氏が範を求めたと思われる岡本健一氏の「邪馬台国論争」(同書)の弱点を「忠実に」継承した感じで、一人前の研究者は、ここまで律儀に前車の轍を辿らなくてもいいように思います。せめて、前車の行く末が天上楽土なのか、堕地獄なのか、よくよく確かめてから追従した方が良いでしょう。古来言われる、「レミング」現象に陥っていると言いたいところですが、実在の野生動物であるレミングが、実際にそのように行動しているという確証を見ていないので、なんとか自制します。
*自由創作の悪例踏襲
就中、渡邊氏は、岡本氏の「読み下し文」に依拠していますが、「倭人伝」岡本本は、既に原典不明確で、和田清・石原道博両氏、山尾幸久氏などの読み下し文を総合的に勘案し、最終的に、「岡本氏の気ままな手前味噌」としています。成分、処方不明の手造りブレンドでは、検証にほとほと困るのです。
渡邊氏は、そのような岡本本闇鍋史料を引用し、論考の基礎としていて、その当否は、既に混沌としていて、検証には、このように同書の批判に手を付けなければならないのも、本書の史料批判上の難点と考えます。
言うまでもないですが、「倭人伝」解釈は、「倭人伝」史料に厳重に立脚していなければ、まがい物なのです。現代改竄私家本は、現代の創作文芸であり、峻別して遠ざけるべきです。
同書は紹凞刊本の写真版(影印版)を掲載していますが、どの程度依拠し、どう改編したか触れてないので、影印版掲載の意義が不明です。
*読み下し文の著作権
言うまでもなく、一私人の私見ですが、原則として、漢文古文読み下しは、著作権の消滅した古代資料の文字列を明快な規則に従って日本語として字句を並べ替え、最低限のかなを補う著作であるので、新たに芸術的な創作はされず、従って著作権はないものと思います。
もちろん、読み下しの労力は尊敬すべきであり、引用に際して出典明記が必要ですが、著作権の配慮は必要ないと解します。また、各氏の読み下し文は、公共の用に供するために公開されていて、適切な引用は、予め許諾されていると感じます。
つまり、岡本氏が、それほどまで手の内を隠して、個性的な手前味噌を捏ねる意図が理解困難です。独自創作のつもりでしょうか。史学論で、自由創作とは、不可解そのものです。いや、このあたりは、岡本氏批判ですから、本書の批判そのものではないのです。
なお、いわゆる現代語文は、多大な追加と読み替えを注ぎ足した上で創作された現代著作物であり、著作権が生じるものと考えます。逆に言うと、現代語文は、現代人の新たな創作であり、史料そのものではないのですが、そのような趣旨は滅多に見かけず、ひたすら、原典に忠実とか、自然にとか、言いくるめているのは不可解です。
*岡本氏の逃げ業 余談
ついでながら、岡本氏批判の続きとして、同書最後に「陳寿のイメージ」と銘打ち、「聖人陳寿の肖像画」出土かと「惑い」ます。なぜ、ちゃんとした言葉で書かないのでしょうか。どうせ、読者は俗耳の持ち主ばかりだと、なめてかかっているのでしょうか。
岡本氏は、畿内説擁護に窮した時も、土俵を割ったと認めず、意味不明なカタカナ語、情緒表現、果ては、講談ネタの与太話の影に逃げ込みますが、これでは異様な見出しの不意打ちを記事で補足しない三流ジャーナリストの手口満載と思わせます。
実際は、「倭人伝」里程論が不首尾で、洛陽の抱く「イメージ」と食い違う、との難癖ですが、氏は算数に弱いので視線が泳ぐのです。
この点、渡邊氏は、健全な算術を会得していて、簡単にドブ泥にはまらないようです。そのように、無批判な追従は避け、悪例の欠陥を真似しないでいただきたいものです。
ことのついでに、同書の概観をまとめると、示された道程観は、世にある諸説の闇鍋を、誰も期待していない氏の自説の匙でかき混ぜて混沌とする使命を果たしただけで、論争を鳥瞰、平定できていないので、同書を、学会の最先端、最高峰と見てはならないのです。
また、同書の主要部は、「倭人伝」の銅鏡、魏鏡説擁護に空費され、痛々しいのです。
と言うことで、渡邊氏は、不用意にも、その立論の基礎に、不確かなあてにならない礎石を置いたと見えます。氏ほどの見識があれば、「木は生える土地を選べないが、鳥は泊まる木を選べる」のではないでしょうか。
未完
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