新・私の本棚 高柴 昭「邪馬台国は福岡平野にあった」 番外 「春日市の王墓 -惑わされない鍵15」
「通説に惑わされない21の鍵」(文藝春秋企画出版)2015年4月刊
私の見立て ★★★★☆ 総論賛成、各論疑義 2023/09/18
*番外編の弁 2023/09/19 直言批判の試み
「春日市の王墓 -惑わされない鍵15」 百六十八㌻
参照元 私の意見 須玖岡本遺跡 春日熊野神社随想
*原典隠蔽
高柴氏は、全般的に本書内容に出典を示していないため、氏が、古田師第一書『「邪馬台国」はなかった』に触れるだけで、古田師のそれ以降の著書をどの程度引用しているか、一般読者には不明であり、原典を隠蔽しているため、下記公知の著作物の盗用、剽窃と見られてしまうではないかと懸念するものです。
「よみがえる卑弥呼」 (古田武彦 朝日文庫 1992年)の第6篇 「邪馬壹国の原点」-「よみがえる卑弥呼:日本国はいつ始まったか」 (古田武彦・古代史コレクション 7) 単行本 – 2011/9/30 ミネルヴァ書房
*無批判追従の弊
因みに、高柴氏は、福永晋三氏の「調査」になぜか共鳴し、福永氏の講演の所感を述べた後で『「魏志倭人伝」には、もともと「邪馬臺国」と書かれていた』という「異説」に帰順したように見えますが、当方が福永氏のネット上公開記事を見た限り、福永氏の論考は、聞きかじりの継ぎ接ぎに氏の臆測を塗りつけたものであり、「倭人伝」の確たる記事に対する有効な「異議」となり得ないものと見えます。
現に、高柴氏は、福永氏講演の自己流解釈に「独り合点」してべったりと紹介しているだけであり、首肯するだけで検証した形跡がなく、かつ、福永氏の文字資料を原典参照していないのですから、一般読者が本書本項に対して疑問を呈しても、結局、本書で確認できるのは、高柴氏が、あくまで個人的にそのように理解して心情に共鳴したと言うだけで、福永氏の意見自体を追検証できないので、甲斐のないことなのです。
要するに、紹介されている限り、福永氏は『「倭人伝」の「邪馬壹国」が、陳寿原本で「邪馬臺国」であった』と論証していない/できていないと見えるので、高柴氏の回心は、非論理的・不合理で、不審そのものです。それが、高柴氏の紹介の不手際なのか、福永氏の所説開示が杜撰なのかの追求は、ますます圏外なので、ここでは述べません。高柴氏には、少なくとも、福永氏の所感の『史料批判』/「証人審査」として、最低限、的確な引用紹介をする義務があると感じるだけです。
ちなみに、福永氏は、何らかの事情で古田師に怨恨の情を抱いたようで、古田師死去の報道に対して、死者を罵倒する言説をネット上で公開されましたが、福永氏に共鳴した高柴氏も、同様に怨恨の情がお有りだったのでしょうか。とにかく、最早反論できない論敵を攻撃するのは、感心しないこと甚だしいと感じたものです。まことに勿体ないことです。
斯くして、高柴氏は、感情的に古田師の論考を敬遠し、本件に関しても、古田師の公刊された/つまり、衆知の論考に言及していない失態を示しているのですが、なぜか、本書では、堂々と「春日市の王墓 -惑わされない鍵15」として、詳しく述べられています。確かに、氏の論説は、須玖岡本遺跡の発掘成果を、中山平次郎博士の「報告書」に続いて、梅原末治博士の「報告書」を紹介していますが、結局、梅原博士と原田大六氏の所見が相克して、両者他界されたという事態を述べるだけであり、氏ほどの見識の方の論考にしては、締まり/詰めがなく、大変疑問に感じる態度です。
そのあと、氏の論義は、隣接している大南遺跡に、水壕めいた断簡があるのを、大規模な環濠の一部とこじつけ、同遺跡は、大規模な環濠集落と見立てていて、締まりの無い見解に終わっています。
「倭人伝」は、冒頭で、倭人首長の居城を「國邑」と形容することによって、太古以来の中原の伝統である「城壁」(石積みの隔壁、防壁)が必須であったことを想起させ、そのような「規律」に対して、行程上の対海国、一支国は、大海の州島なので、海水を城壁として略式として認められていると述べるだけであり、末羅国以南の陸地「國邑」が、城柵だけで城壁を有しない、守備の面で、大いに失格であると「明らかに」示唆していますが、その際ですら、環濠を言い訳として述べてないので、氏の引用は「親魏倭王」居城として正当化できないのです。
ついでながら、太古の「國邑」に擬えるしかない女王居処は、そもそも蛮夷の王に「都」があり得ないのと相俟って、大変不適切な解釈になっています。高柴氏の周囲には、そのような当然の指摘を苦言として提示するする方はいないのだなと思う次第です。大変もったいないことです。(異例の勉強家である古田師も、このような格式の次第を見落としているので、別に、高柴氏が、特段に不見識と言っているのではないのです)
総体として、素人目には、先行する古田師の成果の上に、いたずらに虚構を打ち立てているように見えるのですが、氏が、先行文献を紹介し、克服する手順を踏んでいないので、意図してか、しなくてか、結果として「盗用」しているように見えるのです。
高柴氏には、高柴氏の言い分があるのでしょうが、古田師の論考を無視して、自己の創唱の如く書きまとめるのは、大変感心しない所業と見ます。
以上
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