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2023年10月13日 (金)

新・私の本棚 番外 ブログ 刮目天一 「権力者の歴史書は政治文書だよ!(^_-)-☆」 2/2

~刮目天(かつもくてん)の古代史だ! 2023/10/12 
権力者の歴史書は政治文書だよ!(^_-)-☆               当記事公開 2023/10/13 追記 2023/10/15

*コメント [承前]
 対して、陳寿は、西晋健在の時代に、司馬遷「史記」、班固「漢書」を踏まえ、「倭人伝」では、時点の皇帝明帝曹叡の「功績」を語っています。
 一方、明帝が臨終で遺孤曹芳を託した司馬懿は、忠誠を誓いながら、陰謀で曹魏の実権を握り、曹芳を諡の無い廃位に追い込んだと明記されているので、むしろ、非難とみるべきです。なお、司馬懿絵姿は無用/蛇足と愚考します。

 「魏志倭人伝の行程記事や倭の風俗記事は、難升米が朝貢のために約半年滞在して劉夏と司馬懿を持ち上げるために談合して作られたのです。これは、伊都国の国名の意味から判明し、孟子を読む教養人の難升米が漢字で書いて魏に教えたものであることが判明しています(詳細は「刮目天の古代史 伊都国の意味がヒントだった?」参照)。」

*コメント
 微妙な誤解ですが、難升米は、蛮王の代理[たる下級官吏(倭大夫)]に過ぎず、「魏」(帯方郡太守)に「教える」などあり得ないことです。天下を統率する「魏」と東夷の「倭人」の立場は隔絶しています。(倭の地位が格段に低いのです。念のため)因みに、難升米が、「天子と雖も、徳を喪えば失墜する」と説いた「孟子」を熟読したかどうか、証拠がないので臆測に過ぎません。急に細かくなって、劉夏を司馬懿と並べて持ち上げているというのも、今一つ理解できません。
 ついでながら、倭人伝冒頭の「郡から倭まで」の行程記事は、大変精緻で、郡太守と倭大夫如きが相談して、半年で作れるものではないはずです。いずれにしろ、西晋史官陳寿が、[西遷した後漢/魏朝公文書を]最終的に編纂校訂したから、そのように解するのが、氏の本意のはずですが、なぜか、ここでは不本意な書き方です。続く、風俗記事は、大半が現地見聞報告で、魏使訪倭以前に、書くことはできないのです。(一部[加筆]、削除 2023/10/15)

 「これによって邪馬台国の位置も、卑弥呼の正体も、卑弥呼の墓が日本最大の円墳の宇佐市安心院町「三柱山古墳」であることも発見しました(詳細「卑弥呼の墓は見つかってるよ!」参照)。」 
 「古代史に謎が多いのは、政治的な理由から文献に真実が書かれていないからなのです。」「女王の居城の平面図」は省略
 「同時代史の三国志に懲りたシナは、それ以降、ずっと後の時代に歴史書を編纂する習慣が定着したので改善されましたが、原本が残っておらず、残された写本にも誤字などがあるために様々な解釈が出るという問題があります。
 「日本の場合は、現存する最古の正史「日本書紀」以下の六国史は藤原政権下で編纂されたものですので、天皇の歴史書ではなく藤原氏の権力維持のための政治文書だったということに気付けば謎の古代史はどんどん解明できますよ。」 

*コメント
 「日本」が発言した701年以降の「日本」古代史については、全くの素人で、刮目天氏の「日本書紀」観には口を挟めないので、ここでは素朴な疑問を述べるだけです。
 ・「日本書紀」原本は、現存しているのでしょうか。(当然、存在していないはずです)
 ・「日本書紀」現存写本は、写本の際に、都度厳格に校正され、解釈を迷わせる誤字などないものなのでしょうか。(数値化して比較していただければ幸いです)
 「ずっと後の時代」に編纂された歴史書には、余り通じていないので、恥を忍んで教えを請う次第です。お手数ながら、公平のため、確認いただきたいものです。
 因みに、古代史では、「問題」には、必ず解答があるのです。
 中国「正史」には、それぞれの由来、経緯がありますが、「三国志」魏志は、[刊本となった南宋期に至るまで、]幾度かの国家事業で校訂を重ね。大変確実なのです。

*余談
 氏を含め、業界人の「倭人伝」論は、陳寿「三国志」なる中国史書が、帝国公文書を編纂した「厳格な記録文書」であることに気づいていないので、岡田英弘、渡邉義浩両巨魁に始まる、素人の「思い込み」が色濃い「誤解流」史観に帰属した「俗説」に見えるのは大変残念です。

 氏が、「俗説」と一線を劃された古代史論を展開されているのは、重々承知しているのですが、当コメントに集約された「倭人伝」観が、世上蔓延している「俗説」に感染されていると見えるのは誠に残念です。中国史料については、調べが行き届いていらっしゃらないのでしょうか。

妄言多謝。頓首頓首。死罪死罪。

追記 2023/10/15 後出し御免
 「中国史料については、調べが行き届いていらっしゃらない」とは、言葉足らずであったようです。「史料について調べる」とは、史官の教養である古代史書知識を知るために、関連資料を読んで、史官の深意を知ることにあるのです。当ブログ過去記事では、漢書「西域伝」、倭人伝に続く魚豢「魏略」西戎伝をはじめ、袁宏「後漢紀」笵曄「後漢書」西域伝を併読して、誤解流の創始者たる岡田氏の年代物の骨董品である「断言」が確たる根拠の無い思い違い/誤解であると論証しているのです。岡田氏は、後年、中国史に関する理解を深めた後は、当然、「若気の至り」について思い直されたことと思うのですが、自説の根幹にあたるので、改訂できなかったと見えます。
 そもそも、陳寿が編纂した「魏志」は、編者の意図的な曲筆などあり得ない、前代史の事実/公文書資料の再構成なので、そこに書かれていない編集意図を臆測しても、思いつきの意見を立証することは、大変困難(事実上不可能)と信じます。
 岡田氏の意見を「素人の思い込み」と断じたのは、論証として必要な立証努力が完遂されていないことに起因します。

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