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2023年11月29日 (水)

新・私の本棚 サイト記事批判 宝賀 寿男 「邪馬台国論争は必要なかった」 部分更新

 -邪馬台国所在地問題の解決へのアプローチ-   2022/01/27 改訂 2023/11/29, 12/02

〇サイト記事批判の弁~前言限定
 宝賀氏のサイト記事については、以前、懇切丁寧な批判記事を5ページ作成したが、どうも、無用の長物だったようなので、1ページに凝縮して再公開したものである。
 宝賀氏は、記事引用がお嫌いのようであるが、客観的批判は(著作権法で許容の)原文引用無しにできないのでご勘弁戴きたい。世上溢れる素人の印象批判は思い付きがめだって不公平である。岡田英弘氏の名言を借りて、自戒の念をこめて下記する。

*自称「二千年後世の無教養な東夷」
 岡田氏は、三世紀西晋の史官陳寿は、「千七百年もあとになって、この東海の野蛮人の後裔が邪馬台国ゲームを楽しむことを予想して、親切心から「倭人伝」を書いたわけ」ではないと処断しているが、どうも、読者の耳に入っていないと見えるので、ここに再掲しておく。(岡田英弘著作集 Ⅲ 日本とは何か 第Ⅱ部 倭国の時代 邪馬台国vs大月氏国)
 当方は、近来、岡田氏の大著の「山塊」に記された警句に気づかず、「二千年後世の無教養な東夷」などと警句を連打していたが、大家の警句が浸透しないのだから、当方如きの警句は聞き流されているようである。
 当方は、素人は素人であっても、極力客観的な批判を試みたのである。 

*救われない俗人
 いきなり、『俗に「信じる者は救われる」』とあるが、凡人には、なんで、誰に「救われる」のかわからない。凡人に通じない「枕」で「滑る」のは勿体ないことである。

*信念無き者達
 「信念はかえって合理的解決の妨げ」とのご託宣であるが、「不適当な信念は、かえって合理的な解決を妨げる」なら主旨明解で異論は無い。私見では、信念なしに研究するのは「子供」である。なぜ、あらぬ方に筆を撓ませるのか。滑り続けている。

*古田史観の誤解、宝賀史学の提唱
 宝賀氏の誤解はともかく、古田氏は、『「倭人伝」研究は、史学の基本に忠実に「原点」を一定に保つべきである』と言っているに過ぎない。頭から、「倭人伝」が間違っているに決まっていると思い込んでは、研究にならない』のである。つまり、志(こころざし)としては、宝賀氏と同志と見える。

 言い方を変えてみる。古田氏は、現存、最良の「倭人伝」史料を原点にする』という「学問的に当然の手順を確認している」のである。宝賀氏は、「原点」に対してはるか後世のもの(二千年後世の無教養な東夷)が改竄を加えた新「倭人伝」を自己流の「原点」として主張しているのであるが、それは、後世著作物である『新「倭人伝」』を論じているのであり、それは、古典的な史学で無く、「宝賀史学」とでも呼ぶべきものである。まことに勿体ない行き違いである。

*的外れな「倭人伝」批判
 因みに、かっこ内の陳寿批判は、『宝賀氏の不勉強』を示しているに過ぎない。(「不勉強」は、本来謙遜の自称であるが、ここは、言い間違いをご勘弁いただきたい)
 古代に於いて、許可無くして機密公文書を渉猟して史書を書くのは、重罪(死刑)であるから、陳寿の編纂行為は公認されていたのである。三国志編纂は、西晋朝公認、むしろ、使命と見るべきである。「私撰」とは、浅慮の思い過ごしでは無いか。
 「倭人伝」が雑然』とか、『陳寿が全知で無い』とは、まるで、素人の勝手な思い込みである。一度、ご自身の「信念」を自評して頂くと良いのでは無いか。
 いずれにしろ、「倭人伝」の史料としての評価は、「原点」確認の後に行うものであり、宝賀氏の咆吼は、言うならば、勘違いの手番違い、手順前後である。また、おっしゃるような「悪態」は、「倭人伝」の史料批判には、何の役にも立たないのである。却って、発言者の資格を疑わせることになる。随分、損してますよと言うことである。

*「魚豢批判」批判
 白崎氏批判は置くとして、『文典で基本となるのは、魚豢「魏略」残簡しかない』というのは極度の思い込みである。魚豢は魏朝官人であり史官に近い立場と思われるが、私撰かどうか、現代人の知ったことでない。(「魏略」は、「名は体を表す」。 「正史」でもなんでもないのである)「漢書」を編纂した班固と違い、陳寿も魚豢も、「私撰」の大罪で投獄されたりしていないのである。
 ここで、「魏略」論が、混濁/混入しているが、『「手放しで」同時代史料』とは意味不明である。
 「魏略」佚文』に誤写が多いのは、校正作業を手抜きした低級な「佚文書写」故であり、「倭人伝」基準で言えば「桁外れ」に誤写が多いのは必然である。「倭人伝」二千文字に、二十文字誤写が有ったとしたら、それでも、十分許容される一㌫であるが、『「魏略」佚文』 では、数㌫と言えない「桁違いの泥沼」と定量的に言明すべきと思うものである。「史記」基準なら、可愛いものかも知れないが、ここでは、「三国志」の基準を適用するしかない。
 史学の史料考察は、最高のものを基準とすべきなのか、許容範囲の最低のものを基準とすべきか、よくよく考えていただきたいものである。これは、室賀氏に対する個人的な批判では無い。

 三国志」は、陳寿没後、程なくして、陳寿が用意していた完成稿(の絶妙の複製)が上申され、皇帝の嘉納を得て、西晋帝室書庫に収納されたから、以後、王室継承の際などの動揺はあっても、大局的には、初稿が「健全」に維持されたのである。時に、低俗サイトで持ち出されるような「改竄」など、できようはずがない「痴人の白日夢」である。これは、室賀氏に対する個人的な批判では無い。

 全体に言えることなのでが、中国史書を論じているのに、「二千年後世の無教養な東夷」の世界観で裁いている感が、業界全体に漂っていて「和臭」が強いのは、「日本」特有の一種の風土病かも知れず、つけるクスリが無いとか言われそうなのである。もちのろん、これは、室賀氏に対する個人的な批判では無い。誰かが気づいてくれたらと思うのだが、岡田英弘氏の警鐘が効いていないのだから、ここで素人が何を言っても通じないのだろうが、近来、ここで言うことにしたのである。

 後世、特に現代の文献学者は、「三国志」には、あげつらうべき異本が無く、まことに、「飯のタネにならん」と慨嘆しているのである。「三国志」を写本錯誤の教材にしようというのは、銭湯の湯船に自慢の釣り竿の釣り糸を垂れるようなもの」であり、見当違いなのである。釣れなかったら、河岸を変えることをお勧めする。

*「倭人伝」批判再び
 「倭人伝」批判が続くが、「それだけで完全で」は、「完全」の基準なしでは氏の先入観/思い込みと見るしかない。二千字の史料が、完全無欠なはずはない。当たり前の話である。つづいて、「トータル」で整合性がない』との印象評価だが、「トータル」は古代史用例が無く意味不明である。
 氏の先入観、印象は、第三者の知ったことでないので恐れ入るしか無い。学術的に意義のあるご意見を承りたいものである。

 丁寧に言うと、「倭人伝」は、陳寿が、編纂に際して入手できた公文書史料を集成したものであり、史官が、史料を改竄するのは「死罪」ものであるから、「述べて作らず」の使命を守っているのである。そのために、素材とした史料の文体、語法などが不統一と見えても、それは、陳寿が史官の本分を遵守したことを示しているのである。
 いや、陳寿は、「正史」を「史実」/歴史的な真実の記録の集大成と見ているので、史料を割愛した例は多いと見えるが、それは、史官の信条に基づく「正義」の割愛であり、まずは、当時、その場で史官の真意を知ることができなかった後世東夷の読者、「二千年後世の無教養な東夷」としては、そのような編纂方針を甘受すべきと思われる。
 あえて無礼な言い方をすると、氏は、断じて、陳寿に比肩すべき知性、教養の持ち主であって、陳寿に取って代わって、魏志編纂を執行する抱負をお持ちなのだろうか。背比べの相手を間違えているように思うのである。

*「混ぜご飯」嫌い
 素人考えながら、持論としての古田、白崎両氏の批判だけで切りを付けて、史料批判は別稿とした方がいいのである。具の多い混ぜご飯は、好き嫌いがある。論考の強靱さは、論理の鎖のもっとも弱いところで評価されるのである。

*「魏略」再考 2023/12/02補充
 因みに、魏略」の文献評価は、劉宋史官裴松之によって、「倭人伝」後に補追されている著名な魏略「西戎伝」に尽きるのでは無いか。陳寿「三国志」「魏志」第三十巻に補追されて以降は、倭人伝」並のほぼ完全な写本継承がされているから、批判の価値がある。ということで、魏略「西戎伝」 は、権威ある「三国志」百衲本の一部となっているのである。字数も、「倭人伝」を大きく上回っている。批判しがいがあろうというものである。

 結論を言うと、魚豢は、正史を志したものではないので、史書編纂の筆の精緻さ/強靱さに於いて、陳寿に遠く及ばないのである。劉宋史官裴松之の手にあったのは、丁寧に写本継承された「善本」であったろうが、素人目にも明らかな、脱字、行単位の入れ違いなどの症状が見える。魚豢が参照した後漢西域関係公文書が、後漢末期、霊帝没後の大混乱で洛陽から長安に遷都し、後に、献帝が許昌で曹操の庇護のもと帝位を維持したものの、そうした皇帝の移動の際に、厖大な公文書がついて回ったとも見えないので、洛陽の書庫は維持されたとして、官人が動揺したのは当然であり、その間に、公文書の西夷関連部分に限っても、「脱字、行単位の入れ違いなど」の不始末が発生したようである。

 しかし、魚豢「魏略」「西戎伝」を踏まえて編纂したはずの范曄「後漢書」西域伝は、随分杜撰である。「下には下がある」のである。

〇頓首死罪
 以上、大変失礼な批判記事になったと思うが、率直な批判こそ、最大の讃辞と思う次第である。氏が追従(ついしょう)を求めて記事公開したとは思わないのである。

                                以上

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