私の本棚 長野正孝 鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 5/6
鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 長野正孝
*鉄本位経済 再説
國出鐵,韓、濊、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵,如中國用錢,又以供給二郡。
再掲、再説になるが、「朝鮮半島東南部の産鉄地区に、韓、濊、倭の近傍三者が鉄を取りに来ている」と言う。この地域は、帯方郡の管轄下であるから、秩序正しく統制されていて、三者も、武力で鉄鉱山を支配する気などないのである。高句麗、扶余は仲間に入っていないから、別に鉄の調達先があったのだろう。
論者は、二世紀頃まで鉄は「高価」であったと言うが、対価として何を想定して「高価」というのだろうか。もちろん、鋳物製品となった「鉄」と「鉄鋼利器」になった「鉄」では、求められる「価値」は別である。
それぞれ、買い手が求めるものであれば、「売った」「買った」のかけ声で「価値」が発生するのだが、必要が無いものであれば、鉄は、すぐ錆びて朽ちてしまう、たちの悪い「悪金」なのであり、「捨て値でしか売れない」のである。氏には、何のことか理解できないかも知れないが、そのような理屈は、太古以来、引き継がれている「基本的」な経済原理なのである。
史書は、鉄は、東夷において中国の銅銭のようだという。銅銭同様と言うほど潤沢でないにしても、広く物の値段の基準になっていたことは明らかである。いわば「鉄本位経済」であり、関係各国に、銅銭のような通貨は無いから、しかたなく「国際通貨」なのである。
「鉄鋌」は、溶鉄を樋のような受け皿に流し込んで、自然に冷却固化させたのだろう。鉄器作りどころか、延べ棒に成形する技術もないから、成り行きで送り出したのである。大抵は、個数を数えるのであるが、いくら文字の無い世界でも、一,二,三の勘定は、漢字の横線と照合するだけであるから、通用したのである。
必要なときは天秤などで目方の比較はできるし、所詮、「銭」の位置付けであるから、三枚ごとに縛り上げた鉄挺の束の数で、硬貨代わりにしたのであろう。まとめて縛ったときに、抜けないように、両端を幅広く鋳出しているのは、賢い工夫である。受取り手は、扱いやすい鉄鋌で良いというのであるから、この形が当時として最善なのである。
ということで、「各種族が、高価な対価を支払って鉄を買い付けた」とは論者の錯覚/妄想であろう。
脱落談
このあたりで、当方は、論者の説く新説幻想について行けなくなった。古代に無造作に適用された現代概念が醸し出す脈絡のない時代錯誤連発で、反射的に突っ込みさせられて、徒労なのである。新説の導入部が、導入の役をなしていないのである。
論者は、何冊かの著書を上申していて、支持者もいるのだろうが、読者諸氏は、よほど辛抱強いのか、論証部分を無視して結論だけを支持しているのか、よくわからない。当方は、ただの読者であるが、これでは闇鍋でゴム靴をかじらされた感じである。書籍購入はご勘弁いただきたい。
以下、話題豊富な記事の目立った話題について私見を述べておく。
未完
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