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2023年11月20日 (月)

私の本棚 長野正孝 鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 2/6

  私の見立て☆☆☆☆☆    2017/02/23 2023/04/19 2023/11/20, 12/09
「古代史15の新説」別冊宝島その3
鉄が解いた古代史の謎- 消されていた古代倭国 長野正孝

*朝鮮半島鉄事情
 陳寿「三国志」「魏志」「東夷伝」が、朝鮮半島中南部の韓国領域での「鉄」産出を書いているのは、東南部の「辰韓」のあたりの部分である。例によって、陳寿「三国志」の記事は、簡にして要を得ているから、丁寧に読みほぐせば、たっぷり情報が取れるはずである。
 常識的に言えば、これは大々的な鉱山採掘ではなく、露頭に近い状態で鉄鉱石がとれたのであろう。それを、薪炭を使用して精錬し、銑鉄を取り出したと言うことだろう。あるいは、後年の(日本)中国山地の砂鉄採取、「たたら製鉄」の前身、つまり、砂鉄採取/製錬だったかも知れないが、その辺りは、当ブログ筆者の知識外である。

 國出鐵,韓、濊、倭皆從取之。諸巿買皆用鐵,如中國用錢,又以供給二郡。

 ここには、韓、濊、倭が、皆、鉄を手に入れていると書かれているが、「互いに争った」との記事は、全く存在しない。「争っていた」とすれば、それぞれの集団が派兵して鉱山支配を競うのだろうが、各集団は、大国、つまり、「韓」国、「濊」国、「倭」国というような広域国家が未形成で、あくまで「小国」であり、つまり、「韓」伝で列記された「国家」の体をなしていなかったから、「国軍」、「国益」の概念はなく、また、そこまでして産鉄地の独占支配を計るほどの価値を見いだしていなかったとみられるから、「争ってはいなかった」のだろう。
 また、「産鉄地は楽浪、帯方両郡の監督下にあった」と思われる時代なのに、両郡が鉄鉱山を管理・支配していた気配はない。単に、「両郡に鉄材を送付していた」と書かれているだけである。管理する役所も、現地に監督者を置いていないのである。遠隔なので、銭代わりに貢納したのではないか。つまり、両郡も、鉄を特に重大視していなかったと思われるのである。

*「嶺東」なる「極東」
 念のため書き足すと、朝鮮半島中南部は、小白山地が西岸近くを南下していて、東西の移動/物流が至難であり、しかも、小白山地は、北に向かって大きく東に彎行しているから、半島東南部は、西部海岸地帯の「馬韓」領域と「地理的」に隔離されているので、南北の移動/物流が至難なのである。かくして、半島東南部の弁韓、弁辰領域は「嶺東」と呼ばれる「荒地」だったのである。

 壮大な歴史図式(曼荼羅)を好む岡田英弘氏は、漢武帝が朝鮮を駆逐した後に、嶺東に「真番郡」を置いたと仮定(夢想)しているが、札付きの荒地で、ほとんど税収のない地域に、高給(粟)をとる郡太守を抱え、郡兵を常備した「郡」がなり立つはずもない。岡田氏は、大船、つまり、大型帆船を率いた漢人商船が乗り入れたと空想を物しているが、商材、つまり、買い付ける財貨が、ろくにない地域に商人が乗りこんでも、手ぶらで引き揚げるしか無く、結局、「真番郡」は、霞の彼方に消えたのである。
 いや、いくら武帝が大胆でも、往き来の困難な「嶺東」が自立できるなどとは思っていなかったが、天子は、「銭勘定」などしないのであるから、真意のほどは、知るすべが無い。

 「現実」の嶺東は、手軽な手漕ぎの渡海船で往来できる対海国、一大国を通じ、末羅国を外港とした伊都国との「市糴」で、ひっそり潤っていたのであり、小白山地を「竹嶺」で越える官道の成立により、帯方郡への物資搬送が「細々と」成立していたのである。街道として整備され、関所/宿舎が整った官道が成立すれば、小規模な民業による交易の鎖がつながり、後漢初期に辛うじて交通ができていたあと、途切れていた「倭」の文書使が、後漢献帝の「建安年間」に楽浪郡に届いたのである。
 ということで、華麗な幻想が霧散/消滅した後、公孫氏の遼東郡が成立するまで、着実で、物堅い往き来が続いていたと見るべきなのである。

 陳寿「三国志」「魏志」「東夷伝」に書かれているのは、濊、韓、倭には、中原で、全中国に通用していた「銅銭」が一向に通用していなかったので、それぞれ、「市」(いち)での通貨代わりに、「鉄」を通用させていたというに過ぎない。あるいは、郡に対する納税として、穀物、野菜、海産物を現物納入することは、物理的に困難/不可能な状態では、登録された戸数に応じた「鉄」を郡に税として納入していたかと見えるのである。

 但し、各勢力は、「戸数」に応じた税務を果たすどころで無く、ひたすら減免を願っていたことが、東夷伝/韓伝/倭人伝に明記されているから、両郡に納入した鉄材は、穏やかなものであったことも、明記されていると見えるのである。(念のため言うと、「明記」とは、当然自明の「示唆」も含まれるのである)

 倭人伝で言えば、対海国、一大国は、登録された「戸数」に比して、「方里」で示された総耕地面積は、相当に僅少であり、また「戸数」で想定される農地も、納税に値する「良田」が僅少であると特筆/念押しされているので、「倭人」からの税納は無いに等しいと明記されているのである。

 先立つ高句麗伝と韓伝では、それぞれ、異例の「方数千里」と書いていて、要するに、「国内」は山地勝ちであって、河川沿いにも耕地が取れない、即ち、纏まった農地が存在しないので、銭納しようが無い、と明記されていて、書かれている「方里」、つまり「平方里」を単位としての総耕地面積は僅少と明記され、管轄していた楽浪郡は、これを認めて、洛陽に上申しているのである。そして、洛陽に承認されたから、それぞれ「高句麗伝」と「韓伝」に記載され、「倭人伝」の先触れをしているのである。誠に練達の史官の筆は、周到である。

 世上、倭人伝」の対海国、一大国記事は、それぞれ「方数百里」とことさらに耕作地僅少を謳っている趣旨を、あっけらかんと見過ごされているが、各国の担税能力僅少を宣言するものとして、大変丁寧に書かれていることを理解すべきである。何しろ、両国は、韓半島の直下にあるので、下手をすると、ほんの目と鼻の先だと解されて、過大な物納を課せられかねないのである。

 こうして、当記事を咀嚼してみると、論者の書いた記事は、原典史料の深意を理解したものではなく、取り付きやすい、つまり、「すらりと理解できていると思い込んでいる」「いくつかの単語」を取り出して、後は、出たとこ勝負で現実離れした自身の架空世界を「書斎の安楽椅子」(Armchair)で構築し、専らそれについて語っているようだ。
 歴史的な「現実」とご自身の脳内の仮想世界の「現実」の区別がつかないのは、感心しない。論者の見ている仮想世界は、論者にしか見えないので、善良な一般読者には、語られる「ことば」が何を指しているのか見えないのである。

未完

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