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2023年11月11日 (土)

新・私の本棚 菅谷 文則 日本書紀と邪馬台国 1/2

 日本書紀を語る講演会 第9回 高取町  2017/02/26
 私の見立て★★★☆☆ 端正な労作 細瑾のみ    2023/10/12

◯はじめに
 本稿参照の講演は、2017年当時 奈良県立橿原考古学研究所(橿考研)所長 菅谷文則氏の一般講演の記録である。
 惜しむらく、氏は故人であるが、史学の進歩のため、謹んで引用批判させていただいた。公立法人成果発表の部分引用と批判は、許諾されていると信ずる。

「講演の内容
 「三国志、宋書などの中国の歴史書から、日本の歴史を組み立てることは日本の文化・歴史を蔑ろにしている」との意見が散見する。しかし、日本書紀編纂の際、年代設定の基準としたのが、三国志魏志倭人伝である。[中略]
 魏志倭人伝(三国志の一部分の略称)によると、西暦239年に邪馬台国の女王卑弥呼は、魏へ遣使した。朝鮮半島の帯方郡(韓国のソウル近郊か)を経由して都の洛陽へ向かったと記述されている。[中略]卑弥呼が魏に使者を送る1年前の238年まで、中国大陸の東北部には公孫氏が燕という国を興しており、当然、邪馬台国は朝鮮半島経由では魏に遣使できなかった。」

*コメント
 氏は、一部で声高に囁かれている「三国志、宋書などの中国の歴史書から、日本の歴史を組み立てることは日本の文化・歴史を蔑ろにしている」 との極度の妄見に対して、決然と、これを否認しているのは、氏の晩節を燦然と輝かせる箴言であるが、「馬の耳」には、一向に響いていないものと見える。

 但し、氏も人の子であるので、残念ながら、氏の「魏志」解釈は、詐話めく妄見に足元を掬われて低迷している。もったいないことである。

 「西暦239年」は魏志にない「誤解」で残念である。朝鮮半島中部帯方郡から魏「首都」洛陽への常用道里は、遼東郡を通過しないのである。魏明帝の特命により、遼東郡討伐とは別に帯方郡を魏の直轄とする作戦が完了して、新体制下、帯方郡から洛陽へ直行するのは、当然となっていた。西暦238年ならぬ景初二年六月に倭使が帯方郡に到着し、順当に洛陽に案内されたことは、当然と見える。
 ちなみに、しばしば、というか、ほぼ、常に誤解されるのだが、「公式道里」は、一度設定されたら、郡治が移動しても、改訂されないのである。
 景初三年初頭(元日)に魏の明帝が逝去したため、倭使が帯方郡に到着したのが、景初三年六月であれば、熱意を持って倭を招聘した明帝は世を去っていて、後継少帝曹芳の治世/喪中なので、精々冷淡になっていたと思われる。氏は、「当然」「できなかった」と声高に断定されているが、断定の根拠が見当たらないのである。根拠なき断定は、誠に、不合理、非科学的である。
 さらに言うと、景初三年正月は、西暦238年か239年か不確かであるから、中国古代史で、無造作な西暦談義は禁物なのである。

 [邪馬台国から朝貢を受けた魏の皇帝の詔文が魏志倭人伝に記録されている。詔文を全文記録しているのは、三国志の中では邪馬台国の遣使に対してだけである。魏が、倭との関係を重視していたことがわかる。]

*コメント
 氏は、中国史書を誤解されているが、歴代皇帝は適宜詔文を発行し、公文書として保存されたが、逐一正史に記録されていないだけである。「倭人伝」は、当代皇帝曹叡が、倭に格別の恩恵を与えたことを示すために、陳寿が特に引用したのである。つまり、明帝存命中に発せられたか、起草され、帝詔として発せられ、而して、公文書として永久保存されたと見るものかと思われる。少なくとも、一部論者が言うような少帝曹芳の自作/自筆では無いのは、確実、自明、当然至極と思われる。当然のことを知らないということは、誠に幸せである。

中略][日本書紀巻九の神功皇后紀には、魏志倭人伝を割注として引用している箇所がいくつかある。その中に、現行の魏志倭人伝では景初二年となっている(景初二年六月倭女王)が、日本書紀では景初三年と書かれている(神功皇后の卅九年。魏志云、明帝景初三年六月、倭女王…)。[中略]日本では、景初三年が正しいとしているのであるが、その理由として挙げられるのが、景初二年の西暦238年は、先ほど述べたように、公孫氏の燕国があるため、魏に向かうことはできないからである。]

                     未完

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