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2024年1月21日 (日)

私の本棚 番外 「邪馬台国論争」『一局面 暗号「山上憶良」』古田武彦批判 三新 1/6

                    2016/02/08 補充 2022/12/14 2023/03/11,17 2024/01/21
◯三新の弁
 当記事は、不適当と認めた特定サイトの記事批判であるが、特に、史学者批判にかこつけた陳寿「三国志」「魏志」改竄記事が一部研究者に無批判に採用されているため、あえて、再掲したものであり、特に、変心したものではない。

◯始めに~個人サイト批判の弁
 個人管理のサイトでの論説に対して批判を加えるのは本意ではないが、ネット世界に於ける「邪馬台国論争」の(血なまぐさい)様相に付いて、当ブログ筆者の感慨を具体的に示すものとして、あえて、率直な批判を加えるものである。

 同サイト管理者の攻撃手法には、拙い誤解と非難すべき反則技が多く、却って、論考の信頼性を大きく損なっているので、ほっておけないと感じたのである。また、この場で、学界のお歴々と並んで批判されるだけの価値ありとの位置付けをしているのでもある。

 さて、同サイト管理者は「古田武彦氏の説のウソ」と誹謗、中傷口調で書き出しているが、語調の「きつさ」、「えげつなさ」の割には、根拠が不明であり、また、内容が的外れである。

 周知のごとく、古田武彦氏の提唱した説は、こと古代史に限定しても、広汎、多岐であり、全体をウソと断じたものか、特定の説にウソがあるのか、論旨が不明である。物事を明解に表現しない/できないのは、論者が未熟/不熟なせいと苦笑するしかないのだろうか。今日のように、裸の王様を大勢見かけると、声をかけるのが難しいのである。
 総じて、「ウソ」の一言でご自身を正当化するのは、相当劣悪な品性の持ち主と見るのである。言うならば、「暴言」は、論争弱者の最後の隠れ家であり、大抵、隠れ家になっていないのである。

 また、書き出しに2-1と銘打って、後続続々と布石しているが、どうなったのだろうか。まさか、ネタ切れではないだろうに。

 さて、記事書き出しを見た限りでは、古田氏の一書「古代は輝いていたⅢ」で堪忍袋の緒が切れたようであるが、ここまで当方には、一切お怒りの事情が伝わらないので、お説を伺うとする。
 ということで、冒頭の切り出しであるが、どうも、不用意な取り上げ方と言わざるを得ない。

*因みに、同サイトは、2016年時点で、誤謬が露呈している「ジャンクサイト」と判断したので、以後、参照していない。現時点で、ここで指摘した誤謬が是正されているとしても、別に連絡を戴いていないので、当方の知るところではない。

 2.古田武彦氏の説のウソ
 2-1 景初3年が正しい理由
 当記事の書き出しは、陳寿「三国志」「魏志」という堅実無比の有名史料を根拠にしているが、史料が誤っているとの未検証の「思い込み」を前提としているので、文献批判の一種としても、端から、信じがたいものになっている、と申し上げておく。

*根拠とならない風評資料~「理由」にならないこじつけ (補充 2023/03/17)
 要するに、良好な資料が確実に継承されている「魏志」の「倭人伝」には、はっきりと、間違いようのない「景初二年六月」の文字が維持されているのであるから、これを「景初三年六月」の誤記と断じるのには、「魏志」「倭人伝」と同等以上に良好な資料を提示する必要がある、と言うか、そうでなければ、無効な異議である。これが、世界の常識である。
 氏は、そのような「真っ当な」手順を無視して、景初三年と書かれているわけでもない「魏志」東夷伝内の別資料を提示しているが、同記事は、「倭人伝」記事本文解釈の視点から見ると「圏外」であり、しかも、年月の明示されていない雑情報であり、端から、門前払いとなりそうなものである。とは言え、一応評価に値するとして検討するが、基本的な資格不足は、念頭に置くべきである。

 氏は、論証にあたって、原文を当たることなく筑摩書房版の翻訳文を採用しているのが無節操で困ったものである。
 せめて、読み下し文を見ていれば、原文の趣旨が察しられるのだが、翻訳の場合は、翻訳者が理解した文意に沿って粉飾加工されるので、翻訳者の理解に誤解があれば、ほぼ必然的に誤訳になってしまう「危険」を(取れたてのふぐのように、ほぼ確実に)含んでいる、というのが、定説中の不動の定説である。
 本例で言えば、翻訳者が、高度な教養を要する読者を想定して高度な構文を呈しているのに、無教養な現代読者が、安直な誤解に陥っているのは、翻訳者の責任ではないのである。丁寧に言い直すと、漢文の「又」を日本文の「さらに」と滑らかに飜訳しているのに、「時間的に遅れた」と書いているように速断しているのは、無教養な現代読者の不勉強な浅読みであり、翻訳者には、何の責任も無いのである。

1.両郡攻略/回収
 この場合、翻訳者は、魏の遠征軍は、まず、遼東の公孫氏を滅ぼし、「次いで」南下して、公孫氏の支配下にあった楽浪、帯方の両郡を攻略したとの根拠不明の先入観(思い込み)を持っていて、その先入観を書き込んでいるが、原文には、そのような粉飾表現は書かれていないと考えたが、これは、後世読者(当ブログ筆者の素人考え)、勘違いであったことがわかった。過ちは自分で糺すのが、最低限の責務と考えて、訂正を書き加えているのである。

 原文(漢文)は、「又」としているが、これは、多くの先賢が折々に触れているように、別に、時間的前後関係を言うとは限らず、単に、「それとは別に」というに過ぎないと見るのが、手堅いのである。何しろ、雒陽史官に、遼東の大規模軍事行動と両郡の「密かな活動」のどっちが先でどっちが後か、厳格に確認できるわけも無いから、「ついで書き」したと見るべきではないだろうか。

 さほど入手困難と思えない原文に当たると、「誅淵」(公孫淵を誅殺した)と書いた後に「直ちに続けて」、「又潜軍浮海」(また、潜(ひそかに)に軍を海路送って、と言うのは、別に潜水艦を駆使したわけでは無い)楽浪、帯方の両郡を(皇帝の傘下に)収めたと書かれている。これを、初稿では、『「さらに」と、時間の流れを込めて書き足したのは、翻訳者のやり過ぎと見た。単なる「又」には、時間的な前後は込められていないと見るものではないかと思った。』と書いてしまったが、その時点では、そう感じたので、初稿は、率直に論じたことに間違いはない。以下、反省しているのは、追い追い読み取れるはずである。

*浅慮の誤釈~自己批判の弁
 因みに、つい、当方の素人考えで、浅慮を示してしまったが、自身の乏しい学識に頼らず虚心に国語辞書を熟読すれば、翻訳文の「さらに」も、別に、時間的前後関係を言うとは限らず、絶妙な飜訳と理解できるのである。つまり、「二千年後生の無教養な東夷の後裔の読者」が、無教養で自身の限られた語彙にしがみついては、練達の翻訳者の絶妙な配慮も、水泡に帰すという一例である。
 当方は、遅ればせながら、自身の浅慮に気づいたので、ここに訂正している。

 要するに、「又」の字義には、両様があって確定できないので、文献の前後関係、「文脈」から読解くのである。

*高度な読解
 もし、ことが、遼東攻略の後であれば、何も、「ひそかに」、渡海上陸し進軍する必要はないから、両郡攻略は遼東攻撃の前に行われたとみるべきではないだろうか。現に、そう判断する論者も多いのである。(多いというのは、この際、一人、二人ではないということであり、何億人いるという事ではない)

 この辺り、長駆進軍している遠征軍主力による西方、と言うか、西南方からの一方的な攻撃は、大軍であっても、遼東に広く勢力を張った公孫氏の待ち受けているものであり、迅速な攻略は困難と予想できる。東方、と言うか、東南方からの分遣隊による挟撃が必須と見た司馬懿の周到な軍略が見て取れると思うのである。(付注 わかりやすいように、司馬懿に花を持たせたが、原文では、明帝が指示したとあり、正確ではない。当方の「粉飾」であった。反省するが、当記事では修正は加えないことにした)

 三国志に書かれているように、この当時、曹魏は、『長江(揚子江)上流域域から関中、長安付近への蜀漢軍からの執拗な「北伐」の攻撃に耐えていた』と共に、長江下流域では孫権率いる東呉孫権指揮下の大軍と対峙していて、孫権は、戦況が確実に有利とみたら、じんわりと、分厚い攻勢を取るから、遼東遠征軍は、速攻、かつ、確実に遼東を確保する必要があった。つまり短期決着の確実な挟撃作戦を採ったと見るものである。つまり、この時期、蜀漢は、宰相諸葛亮の没後で逼塞していたが、後継した姜維の指揮の下、体勢を整えて再度北伐するかも知れなかったのである。
 法外と見えるほどの大軍を派遣したのも、その一環である。現地滞在が長期化すれば、食料の消耗が激しくなる上に、中国では、大規模な戦闘での敗戦責任は、将軍の一家/一族族滅である。理由は何にしろ「絶対負けられない」のである。

 なら、ここに作戦内容を明確に書くべきではないかという抗議が聞こえそうだが、東夷伝」の役目は、『遠征軍が「誅淵」した一方で、両郡を皇帝直属とすることにより、東夷を直属させたと明記する』のが主眼なのであり、それ以外の軍事行動は、付録に過ぎないから、この程度で良いのである。本当に、司馬懿の軍功を高々と顕彰するのであれば、明帝本紀に書くものであり、こんな閑静な場所にひっそり書くものではない。いや、これほどの軍功にも拘わらず、「魏志」に司馬懿の伝は無いのである。

 ちなみに、翻訳者は、両郡攻略について、原文の「収」(収めた)という平穏な表現を粉飾して「攻め取った」と強い言葉で書いている。その意識としては、健在であった遼東政権から「攻め取った」と見ているのである。これが、遼東政権が崩壊した後であれば、攻め取るのではなく、魏朝傘下に収めたとでも言いそうなものである。漢文翻訳の怖さである。

 丁寧に読み解くと、実際に起こったのは、魏朝皇帝の勅命で、公孫氏が勝手に任命していた現地の郡太守が更迭され、新任郡太守が取って代わって着任したものであり、単なる人事異動と組織変更、つまり、両郡を、一片の帝詔により、遼東郡から切り離して皇帝直轄とするものであって、その際、戦闘があったとは書いていない。皇帝の命令が実施されたに過ぎない。まさしく「密かに」である。
 遼東では、公孫氏の撲滅に連座して、官人が殲滅され、死骸の山になったという。当然、公孫氏の残した公文書も、焼き尽くされたのであり、公孫氏が、高句麗はじめ、諸蛮夷を服従させた経緯は、消え失せたのである。爾後、高句麗は、公然と、新体制に反抗したのであるから、司馬懿が、東夷管理の深謀遠慮を持っていなかった「無遠慮」であったのは、明らかである。明帝は、腹心の毋丘儉に、楽浪/帯方郡管理下の東夷、濊、韓、倭人を統轄させる構想であったから、司馬懿に干渉/指示しなかったとも見える。
 いや、司馬懿は、西方で蜀漢の侵入を防ぐ「鍋蓋」に過ぎず、蜀漢が衰退したので、別の鼠賊に向けたのに過ぎないと言える。

 翻訳者は、厖大な三国志全体の正確な飜訳に多大な労を費やし、不滅の功績を成し遂げている。「細瑾」、細かい行き違いがあったとしても、とがめ立てするべきではなく、単に訂正すれば良いだけである。特に、当事例では、軽率な後生読者が気づかないだけで、万全の配慮がされているのだから、謹んで、この点に関しては、拙論を取り下げたのである。

 それにしても、これほど重大な誹謗記事を公開するに先立って、氏は、原文、つまり、「魏志」の関連記事全体の趣旨を確認することなく、結果として翻訳者を責めているのは、誠に氏の不明を公然と示すものであり、素人目にも感心しない。

未完

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コメント

村上通典様
 連絡が大変遅くなりましたが、諸事多忙で貴信を見落としていました。
 ということで、遅まきながら、御連絡に感謝します。
以上
 

5月17日(火)に「暗号山上」を検索し、このページに気付き、本日(水)、掲示板「暗号山上憶良」にコピペさせて頂きました。
どのような扱いをしているかは、下記URLから確認できます。
http://6904.teacup.com/mm3210/bbs

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