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2024年2月26日 (月)

新・私の本棚 遠山 美都男「古代中国の女性観から読み解く」卑弥呼 再掲 1/2

古代中国の女性観から読み解く~個人名ではなかった「卑弥呼」が女王とされた理由  歴史読本 2014年7月号
私の見立て ☆☆☆☆☆ 零点 よいこは真似しないように 2020/10/04 2023/01/25 2024/02/26

〇はじめに
 当記事は、途方もない誤読/誤解/妄想の集積ですが、その原因は、意味不明のタイトルで、「古代中国の女性観」と大上段に振りかぶりつつ、実際は、国内史料熱愛から生じた怨念物語めいたものを語っていて、的外れなのです。個人名ではなかった「卑弥呼」も罰当たりな勘違いですから、何のことやら、わけがわからないのです。書蹟であれば、一発でゴミ箱行きですが、「歴史読本」の記事なので、読み飛ばすしかないのです。
 このあたりの外し具合は、単に、国名や所在地比定の論議では片付かない大問題を示しています。

 以下、失礼を承知の上で、氏の誤読の解剖を図っています。率直に、子供に言い聞かせるように指摘しないと何も伝わらないだろうという事で、誠意をこめて説き聞かせているので、野次馬の介入は御免被るのです。

〇逐行批判
 卑弥呼とは『魏志』倭人伝という外国史料にしかあらわれない存在である。したがって、その実像の解明には『魏志』倭人伝に対する徹底的な史料批判がもとめられる。[中略]追認することが許されない[中略]

コメント:
 正史笵曄「後漢書」を知らないで、堂々と論じるのは、鉄面皮です。誰も止める人がいないのは、つけるクスリがないからなのでしょうか。ついでながら、『魏志』倭人伝などという「史料」は、存在しません。史学者の常識です。
 正史を「外国(野蛮人)史料」とは、信じがたい視点錯誤です。正史は、中国視点の中国史家が、中国語で書いたから、文明圏外の無教養の蛮人「外国人」が批判できるものではありません。無惨な本末転倒です。
 ご存じない「後漢書」談義は、言っても無駄なので扨置き、同時代唯一の史料を何を根拠にして、どんな顔で「史料批判」するのか、鉄面皮、不可解です。
 「実像」論ですが、視力検査はしたのでしょうか。それとも、肉眼で見えないから、何か秘薬でも使って幻像を見るのでしょうか。カウンセリングを受けた方が、良いのでは無いでしょうか。せめて、誰かに論文審査して貰った方が良いのでは無いでしょうか。
 「倭人伝」は二千字で、すぐに史料解析が徹底するでしょう。それにしても、中原史官は、無学な夷蛮の「追認」は要しませんから、これは、身の程知らずの無謀な傲慢です。
 と言う事で、読解力のない半人前以下の野蛮人が何を言うかという誹りを免れません。氏は、経書を中国語で朗唱できるのでしょうか。

 [中略]卑弥呼が倭国の女王であったという[中略]事柄に関しても、[中略]徹底した検討の俎上にのせないわけにはいかないのです。

コメント:
 氏の「倭人伝」解釈は、ひたすら傲慢で早合点の誤釈に満ち、とても「俎上」に載りません。庖丁の穢れです。必要な基礎知識、学識がない、落第生が、何をしようというのでしょうか。とんだ恥さらしです。

卑弥呼は個人名ではない
 [中略]つぎの有名な一節がある。「其の国、本亦男子を以て王と為す。[中略]倭国乱れて、[中略]。乃ち共に一女子を立てて王と為す。名づけて卑弥呼と曰ふ。鬼道に事へ、能く衆を惑はす。[中略]男弟有りて国を佐け治む。」

コメント:
 根拠不明で手前勝手な飜訳の垂れ流しですが、「いわゆる卑弥呼」と称する「いわゆる遠山美都男」なるド素人が何を言うかです。「有名」な一節も、「魏志倭人伝」でなく、二千年後生の無教養な東夷が奉っている「現地語」(蛮語)訳に過ぎません。正史原典が理解できないものが、何を言うかという事です。せいぜい、手前味噌の勝手解釈に過ぎません。「有名」の意味がわかっていないという事でしょうか。「悪名」より「無名」が勝るのではないでしょうか。

 [中略]倭国大乱とよばれる内乱を鎮めるために、[中略]擁立された[中略]しかし、文脈に即して解するならば、[中略]即位にともなって新たに卑弥呼という名が[中略]あたえられた役割に関わる呼称であった[中略]

コメント:
 倭人伝に無い「倭国大乱」風聞が意図不明です。思い付きは勝手ですが、原文読解できない限り「文脈」は、意義のない手前味噌でしょう。
 「俎上」、「徹底的な史料批判」ともっともらしいのですが、巷の素人論者、野次馬同様、自己流解釈で史料を読み替えています。世には「倭人伝」改竄差替説もあります。氏の見識が非科学的な思い付きなら、その旨表明すべきです。因みに、当記事筆者は、「暴虎」に挑む勇気も、「薄氷」を踏み渡る度胸もありません。
 「卑弥呼」と天子に名乗った以上、それは、実名なのです。「新たに」名付けるというのは、途方も無い妄想です。人は、その親によって命名された実名で生き続けるのです。それとも、氏の名前は自己命名なのでしょうか。
 素人が何を言うかという事です。

 このように卑弥呼が彼女のみに占有されるという意味でのたんなる個人名ではなかったことは、卑弥呼の語義からも推定されるところである。

コメント:
 「卑弥呼」は商標ではないから、「のみに」占有/専有されるとは面妖です。君主の実名が、「たんなる個人名」とは、ものを知らないのにも程があります。
 意味不明、趣旨不明な「卑弥呼の語義」(?)論は別として、著者に、古代中国語を説く学識/資格があるのでしょうか。それは、信じがたいのです。ド素人が、何を言うかという事です。

                                未完

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