新・私の本棚 片岡 宏二 「続・邪馬台国論争の新視点」追補 1/3
「倭人伝が語る九州説」 雄山閣 2019/12刊
私の見立て ★★★☆☆ 折角の論考の基礎が乱調で幻滅 2020/08/02 追補 2023/01/16 2024/02/03
〇はじめに
毎日新聞古代史記事のお勧めで入手、熟読したが、片岡氏の意見は「倭人伝」勝手改訂を引き摺って、いきなり低迷しているのが、難である。
考古学が、発掘遺跡、遺物の現物、現場から出発するように、文献学は「倭人伝」原文から出発すべきである。氏が依拠している訳文は、遺憾ながら「前世紀の遺物」であり、「新視点」を謳うなら、手指を洗い、顔を洗い、清浄な「足元」を確保した上で、出発点を刷新すべきである。
なお、入手困難な本書より、さらに困難な前著は、取り敢えず未読である。
*造語の弁解
氏は、「性格」なる「ユニーク」な用語(「独特」であるとの美点としての指摘であり、決して俗用されているような非難/蔑称では無い)について弁解されているが、世間で通用している単語に、自分なりの特異な意義を付するのは、読者に意図が伝わらず誤解を誘うので、甚だ不適当である。言うならば「出版社編集部が、体を張ってでも止めるべき」ものである。
それにつけても、「イメージ」は、読む人ごとに解釈が異なるとんでもなく「たちの悪いカタカナ言葉」であるのに、そこまでしても適例を示していないのは、折角、氏が構築した論理が読者に的確に伝わらない可能性が無視できないので、くれぐれも自省頂きたいものである。
*依拠資料の誤認
既に触れたように、本史論で重大なのは、「倭人伝が語る」と銘打ちながら、「倭人伝」原文でなく筑摩書房刊の「世界古典文学全集 三国志Ⅱ 魏書⑵ 今鷹真他訳」以下「筑摩本」に依拠していて、読者に誤認させる虚偽表示である。さらには、同書から離れて、独自の夢想世界に迷い込んでいる諸兄姉の独特の解釈に影響されているのは、誠に、残念である。
『史書訳文は、「絶対に」原文そのものでない』。それに加えて、当ブログで検証に努めていたように、凡そ世にある「倭人伝」翻訳は、ほぼすべてが、訳文を、国内古代史「俗説」に沿うように力まかせに撓めていると認められる。何しろ、陳寿の同時代人が有していた世界観を有していない二千年後の後生の無教養な東夷の解釋が横行していると見え、とても、そのまま、文献解釈の基礎とできないように見えるのである。
ここでは、世上溢れている「現代語訳倭人伝」を総じて批判しているだけであり、妥当な見識に基づく、妥当な飜訳を、はなから批判しているわけではない。聞き分けてたいただければ幸いである。
「倭人伝」の現代語文への「翻訳」は現代創作物であり、例えば、筑摩本は、今鷹氏他が著作権を有する現代著作物であり、偉大な創作である。
史料翻訳は、付注して原文からの乖離を示すべきだが、とかく翻訳は、訳者の書き足した文字を埋め込んでいて、原文が読み取れないと見えてしまう。つまり、学術的でない。(筆勢に任せて、「飜訳」を罵倒したことは、慚愧に堪えないが、ここでは、極力改竄せずに原記事を維持している)
片岡氏が、倭人伝準拠の古代史論を説くのなら、原文に密着した漢文解釈から開始すべきであって、翻訳は、あくまで参考にとどめるものではないだろうか。要するに、業界儀礼を離れて欲しいものである。タイトルに裏切られて不満である。
なお、当記事は、筑摩本が原史料を偽っていると称しているのでないことをご理解頂きたい。単に、「飜訳は、原史料そのものでない」と確認しているだけである。
*やまと言葉の塗りつけ
なぜそのようなことを言い立てるかというと、筑摩本をひっとうとした「現代語訳」は、素人目には、「なら盆地」中心の世界観に基づき、俗耳に訴えるべく「造作されている」ように見えるからである。それは、訳者の本意では無いだろうが、素人目には、諸所で原文から遊離しているのである。
筑摩本で如実なのは、冒頭の「倭人」の「わびと」ルビである。訓読ふりがなは、三世紀当時存在せず、時代錯誤、学術的な偽りでしかない。また、ふりがなの主旨は、「倭人」は後世の「倭」とは単にひとの意の「人」の意図らしいが、原文解釈上無理である。
魏書編者陳寿は、「倭人」を格別の、つまり「比類なき」蛮夷と認知したから、魏書の掉尾に伝を立てたのであり、当然、知る由もない「訓読」など存外であるから、その真意は、「倭人」の典拠を探るしか無いのである。
いや、片岡氏は、そのような主張をしていないと言うだろうが、筑摩本を「倭人伝」と見なすのは、「わびと」史料観に従属していると言うことである。
*無理を通す話 事実考証の試み
俗説の確認として、景初倭使が、何年のことかと論じたくても、ならやまと国家が、『「倭人伝」に明記されているように、景初二年六月に帯方郡に到着するように使節を派遣する』のは、到底不可能である。そのため、俗説関係者は挙(こぞ)って景初三年と読み替えるが、事実考証を図ると、そのような延命策は不毛である。
景初二年八月に遼東郡を壊滅させた後の十月頃に両郡接収したとすると、翌三年六月まで八ヵ月しかない。三世紀、帯方郡となら盆地の間、約千三百公里(㌔㍍)を、騎馬無しの純歩行で片道四ヵ月で踏破したということを主張していることになる。
既に、長年に亘り宿駅整備されていた半島内官道をよそに、いつ着くともわからない半島沿岸連漕と想定しているから、底なしの無法である。それにしても、当時の中四国経由は、道も何も無い蛮境の遠大な距離だが、どうやって踏破したのだろうか。何しろ、瀬戸内海北岸の東西航行は、難所の連続であり、三世紀時点では、連続道はなかったのであるから、一段と「急遽移動」は不可能なのである。
とは言え、景初二年六月は、さらに不可能であるから、俗説は、史書誤記を提示して、景初三年六月を採り、後は言わない。同年元旦に明帝曹叡が逝去、新帝即位と言うも、改元は翌年であり景初が維持されていた背景があるが、日本書紀「神功紀」の追記文を見ても分かるように、教養豊かな書紀編者は、皇帝逝去による変動をご存知なかったと見えるのである。「明帝景初三年」なる不法な字句は、馬脚を現していると言える。恐らく、この部分は、書紀本文の公開後、魏志等の所引を入手して、急遽、無教養な編集者が、識者の校正無しに、貼り付けたものと見える。そうとでも思わなければ、辻褄が合わない。
未完
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