新・私の本棚 片岡 宏二 「続・邪馬台国論争の新視点」追補 2/3
「倭人伝が語る九州説」 雄山閣 2019/12刊
私の見立て ★★★☆☆ 折角の論考の基礎が乱調で幻滅 2020/08/02 追補 2023/01/16 2024/02/02
*景初二年説の精査
では、早々に棄却された景初二年説に成立の余地はないのだろうか。
ここに筑摩本の難点が露呈する。遼東征伐に付随して半島西岸に「密かに」渡海し、両郡を「回収」したと書いている。戦後処理と見ている方が少なくないが、それなら「密か」に行う必要はない。司馬懿部隊の遼東攻撃以前に、事前に郡太守を洛陽官人にすげ替え、無血で両郡平定したと見るのが合理的である。平定は交通困難な厳冬期であったため、遼東太守は、両郡喪失に気づかなかったかと思われる。
*深刻な訳文「誤解」
ちなみに、筑摩本は、原文の「又」を「さらに」と訳している。「又」は、あることがあって次に別のことがあってと云う時間経過が意味されている例と時間の経過に触れず、単に、二つのことが同時期にあったと示している例とが見られる。大抵見過ごされているが、実は、大変大事なことで、日本語の「さらに」も、同様に、両様の意味があるとわかるのである。
要するに、読者は、自身の限定された語彙に頼って「さらに」の解釈を一方に決め付けるのでなく、両様の意味のどちら味か、読者は、文脈、文意から判断することを求められているのである。
世上、この程度の解釈を、いわば粗雑に行っている論者に依拠されているのは、みっともないものである。
この点、ここまで、筑摩本訳者の高度な配慮を見過ごしていて失礼な発言を重ねているので、ここで、深く謝罪したいところである。
翻訳文を的確に理解する能力/教養がないと、正しい訳文を誤解してしまうという教訓である。せめて、勝手に決め込まずに、辞書を引くことである。
*疾駆参上の背景
帯方郡を収めた魏朝は、郡の東夷台帳で最遠の「倭人」に早速の参上を命じたと見る。
世上、「倭女王が、遼東郡、帯方郡の変事を察知した」などと、途轍もないおとぎ話に仕立てている例が多いが、普通に考えれば、新任の郡太守が、急使でもって通達/指示したと見るものではないか。倭女王も、いきなり参上を命じられ、即応したと見るのである。何しろ、公孫氏が滅ぼされるような大軍であるから、即応しないと、次は討伐されると畏れるはずである。
倭人は、遅滞なく参上すれば、公孫氏に連座して滅ぼされることはなく、逆に、あるいは、絶大な功として皇帝奏上するとの通達に応じて、好機を逃さず即応したと見える。郡命であるから、途中の関所は全て無事通過し、官道宿駅は、官費でもてなしたはずである。
以上は、景初遣使なる蕃客への多大な下賜物と帝詔の背景として妥当と見えるのである。
後漢から禅譲を受けて、諸制度を継承した曹魏は、曹操が再興した法治国家であるから、訳もなく厚遇しないのである。
*「倭人伝」語りの「倭人伝」知らず
俗説の「倭人伝」誤記説は、なべて言うと「ならやまと」説救済のために、衆知を集めて創出した牽強付会と疑われるから、無批判に追従、原文改竄することはできない。正史として承認された「倭人伝」を改竄するには、厳密な史料批判を経た史料が必要である。
片岡氏には、「倭人伝」誤記説に従う原文改訂を採用するに際しては、俗説に無批判に追従したり、「論者の人数を数えて大に事える」などしたりするのでなく、論理的な批判を加えた上で納得できる議論を戴きたいものである。
氏の本領たる考古学考察は、十分資料批判を経ていると信を置くが、「倭人伝」文章解釈が、他人の意見の無批判追従で非科学的では「曲解」の産物と見ざるを得ない。
*禁断の性格批判
「賢い鳥は止まる樹を選ぶ」は古人の説くところである。片岡氏ほど道理を弁えた方が「倭人伝が語る」と銘打ちつつ、「倭人伝」ならぬ既存の俗説を止まり樹としているのは勿体ない。また、参考資料に「九州説」二大論客、安本美典、古田武彦両氏著作が見当たらないのも疑問である。
本書に具現化された「性格」から、氏が歴史科学者の資質に欠けると見られるのは、氏が、学会人、組織人として、筆を撓めて著述しているからだろう。古代史学業界では、考古学者は、文書解釈で専門家に追従するのが不文律と感じる。氏も、やむなく保身しているのだろうか。学術的な見地からは、俗説迎合で素人批判に耐えない著作は、業績として相応しくないとみる。
念を入れると、ここでは、氏の考古学考察を批判しているのではない。国内古代史の視点から「倭人伝」に造作を加えている「現代語訳」、「現代解釈」に基礎を置いている不都合を指摘しているのである。
*「近畿」綺譚~「中和」提唱
「畿内」に異議を示す一方、「近畿」を受け入れるのも筋の通らない話である。「近畿」は「王幾」から発し、「畿内」とちょぼちょぼである。まして、「近畿」の「イメージ」は多様である。伊勢神宮の後座する三重県が近畿かどうか、議論の絶えないところである。
奈良盆地は、ほぼ一貫してヤマトと呼ばれたなら「ならやまと」で十分ではないか。それで範囲が合わないのであれば、南北記法で言う「中和」(中部大和)が一案である。
いや、「古代史学界」が、確固たる定見を示さないのが問題なのである。
未完
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