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2024年2月13日 (火)

新・私の本棚 海戸 弓真 「邪馬台国は四国だった」 女王卑弥呼の都は松山 4/4 補充再掲

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 私の見立て★★☆☆☆ 労作 前途遼遠    2023/09/22 2024/02/13

*奇怪な捏造
 野津氏は、現代中国船員(正体不明、根拠不明の憶測)が、海図や羅針盤、六分儀などの高度な手段を使用せず、太陽の方角と太陽暦の日付から、方位を暗算するとしていて誠に奇異ですが、それを二千年前の使者の方位感と連動させるのは、誠に奇異で、神がかりと見えます。
 いや、確かに、現代にそのようなインチキ航海術が横行しているのでしょうが、それは、帯方郡の役人のように、正規の教育を受けているものには、あり得ないのです。また、古代中国は、月の満ち欠け、出没をもとにした暦で動いていたので、太陽暦は、通用していないのです。

 著者が、このような「神がかり」を信じるのは誠に残念です。

 地軸が傾いているのは、現代人ならではの知識ですが、東西南北の方位決定は、そのような見当違いの知識とは関係です。「子供だまし」と言いかけたものの、現代の小学生は、当然知っていて、子供は騙せず、小学校の学習を忘れた年長者しか騙せないのです。
 因みに、「緯度」と題していますが、「倭人伝」に「緯度」など一切書かれていなくて、掲げられている現代地図にも存在ないので、この議論は、丸ごと「ゴミ」なのです。

*無法解釈の先例
 因みに、田中俊明氏が、「会稽東治」を「会稽」と「東治」に分解し「東治」を「東冶」とする改竄、無法解釈を、著者が信じ込んだのは残念です。根拠のないこじつけは、まずは、疑ってかかるべきなのです。

*無理な誘致努力~なせばなる
 著者が、「邪馬台国」伊豫誘致「比定」キャンペーン(軍事作戦)で呼び寄せた援軍の胡散臭い議論で、ここまで辛抱していた耳を傾けていた読者が、一斉に引くのが見える気がします。姿勢を考え直した方が良いかと愚考します。

邪馬台国の都は松山である
 突如、難路の果てに、「現在形で絶叫している」のは、余程行き詰まったからでしょう。それにしても、「松山の人」が、ほとんど邪馬台国」の所在地と思わないのは、「日本」古代史で、温泉や斉明天皇滞在の「伝承」はあっても、「卑弥呼」伝説は史書にも地域伝承に一切ないので、むしろ当然でしょう。もちろん、学校で習わず、試験にも出ないから、知らなくて当然でしょう。
 因みに、現代人にとって、「都」は、「市町村」の上に来る、おおきな「まち」に過ぎず、物々しく訴えても、空振りするだけです。
 古代、伊豫国司は今治であって、松山はむしろ後出であり、しかも、「邪馬台国」存在の記録が、まったく残っていないのは、納得されないでしょう。

 以下、一段と胡散臭い段落が続きます。

*科学を超えた奇観
 確かに、「白石の鼻巨石群」と淡々と称されている石組みが現存しているのでしょうが、人工的と断定するのは大いに無理でしょう。
 気安く引き合いにされた「ストーンヘンジ」は、陸地に巨石が列置、配置され、人手と時間次第で構築できますが、当巨石群は、海渚浅瀬で足場が悪く、木組み縄掛けして吊り下げ移動などできないので、巨石郡を構築しようがないのです。これほど不定形では、近代技術でも、計測不可能です。
 頂部巨石を、所望の方角に向けて精密に整列するには、コンピューター制御重機群と熟練運転者が不可欠です。つまり、実行不可能な法螺話です。相手にしてはならないのです。

 当巨石に関する「古代人工説」は、その当時、毎日新聞専門編集委員であった「佐々木泰造」氏が、同紙夕刊の連載コラムで、思いつきを書き立てたために、権威ある全国紙毎日新聞社の支持するものと誤解されて、世上に広がったようですが、当ブログで早々に論破したように、学識に乏しい素人が、専門家の検証を仰ぐことなく「でっち上げた」、不合理な夢想に過ぎないのであり、学界で検証されたものでもなく、毎日新聞社が支持しているものでもない一個人の所感/意見/思いつき/落書きなので、真面目に自説の論証を勧めている著者は、不合理な「与太話」として、早々に棄却すべきです。要するに、著者所説は、このような「与太話」に関わらなくても、まったく問題無いので、程々に扱うべきです。
 以下、著者は、四国各県各地の郷土史資料を提示していますが、どう見ても、三世紀当時の「倭人」統治者の居処と見られる発掘例は見て取れません。但し、限られた国家予算を、吉野ヶ里と纏向の大規模発掘に消尽しているため、他地域は、何かの開発計画の際以外、大して発掘できていないのですから、「結果」が出ていないのは、排除する理由にはならないのです。一部で燻っている『四国に「邪馬台国」遺跡無し』は、必ずしも正確な見解ではないのです。

 諸兄姉の著書を見ていただけば、北九州「筑紫」の厖大な出土物に圧倒されるはずです。並記すると不利なので取り繕ったのでしょうが、無理な比定地を担いだ不利は、余程の努力がなければ克服できないのです。

*閉店の弁
 ここで持ち分が過ぎたので、閉店とします。
 丁寧に助言したので、苦言連発は、ご容赦いただきたいと思います。

*参考記事
 下記は、世間に余りにも杜撰な「比定説」が氾濫しているのに呆れて、無理矢理創作した「合理的比定説」の見本(フィクション)であり、事実とは異なるので、よい子は真似しないように。
 古代ロマンの試み 「伊豫国宇摩郡邪馬台国説 こと始め」 序章  1/5 補充版

                                以上

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