新・私の本棚 笛木 良三 季刊 邪馬台国 136号 「魏志倭人伝は本当に短里..」三次稿 1/1
「魏志倭人伝は本当に短里で書かれているのか?」 2019/07刊行
私の見立て ★★★☆☆ 不毛の論争の朴訥な回顧 2019/07/11 2020/04/06, 09/28改訂 2024/02/19
〇愚問愚答
本誌一九八八年春号「里程の謎」は「古典」であり、掲題は愚直です。
三国志に、はなから「短里」なる用語と概念は存在しないから、『三国志に「短里」はなかった』のです。史学論文は、用語錯誤に注意すべきです。
このような批判は、同誌掲載に際し、編集責任者によって論文審査されていると信じるからです。論者も十分な見識を有し、率直な指摘に耐えるとみました。
*無駄なおさらい
古田武彦氏創唱「魏晋朝短里説」論議は先行論文参照で事足ります。紙数の無駄は悪しき先例となります。
本誌131号掲載の受賞論文、塩田泰弘氏の「魏志が辿った邪馬台国への径と国々」の広範で確実な論考を参照しないのは不用意です。学術論文は先行論文を克服すべきです。重ね重ね不用意です。
*見過ごされた「宣言」
ここで、肝心なのは、先賢諸兄姉は、揃って「倭人伝」記事を読み違えているのです。
「韓人、倭人は中国本土と異なる里数を使用し」の要約は、多重錯誤です。「里数」でなく「里」の論議なのです。また、「中国本土の里」、つまり、一里が現代単位の五百㍍程度と見える「普通里」の里数と六倍程度異なるとみえる里数を提示したのは、諸韓国や倭人の者でなく帯方郡の者となります。夷蕃は官制を知らないのです。不用意な用語選択です。つまり、因みに、愚見では、倭人伝に「韓人」は、登場しないはずです。宜しく。ご確認賜りたく。
「地域里」の「倭人伝」編纂時、「普通里」でない里数を採用せざるを得ず、後世検証できるように「宣言」したと解するのが、後世読者の務めと感じます。明白な宣言を見過ごして「三国志」本文の「雑記事」をもとに泥仕合したから、掲題設問に三十年を経て解答が出せていないと思量します。
追記:2024/02/19
以後の考察で、ここに示した表現は、若干浅慮の粗忽であったと反省していますが、そのまま残します。
つまり、倭人伝に示された「郡から倭まで一万二千里」の提言は、遅くとも、遼東郡太守公孫氏が、後漢献帝建安年間に、当時の「倭人伝」稿に書き記したものと見ます。陳寿は、史官の責務に従い、「魏志」編纂にあたって、原「倭人伝」(「倭人伝稿」)を蹈襲したものです。漢制の施行されていた、つまり、「普通里」の道里が知られていた区間を、あえて、「郡から狗邪まで七千里」と明示したのは、それ以降、倭人伝に限って臨時の「里」を適用しているとの宣言なのです。「倭人伝」の眼目/(必須)要件は、郡を発した文書が何日で「倭」に届くかという規定の確立であり、それが、「総じて四十日」であると規定したのが、正史夷蕃伝における「都水行十日陸行一月」の意義なのです。(「都」は、はなから蕃王居処に使える文字でないので「論外」であり、一も二も無く「すべて」と解すべきなのです)
史官の教養の持ち合わせのない東夷が、このあたり、自明の理を見逃していたのは、まことに不明でした。深く反省しています。
*図の錯解
以下、氏は、意義不明の「図」の概念で論じますが、「図」は非論理的で、読者の感性に向けて、自身の幻想を押しつけるものなので、論拠になりません。
ただし、機械製図のように、一定の工学規則に沿って作図解釈される「図」は、規則を学べば一意的解釈が成立し、論拠たりえますが、それは例外です。
論者は、根拠無く三世紀の陳寿が見た「世界図」を論じますが、全て論者の脳内図式で第三者に何の意味も無い夢物語は、紙数の無駄です。
*迷走の果て
最後に、論者は、我に返って史料を直視しますが、史料が読み解けないと、長々と夢想にふけったことの反省があるのかどうか。
結局、論者は史料を直視せず、他人の意見を丸呑みしています。陳寿が、漢制の施行されていた区間を明示した「郡から狗邪まで七千里」の「原器」を渡海一千里で、すこし曲げていますが、「渡海」は本来、日数勘定であって、実距離と連動しないと見定めたのを忽然と抛棄します。そのような右顧左眄の論証は信用できません。
また、実測でない、不確かな「里数」の換算に高精度計算を施すのは、時代錯誤です。不確かな数値は不確かなまま扱うのが「合理的」、「科学的」です。
*まとめ
すべて読み通して、合理的な推論手順を外れた、何十年の堂々巡りが実績として浮かびます。
先賢諸兄姉の厖大な論考によって、「正解を得られないと証された不毛な論議」は捨てるべきです。「本当に」などと、空疎な常套句に貴重なタイトルの三文字を空費している余裕などないはずです。
以上
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