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2024年2月13日 (火)

新・私の本棚 海戸 弓真 「邪馬台国は四国だった」 女王卑弥呼の都は松山 1/4 補充再掲

 eブックランド (アマゾン) 2018/09/11
 私の見立て★★☆☆☆ 労作 前途遼遠    2023/09/22 2024/02/13

◯はじめに
 本書は、五年前に出版されていて、小生が気づかなかったのは「不明」ですが、諸兄姉の書評がなかったからです。何しろ、「邪馬台国」本は星の数ほどあるから、存在価値が見えないと手に取ってもらえず、掃き溜めに埋もれていると見えます。
 一つには、以下触れるように、古代史論の書籍としての体裁/構成が整っていない、論点の根拠の適確に示されていない、推定臆測の山は、相手にしてもらえないなど、とりあってもらえないものなのです。また、世上はやっている「駅前邪馬台国」、つまり、邪馬台国比定地を既に決めている論者は、持論と異なる地名が出ていては、端から論外なのです。

◯不吉な出会い、不幸な出発
 本書の構想に際しては、是非とも先行諸兄姉の著作を参考にしてほしかったのです。つまり、「邪馬台国」論義で不可欠なのは、参照する「倭人伝」版本と「日本語訳」の品定めですが、遺憾ながら、著者の取り憑かれた田中俊明氏訳文は、素人受けする流麗なものでしょうが、ここに例示された「邪馬臺国」「可七万餘戸」「周旋」が、出所不明、あからさまな誤解誤訳で、一発落第、退場ものです。もっとも、当方は、田中氏に教育的指導するのは、到底、力の及ぶところではないのです。それにしても、田中俊明氏は、調べの付いた限りでは中国史書の専門家でなく、「倭人伝」現代語訳は、器量に余るはずなのですが、どうも、ご自身の理解できない原文を、無理矢理どこかの訳文に似せて、「飜訳」しているのかと疑われます。それとも、誰かを影武者にしたのでしょうか。しょせん、出版社編集部の眼鏡違い、当て外れの畑違いのようにみえます。もちろん、田中氏の「暴走」は、善良な一読者である著者に責任は無いのですが、本署を草するに当たって、無雑作に巻き込まれているのは、もったいないのです。
 それにしても、著者は、束の間、田中版「倭人物語」に言及したのち、夢想世界に遊びます。これでは、大抵の読者は、呆れて放りだすでしょう。書店店頭で立ち読み開始早々に「却下」するところで、アマゾンではそれも成らず、辛抱して読み通した次第です。

 次に不吉なのは、著者は、田中氏の名訳に触発されて、なぜか、四国地図を持ち出して、地図上に思いを馳せていることです。要するに、以下は、著者の想像世界であり、「倭人伝」の「文字」は、ほとんど登場しないのです。余り、良いお手本に恵まれなかったようです。

第二章邪馬台国への行程
 魏志倭人伝を書いた使者が書き残した自らの行程

 この小見出しには、どっとずっこけるのですが、「倭人伝」原文二千字は多くの人の史料原稿を集成した編纂物であり、以下著者が論じる「行程」が、誰か一人の手に依ったものか、何人かが書き足したのか、慎重に調べなければ決まらないのです。私見では、これは、遅くとも使節発進の事前資料であり、行程の概略が分かっていたので、所要期間、所要資材などが分かっている内容を上申して、皇帝の許可が得られたと見るものです。
 それはそれとして、田中俊明氏は、ご自分の解釈で、日本語の文章を書き連ねているようですが、見かける限り、原文の理解に(大変)難が多いので、原文と同趣旨かどうか疑問です。(平たく言うと、あらかた間違っているとの評価です)
 大事な書き物は、基礎資料を、しっかり、丹念に、石橋を叩くように踏み固めてないと、しばしば落とし穴にはまるのです。せめて、二種以上の資料を比較吟味すべきです。

 著者は、いきなり、「使者は大変旅慣れた」人と決め付けていて、以下、滔々と書いているのですが、どう見ても、「倭人伝」原文には、影も形もない空想連発です。どうして、そのように理解したのか、誠に不思議です。相談する相手を間違えたのでなければ、幸いです。

 いや、このような大事な使節には、現地出張経験のある有能な官人を選んだに違いないというのは、著者の見識であれば、同感したいところですが、最近まで、帯方郡は、謀反人だった公孫氏の支配下にあったので、司馬懿が指揮した遠征軍が、遼東郡の関係者全員を処刑したのを見ると、帯方郡の関係者が、一緒に(連座して)処罰/処刑されなかったのは、不思議なのです。
 と言うものの、発想自体は大変貴重なものです。

 大事な点ですが、著者は、「使者」が、ベタに出張行程を書き連ねたと決め付けても、かねて疑問集中の投馬国行程は、消化しきれず、後日改めて」二十日かけて往来したとして、予告を踏み外していて、誠に、想像力豊かな読み解きですが、困ったものです。
 「倭人伝」の編集責任者である陳寿は、奴国、不弥国、投馬国の三国は、行程外であり、報告/連絡が乏しいので事情がよくわからない、公文書に書いているから残しているが、要するに、意味不明である」と断りを入れているのです。

 と言うことで、なぜか「邪馬壹国」ならぬ「邪馬臺国」は、著者の解釈に依れば、不弥国の南にあって、本来、明快に行程を書いているはずなのに、著者の解釈では、なぜか「その周囲を船で巡ると十日、歩いて回ると一ヵ月かかる」としていて、全く、筋の通らないのですが、もはや、立ち止まることはできないようです。
 また、後続諸国は、使者が実地調査し踏破した行程となっています。使節団の正使、副使は、雑用/肉体労働などしない身分の高い方々で、自分の脚で歩くことなどないのですが、どうやって、そんな長丁場をこなしたのでしょうか。また、使節団の任務は、下賜物、お土産の送達であり、そのような地理調査は、一切命じられていないのですから、著者がこだわるのは、随分に奇怪です。

 そして、著者は、「倭人伝」から「帯方郡から女王国まで一万二千余里」と確認していますが、太古以来、一里は、「尺」(25㌢㍍程度)を基準に一定の関係[一里は三百歩(ぶ)であり、一歩は六尺、つまり1.5㍍程度なので、普通の一里(普通里)は、450㍍程度に決まっている]から、どう見ても、「普通里」と「倭人伝」に書かれている「里」には、六倍程度の違いがあるのに、何の感慨も示していないのです。
 使者の行程を、片道四十日、往復八十日としたら、それは、普通里で片道二千里程度でしかないのが簡単に計算できるのです。これが、普通里で一万二千里であれば、往復五百日になるのです。いかがお考えでしょうか。

 ここで、突然口調が変わって、以上は、著者が、多大な思考を費やして得た解読としていて、不意打ちに愕然とします。根拠は、前置きするものなのです。分かっていたら、読み飛ばして後で戻るところです。

第三章 「漢字源」を水先案内にして
 この章の行き届かないところは、解読を国産漢和辞典「漢字源」に頼った上に、結構、国産辞典「スーパー大辞林」に頼っていて、さらには、原文ならぬ中国語に疎いと見える田中氏の解釈/飜訳に頼ったのですが、冷蔵庫の食材にこれしかなかったのかも知れないものの、著者の折角の研究の頼りにするのは、誠にもったいないと言わざるを得ません。
 以下、「水先案内」が行程に疎いのか、訊き方を間違えたのか、とにかく、船が山に登っているように見えるのは、素人老人の眼鏡の度が狂っているのでしょうか。確かに、「漢字源」は、古代以来の中国漢字文献の用例を取りこぼしていないようですが、「倭人伝」解釈に専念しているわけではないので、「水先案内」 として限界があるのです。目前の海の様子の案内が不確かのようでは、頼り切って乗り出せないのです。

 「倭人伝」原文は、古代中国人が、古代中国人に献上したものであり、現代日本人(無学な東夷)の辞書や見当違いの飜訳頼りでは理解できないのです。過去、諸兄姉が、解釈を誤っているのは、こうした事態に陥ったからと見えるのですが、著者は、同じ道を辿ったようで、誠に、もったいないのです。

                                未完

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