新・私の本棚 番外 上村 里花 毎日新聞 「邪馬台国はどこにあったのか」賛辞再掲
「考古学界で優位の近畿説に反論 九州説の「逆襲」相次ぐ理由は」
毎日新聞 2020年7月21日 10時20分 (最終更新 7月22日 15時19分)
私の見立て ★★★★★ 絶賛 毎日新聞古代史記事の復興 に期待 2020/08/01 補追 2023/01/16 2024/02/12
▢補追の弁
当記事は、初見時に、冷静、確実な取材と卓越した筆致に感動して絶賛したのだが、今般、某同僚記者の杜撰な「古墳」談義を読まされて批判記事を挙げたことに影響されて、同紙の名誉回復の趣旨で再掲したものである。
今次補筆(2024)は、参照された方があったので、手を入れただけである。
〇はじめに
当ブログ筆者は毎日新聞宅配購読者であるが、当時、留守で宅配停止していたのでWeb記事で拝見した。
本記事は、全国紙に冠たる毎日新聞の古代史記事の復興と見て、勝手ながら賞賛した。従来、同紙で散見した纒向中心の安直な提灯持ち記事と異なり、冷静な目配りで一般読者(納税者)に、古代史に関する適確な視点を提供する記事であるので、ことさら目立つ言い方をしたのである。
記事中紹介されている片岡氏の著書の原文を入手するのに日数を要したが、確認した所では、記者の読解力は適確であり、先輩諸氏の変調と無縁である。
*報道ならぬ騒動
見出しが半ば揶揄しているが、末尾の高島氏の談話が説くように、「学界で優位」、「逆襲」は、復讐も逆襲もない学問論に不適切である。
*考古学界の動向
いや、正体不明の考古「学界」であるが、実際は、とかく表層で喧噪をまき散らしている「風聞」集団がすべてでなく、良識を有する研究者/論者が、寡黙な大勢を構成していると信じている。
片岡氏の論議であるが、劈頭、まずは、纏向が支配的な学界風聞の引用である。学術発表が「報道」されていれば引用できるが、同紙を先頭に「ヒートアップ」とか「近畿説で決まり」など、野次馬好みの喧噪が、伝統ある全国紙に書き立てられているのは、報道機関として「世も末」である。
そのような風潮に抗してか、片岡氏の論議は、概して冷静で、学界に蔓延る軽率な風聞を窘め、まことに貴重である。
ただし、別記事(近日予定)書評で歎いたように、氏は、遺跡、遺物の研究を専攻している考古学者であり、同時代文献、つまり、中国史書(の燦然たる一章)「倭人伝」の解釈では、「専門家」のご意見を拝聴した感じであり、そのため、原文解釈ではなく、「手前味噌」が堆い(うずたかい)国内通説、俗説依存の和流「読替え」訳文を(本意か不本意かは不明であるが)忠実に信奉し、原文の意義を、元から取り違えて伝えていると見える点が、氏の折角の冷静な論議の脚もとを揺るがして、何とも「もったいない」。
それに付随して、氏の中国「古代国家」観は、時代離れした後世/異郷史学論法に染まっていて、立て続けに空を切っているので、ここではひっそりと治癒を祈るものである。もちろん、以上は、氏だけの宿痾ではないので、気に病まないで頂きたいものである。
*時代錯誤「訳文」に依存~片岡氏批判
端的に言うと、「倭人伝で晩年の卑弥呼は、千人の侍女をはべらせ、常に警護がつくなど、強大な力を持った姿で描かれる。しかし、それは半世紀近くの治世の間に生まれた権力で、当初はクニグニに「共立」された弱い存在に過ぎなかった。(後略)」と時代錯誤訳文に、赤々と染まっているが、このように「翻訳」文に惑わされたために生じたと見える、苔のように纏わりついた先入観を取り除き、描かれている原文に回帰して、その真意に密着すると、以下の判断が提示できるはずである。
倭人伝の原文から考えると、ここにでっち上げられた「晩年」は、二千年後生の無教養な東夷が、勝手に「共立」の時代比定と卑弥呼の年齢推定をずらし、挙げ句に、「長期在位」としたお手盛りの年齢を押しつけただけであり、当人は、老齢でもなかったし、また、神ならぬ身で、自身の死が近いとは思っていなかったし、また、老人でも病人でもなかったと見えるから、「晩年」決め付けは、「倭人伝」と無縁の事実無根である。
婢千人は、侍女とは限らないし、女王が、身辺に多数の女性をはべらす意義も不明である。「王治」(後漢書にいう大倭王の治所 「邪馬台国」)の警護を想定しているが、「倭人伝」にかかれた諸「国」に城壁のある要塞は存在しない上に、「強大な力」は、後生東夷が勝手に創作した幻影である。陳寿「三国志」魏志「倭人伝」には、「半世紀近」い 治世も、クニグニに「共立」されたのも書かれていない。
少なくとも、「共立」は二者以上、三者以下と見えるが、「クニグニ」と書き殴って多数、三十ヵ国と思わせるのは、狡猾に過ぎる。何しろ、「倭人伝」に「クニグニ」などかかれていない。とにかく、有る事無い事てんこ盛りの「ごった煮」に見えて信用ならない。
そもそも、衆議一決して排斥されるほど強力な男王を継ぐ王は、本質的に弱い存在ではないから、朝議に参加させなかったのであろう。それにしても、文書行政でない古代君主が、朝廷御前会議を主宰せずに、どうやって、強力に統治できたか、不明である。
以上の不都合は、女王の「性格」(片岡氏の手前味噌造語)を纏向から九州北部を「強力に支配」した権力者のものに仕立てた創作、つまり、原文に無い「俗説」満載の創作劇に起因するものに過ぎない。言うならば、『「魏志倭人伝』が描いた邪馬台国』も、同様の背景による「俗説」の被造物である。「我田引水」に荷担するのは、せめて、最低限、十分に史料批判した後のことに願いたいものである。
*切望される原典回帰~片岡氏批判
当記事を魏志に採用した陳寿は、同時代史家であり時代錯誤にも、和風意識も無縁である。心ある考古学者は、陳寿によって、女王の墓碑銘として構想された「倭人伝」の泥や苔を洗い落として欲しいものである。
*冷静な総括
末尾の高島氏の談話は、冷静な指摘であり「逆襲」などではない。「現在の考古学界にはそれが決定的に欠ける。それが問題であり、課題だ」と適格に断じておられるが、「問題」、「課題」には、編纂者である陳寿によって、明快な解答、是正策が示唆、ないしは予定されているはずである。ぜひ、高島氏の慧眼で模範解答をお願いしたいものである。
古代ギリシャの挿話「幾何学に王道なし」の流用であるが、中国古代史文献に「ジーンズとスニーカー/サンダル履きの散歩道」は無い。
〇まとめ 河清を待つ
本記事は、全国紙の古代史記事の「正道」を想起させる。諸先輩は、何度でも顔を洗って、原点から出直してほしい。
時を経て、人が代わっても、毎日新聞の泥や苔にまみれた古代史記事は残るのである。と言うか、当分野の先賢諸兄姉の一部の通説に媚びた「曲筆」三昧は、永久に残るのである。
その意味でも、当記事は、担当記者の清新さが感じ取れて、清水再来(clear water revival)を待望するのである。
以上
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