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2024年3月16日 (土)

新・私の本棚 番外 倉山 満 学校で習った「中国の歴史書」はデタラメばかり 4/6

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*根拠のない(無自覚の)妄想
これ、何の根拠もない妄想でもなく、足利幕府と持明院統の朝廷に楯突いて九州を占拠していた後醍醐天皇の皇子である懐良親王が明に使いを送って、「私こそ日本の支配者だ」とかナントカ嘘八百億を並べたら、マヌケにも皇帝も政府も信じたという、明確な史実が残っているのです。

 なぜ、三世紀を考証するのに、千年以上後の明史を参照するのか。氏の心身は、大丈夫でしょうか。「明確な史実」とおっしゃるのは、中国史書の中で、「明史」がお気に入りなのでしょうか。それにしても、中国史料の読解ができていないのはともかく、国内の南北朝対峙の事態が、正確に書けないのは、氏の資質を大いに疑わせるものです。「九州を占拠していた後醍醐天皇」というものの、終生天子であった先帝は、叛徒を恨みつつ、とうに崩御していたはずです。
 マヌケにも皇帝も政府も信じたと能天気なことを言っていますが、 蕃夷の奏上は、そのまま史実として記録に留めるのが、中國の蕃夷あしらいだったのです。皇帝も政府(日本政府のことか)も、べつに、蛮夷の申し立てを、そのまま信じたわけではないのです。エッ、そんなことも知らないで書いたのですか。

*「億万」という世界
 ちなみに、余談ですが、中国では、太古以来、「億」とは極力書かずに、走り書きしやすい「万万」と書いたものです。字画がやたら多いと、日常の実務で不便ですからね。中国本土では、簡体字になって「亿」と書きやすくしてしまったので、今や、「億」が生きているのは、日本と台湾正体字ぐらいだけのようです。と言うものの、グローバルで云うと、数字単位の発達の遅れた3桁単位の欧米諸国には、「億」に相当する単位が無いので大変不便であり、4桁単位で「億」「亿」のある「東アジア」諸国は、一歩進んでいるのです、エッ、そんなこと知らなかったというのですか。

*史書を書いたのは誰か
 なお、中国史書は、皇帝の著作物ではありません。特に、魏志倭人伝は、当時の「権力者」(だれのこと?)の知ったところでなく、まして、「政治文書」(何のこと?)などではありません。何かの誤解/妄想でしょう。
 「中華皇帝」(だれのこと?)の「意図」(何のこと?)を知ることなど、現在、過去、未来の誰もできないし、そのような試みは、時間の無駄です。いや、氏か物好きで、とにかく時間つぶししたいのなら、勝手にしていただいて「大丈夫」です。いや、氏のことを身の丈一丈(少なくとも、八尺、2.5㍍越え)の大男だと「セクハラ」表現しているのではないのです。

*無意味な余談
明智光秀は「阿奇知」、秀吉の記述もデタラメ…
魏志倭人伝どころか、例えば戦国時代の記述にしても中国の記述はメチャクチャです。

 中国史で「戦国時代」というと、秦始皇帝の天下統一に先立つ時代です。ちゃんと、勉強してほしいものです。以下、本筋と関係ないので省略
 「インテリジェンス以前の問題」は、白日夢の寝言なのでしょうか。意味不明です。要するに、当記事の内容がいい加減なのは、持ち込んだ日本人の責任なのです。「中国人には漢字の倭人発音は、一切できない」ので、人名表記は南蛮人宣教師の意見かも知れません。
 なにしろ、(野蛮な)南蛮人の言葉には、日本語の美点である柔らかいガ行「鼻濁音」がないので、本国報告は「信長」は、“NOBUNANGA”、「長崎」は、“NANGASAKI”と、固い野蛮なガ行でなく、多少似通って聞こえる“NGA”などでお茶を濁しているのです。
 いや、その辺りは、南蛮人の文書で察することができるのですが、南蛮人の居なかった倭人伝時代の帯方郡官吏が、どのようにして、「倭人」語を、当時の中国語の漢字音に取り入れたかは、正確なところは、誰にも分からないのです。

 後世、百済人は、漢字のふりがなにできる表音文字を工夫していたのですが、中国から、漢字をそのまま学ばないのは不法として厳禁されてしまったので、百済には、庶民の漢字学習を助ける「ふりがな」は発生しなかったのです。その点、東夷の果ての日本は、中国の監視が、比較的緩かったので、百済の迫害の教訓を生かして、ひっそりと庶民も習い覚えることのできるかな交じりの書き言葉を発達させたのです。

 して見ると、結局、いい加減なのは、ものを知らない氏の態度です。

人や地域の名称は音にあてこまれているだけ
中華帝国の正史は「皇帝の歴史」ですから、皇帝から周辺に行けば行くほど不正確と呼ぶのもおこがましいほど、不真面目になっていきます。

 「皇帝の歴史」とは、何の話なのか趣旨不明です。多分、「不(真)面目」の書き損ないでしょうか。中国の「法と秩序」をとことん甘く見ている氏の心身の健康は、本当に大丈夫でしょうか。

「魏志倭人伝」とか、後から出てくる「宋書倭国伝」「隋書倭国伝」を必要以上に、ましてや聖典の如くありがたがる必要はありません。

 また、「ありがたがる」ことを卑しんでいますが、謙虚に資料に直面することはできないのでしょうか。いや、氏は、巧妙に、これら資料は「必要なだけ」ありがたがると、逃げています。誰が、「必要以上」と言えるのか、誠に不可解です。「聖典の如く」の馬鹿馬鹿しさは既報です。
 それにしても、誰に習ったのか、支離滅裂で無様な罵倒筆法です。

ただし、だからといって「魏志倭人伝」が百パーセント嘘だということにはなりません。漢字表記は、特に人や地域の名称は音にあてこまれているだけですから、解釈の可能性は広いのです。

 『「魏志倭人伝」が百パーセント嘘』とは、未検証の新説です。『「魏志倭人伝」は嘘ばっかり』というのが『通説』ではないでしょうか。もっとも、どちらも、実現不能/検証不能な妄想/暴言と言えます。

                            未完

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