新・私の本棚 牧 健二 「魏志倭人伝正解の条件」 2/3
*私の見立て ★★★★☆ 大変重大な資料 2019/11/05 再掲 2024/03/22
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
*「海の街道」の不成立/虚妄
中国の制度で、官道が海を行くことはあり得なかったのです。官道は、人馬の移動を支援する宿駅(郵亭)が常備され、其の宿駅を支援する兵站が完備していたのです。従って、宿駅の位置と管轄担当の地域主体(国王、県主)が明記された規定が必要なのです。其の規定があれば、陳寿も現地を確認することなく道里記事が書けるのです。しかし、当時、半島沿岸に「海の街道」が存在したとの記録は無いようです。後世史書にもありません。記録がないということは、三国志の編纂を司った陳寿にとって、そのような経路は存在しないのです。
*「実態」論は、道里論議に無用
それは、そのような移動方法が、実際は困難とか容易とか論じているのではありません。まして、魏使が通ったかどうか実態を言っているのではありません。公的な制度として存在しないから考慮されないのです。さらに念押しすると、ここで論じているのは、そのような経路で人が往き来してなかった、物が運ばれていなかったと言うものではありません。国の制度として、そのような移動方法はなかったと言っているのです。国の制度上、そのような経路は選択肢として存在せず、つまり、陸上移動に決まっているから陸を行くとは書いていないのです。
それにしても、魏使だろうが、魏の旗を担った帯方郡使だろうが、規則違反の「海のみち」を行くはずがないのです。郡太守も、そのような無法を指示するはずがないのです。
因みに、太古以来細々と通っていた、弁辰から帯方郡へ重量のある鉄材を送る「銕の路」は、半世紀以上前にしっかりした官道になっていたのですから、魏使が真っ過ぐ東南に通じている街道を通らない理由はないのです。
*渡りに舟
さて、そこで、疑問が出て来るのですが、陸上移動できないときはどうするのかということです。簡単です。渡し舟という移動方法が常識です。現代と違って、官道と言えども、架橋されていない時代です。陸上移動の補完手段として、渡船は古来ありふれているから、各官道は当然渡し舟を利用するのですが、如何に中国の大河といえども、数日を要する大河はないから、道里を記す際には、距離も日数も「はした」を無視して、特記しないで良いのです。
*倭人伝独特の「水行」~渡海 地域概念
ところが、狗邪韓国から先、大河ならぬ大海を渡るのは、移動距離も長いし、日数もかかるので、「はした」として無視できないのです。そこで、陳寿が、考え出したのが、倭人伝独特の地域水行概念の宣言と地域定義の利用なのです。
大陸では、「水行」は、実務に於いて、大河上の輸送手段を規定するための常用語であり、「水行」は、荷物を大量に運ぶ際に人畜を特に労しないから、人畜の食糧や宿舎を考慮しないでよく、日数はかかったとしても格段に低廉なので、帝国各地から天子のもとに納入される穀物の輸送を主務として規定されています。いわば、運送業者の運賃体系/料金表であり、本来、道里記事には適用されないものなのです。
なお、荷物輸送とは別に、文書通信など急を要する場合には、陸上の街道と渡し舟を駆使して疾駆するのですが、これもまた、公式道里とは直接関係しないのです。
これに対して、当行程の渡海は、日程優先であり、荷物輸送でもないのです。但し、街道移動とは明らかに内容が違うので、大陸の水行とは別の水行を定義した上で、宣言し、適用したのです。つまり、「海岸を後ろ盾にして海を渡るのを水行という」(循海水行)と宣言したのです。そのため、渡海と明記の水行を三度重ねた後、上陸後の最初の行程を「陸行」と解除宣言したのです。
*傍線、除外行程の理由
倭人伝の道里記事解釈で、投馬行程は、公式道里の対象を外れた傍線であって、主流の道里記事の里数計算外としたのは、水行二十日と無造作に書いた点にも表れています。厳密に解釈すると、この行程は海を渡るはずですから、少なくとも、二十日を要する渡船は、どこからどこまでと明記する必要があるのですが、狗邪韓国から末羅国に到る「水行」が、三段階に明細を記されているのと異なり、投馬国記事は曖昧、不明瞭であり、行程道里の一部ではないのは明快です。
これは、投馬が行程外で、郡から倭まで万二千里と明記され、「水行十日、陸行三十日」とこれに相応した総所要日数の対象外だからです。ついでに言うと、大国なのに、戸数が不確かで済んでいるのも、同様の理由でしょう。総戸数が、七万戸と概数にとどまっているのは、大国投馬国が、五万戸にとどまっているからです。
未完
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