新・私の本棚 長野 正孝 古代史の謎は「海路」で解ける 4/9 四訂
『卑弥呼や「倭の五王」の海に漕ぎ出す』 PHP新書 2015/01/16
私の見立て★☆☆☆☆ 根拠なき推定の沼 2017/12/12 再掲 2020/07/08 2021/07/20 2022/06/21 2023/04/19 2024/04/17
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
*白日夢の展開 承前
一.五 纏向国から魚買い出し舟が行く
ここで、遂に著者の白日夢です。
「三輪山麓の纏向から盆地を横断し、大和川下りで魚買い出し舟が数十隻連なって、およそ二十㌔㍍を行った」と言い切りますが、舌の根の乾かぬうちに、下りは五,六時間、上りは、二日かかると、何とも不細工です。
そのような川下りは、能書き通りに日帰りなら頻繁に往来できるでしょうが、一泊二日以上の長丁場では、下った日は魚を積んだ川港で寝泊まりし、翌朝こぎ出して途次で一眠りし、翌日、昼過ぎにでも、奈良の市に魚を出す「絵」です。二泊三日の食事はどうするのか、鮮魚は二、三日持つか疑問です。
さらに、大和川筋から奈良盆地東部纏向までは、当然、きつい登り坂であり、手漕ぎ船で登るのは大変難航です。と言って、川沿いに大勢動員して、日々の食糧を大層な曳き船で登らせるのも、馬鹿馬鹿しい限りです。曳き手を揃えて食糧をあてがうから、大量の食料を担ぎ上げるという趣旨でしょうか。
盆地内の細流に乗り入れられる小船は、軽量とは言え、載せられる積み荷は微々たるものなので、全重量というものの、船体の重みが大半です。結局、船体を担ぎ上げて日々を過ごすことになるのです。
そうした、持続的に実行できない絵空事を、滔々と言い立てるのは、ほら吹き商売の持病でしょうか。
いや、そもそも、通常の荷役なら、荷を小分けして、大勢で分担して背負い込んで登れば、どうということは無いのです。というものの、そのあと、空船をどうするのでしょうか。漕ぎ登るのでしょうか。河川が、山並みから直接流れ出していて、根本的に水量が乏しく、渇水期が多いのに加えて、増水期には、河川が氾濫し、広範囲に水没する奈良盆地で、運河水運などあり得ない愚行です。必要なのは、ため池でしょう。
いや、そもそも、奈良盆地のような傾斜地に運河開鑿とは画餅も良いところです。運河は、等高線状に開鑿するから、安定して運用できるのです。高低差のある運河など、あり得ないのです。
寝ぼけた話は、ご勘弁頂きたい。
とかく、関係者というか当事者は、遺跡発掘公費確保のために、きれいに手軽に想定図(イメージ イリュージョン)を描きますが、自然法則無視の画餅が多いのです。一種の捏造です。
*無理な鮮魚商売
買付談義に戻ると、地域の市から、半日程度かけて各家庭に届きやっと調理できます。こうした迂遠な買付は、日常生活の中で長期に維持できるとは、到底思えないのです。天候、渇水、氾濫問題などが一切無いとしてもです。そして、肝心なことですが、これは、鮮魚類流通の絵とはなっていません。
あり得るのは、浜でゆで干しする「干し魚」でしょうか。保存するためには、塩が必要です。河内湾岸に、大々的な干し魚「コンビナート」を作り上げたのでしょうか。干し魚を担ぎ上げた帰りは、何を担いで戻るのでしょうか。往復輸送があってこそ、「コンビナート」なのです。
著者が絵解きしなければ、この画餅は、罪作りな夢想です。
*うつろな夢想
このように、著者の推論は、大きくうねって、まずは、奈良盆地に「古代国家」(時代錯誤の極み)があって、大和川船便で食糧輸送したとの夢幻世界に誘い込んでいます。先人考察で、奈良盆地(都市国家)への大和川経路が提案されますが、現実的な実施形態を検証し、安直な受け売りや時代錯誤は避けるべきです。
*大和川幻想あるいは願望
江戸時代の付け替え以前の大和川は、奈良盆地からの落差を一気に流れ下る早瀬であり、人間業では遡上できません。付け替え後、下流の平野部は一路、天井川になって、等傾斜で西行していますが、往時は、河内平野に突入して扇状地を形成した後、北へ分流していて、とても、漕ぎ船の主力経路とならなかったと思います。
後年、山間からの水流が安定したので、多少は水運に供したようですが、それでも、物流の大勢は、早々に陸揚げして陸上輸送したとみられます。
大和川の流域を眺めても、山間を抜ける渓流部の流れ沿いに人夫が曳き回る道は、あり得ないないように見受けます。と言って、手漕ぎの曳き船で補助するのも、無理と見えます。そこまでして、船体を担ぎ上げる意義は、どこを探しても無いのです。何しろ、奈良平野に、川船を荷船として運用できるような川筋は無かったのです。
*曳き船の不合理
現実に戻ると、河内平野の荷のかなりの部分は、二上山竹ノ内峠越えのつづら折れの道などを、重荷を背負った多数の者達が往き来したと思われます。大和川沿いの経路は、険阻で、しかも、地盤が不安定で山崩れが頻発しているので、常用されたかどうか不明なのです。
一方、奈良盆地北部は、淀川・木津川経由で木津の川港に荷下ろしてから、背の低い「なら山」越えで到達できます。こちらが、奈良盆地極北に設置された「平城京」の表玄関であったと見るべきでしょう。何しろ、古来、淀川は、今で言う「水運」の幹線であり、大動脈だったのです。
纏向遺跡は、創業できても守成できなかったので、最終的に、盆地南部、山地に近い飛鳥に竹内峠越えの古代街道に負けて、さらには、平安京遷都に抗し得なかったのであり、万年隘路の大和川川船横行は、願望の幻像です。
未完
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