私の見立て☆☆☆☆☆ 2016/01/20 再掲 2024/04/17
=専門編集委員・佐々木泰造
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
◯始めに
毎日新聞夕刊文化面に月一の連載コラム「歴史の鍵穴」と題した記事が掲載されていて、どうも、専門編集委員佐々木泰造氏の執筆がそのまま掲載されているらしいことについて、また触れることになった。と言っても、4度目なので、当方も、あごやら手やら、くたびれるのである。
天下の毎日新聞の専門編集委員の玉稿に口を挟むのは不遜かも知れないが、当方は、毎日新聞社の社員でも何でも無く、宅配講読している「顧客」の立場で、高名な著者の重要な記事に対して、今回も失礼を顧みず、あえて遠慮なく書いていくが、相手の怒りを恐れない「率直」は、誠実(Sincerity)の極致と思って言うのである。
*斉明女帝の御出航
今回は、いよいよ斉明女帝の御出航であるが、一段となまくら論理(?)の迷走で、二の句が継げなくなりそうであった。
*旅立ち回顧
冒頭に、連載記事の主題を強調するように、御座船の針路を日の入りの方位に合わせていたと言うが、地図でわかるように、それでは、船は、程なく四国山地に突入するのである。掲げられた地図の上に直線を引くのは簡単であるし、天文学的な計算を高精度で行うのは、当代のPC愛好家には片手業だろうが、地上、海上を進むものには、到底実行不可能と考える。
今回の記事にも、関連地点の地図が掲載されているが、素人には、不審満載である。念のため、過去ログを自己引用し、掲載する。
「多武峰付近の御破裂山から、松山市近郊の白石の鼻までの直線経路は、見たとおり、出だしが淡路島に乗り上げた後、すぐ四国の山地(今日の香川徳島県境)に入り込み、そのあと、燧灘沿岸の海中を辛うじてなめるものの、高縄半島に乗り上げている。経路のほぼ全てが、見たとおり、遠く見通すことのできない陸上である。太陽の沈む方向に、となると、現代人でも、軽飛行機ででも飛ばない限り、とても「追いかけて」行けるものではない。無茶な言い回しである。」
*ホラ話(架空論)の始まり
また、物々しくこの日(1月14日)の日の入りの方位は、257.9度と小数点第一位まで書かれているが、これは大嘘である。いかに現代科学が進歩しても、1450年前の日の入りの方位をそこまで正確に計算することは不可能と考える。(関連計算の計算精度のことは、御自分でお調べいただきたい)
また、現代の科学者であっても、現場で観測していて、落日の中心を見極めて、その方位を0.1度単位で決定するのは至難の業と考える。(事実上、不可能と言いたい)
また、地図上に図示された地名の場所は、その位置を257.9度と提示された数値と「一致」するほど正確に求めることも不可能と考える。
いずれも、現代の科学技術をもってしても、現場での測定で(信頼できる数値として)4桁精度が確保できるかどうか、身近な専門家に確認していただきたいものである。
こうした、一見科学的でじつは裏付けのない論法は、現代科学のご威光を借りた、文字通りの「架空論」と思われる。
まして、カレンダーも時計もなく、海図、地図や羅針盤もなかったと思われる(「なかった」とする証拠資料を提示できないので推定とする)当時の人にできたことは、西方の方角を見て、思いを馳せる、つまり、遙拝、想到するだけであったと思うのである。
近代の航海のように、専門技術を備えた航海士が、海図と羅針盤をもとに、六分儀による精密な天体観測をおこなって、現在位置を確認できたとしても、陸上通過を前提とした一定方位に合わせて、迂回した海上航路を経由して、最終的に所定の目的地に辿り着くよう進路を取ることなどできるものではないと考える。
言うまでもないが、海図は、誰かが、事前に測量を重ねてようやく描き上げられるものであり、歩測や測量機器による精測が可能な陸上でも、地図とコンパス、ないしは、天体観測によって、遠距離を誤りなく進めるようになったのは、遙か後世と考える。
つまり、神がかりで、当日の日没の方位を0.1度単位で知ったとしても、その方位角に従って航海することは不可能と考える。
繰り返すが、御座船の現在位置を正確に測定する手段はなく、目的地の方位を正確に知る手段もないのに、どうやって、進路を方位と一致させることができるのだろうか。ホラ話と批判されて、応答できるのだろうか。
*修行の不足
このあたり、専門編集委員の科学観が、中高生レベルから間違っているのであり、間違った方向を向いているのである。意見形成の土台となる見識が方向違いでは、筋の通った意見を形成できるはずがない。
今からでも遅くない。一から学び直し、考え直すことであると愚考する。
*虚名の罪科
とは言え、ぱっと見にはもっともらしい科学的な裏付けであり、それが権威ある高名な筆者の名の下に、毎日新聞の専門編集委員の肩書きで権威付けして堂々と前面に打ち出されているだけに、当方も、執拗に、つまり、丁寧に、誠実に、批判せざるを得ないのである。
*不審の自覚
因みに、当連載記事筆者のお人柄を信じたくなるのは、「もう一つの謎」と題して、「御船、還りて那大津に至る」の一句の意味が解せないことの確認である。「悪意」はないようである。
ここまでに展開されたお話は、一種のおとぎ話、たとえ話、ほら話、落とし話、の類いとして笑い飛ばすとしても、この一句は、そこまでに展開された「おとぎ話」と「還」の一文字で、決定的に食い違っていると考える。
無理に筋の通った説明を付けようとすると、「御船」は、本来、那の大津が母港であり、手元の素材資料の御船の帰還記事を、その趣旨を理解しないまま、(御船とは別の)斉明女帝の御座船の到着と誤解してしまった、とも思われる。
当記事で書かれているような、「斉明女帝が、百済支援の船群を率いて出航しながら、半島西岸に赴くのに大きく方向違いの壱岐に出向いて、敵前逃亡さながらに帰港した」という不名誉極まる航海だったという「不敬極まる読みをされかねない記事」を、正式史書に載せている気が知れないと考える。
いずれにしろ、意味の通らない結句をここに置いたことは、書紀の歴史記録としての信頼性の低さを示しているものと思われる。「もう一つの謎」などと軽く片付けるべきものではないと考える。
「還」の字義は大層な参考書を繰らなくても、自明事項(Self-evident, Elementary)と思われるのである。およそ、書紀の草稿起筆を任されるほどの者が、気づかないはずはない。まして、文書校正する高位者が気づかないはずはない。解決策は簡単で、「還」の一字を削除すればよいのである。なぜ、放置したのだろうかと困惑するのである。
書紀は、当時、広く講読されたと言うから、筋の通らない記事には、批判が出たと思うのであるが、それとも、出なかったのだろうか。
してみると、ここ(書紀の編纂部門)では、誤記、誤編集が野放しになっているものと考える。誤記、誤編集が野放しになっている部門が編纂した資料は、全ての記事の全ての字句を信頼してはならない(全てが誤っているという意味ではない、個別に検証しない限り、記事を全面信頼してはならないという意味である)とするのが、客観的な「ものの見方」と考える。
ここで、大胆に書紀記事の信頼性について断罪しているので、論拠を示すとしよう。
「誤記、誤編集は、必ず発生するものであり、発生した誤記、誤編集を、発見し、是正することにより、誤記、誤編集が最終文書に残らないようにするのが、時代、社会環境を越えた編纂者の責務と考える。「編纂者の責務」というのは、これを守らなければ、最終文書が誤記、誤編集混じりのものになり、誤記、誤編集が事実として継承されるからである。そうした事象を理解せずに編纂されていると思われる資料は、全体として、信頼してはならない資料である」と考える。
とは言え、全面的に資料の否定を打ち出すと、個別の記事毎に精査すべきだという正論めいた批判が出てきそうなので、狭い範囲の話にすると、ここまで説かれた「斉明西征」記事の一連の辻褄の合わない記事は、本来、由来の異なる断片記事の貼り合わせによる「創作」と推定されるものであり、そのような批判が克服できない限り資料として信じてはならないと思うのである。
そのような、信じてはならない記事を、不正確な科学論理で強引に正当化して、延々と説き続ける論者の信頼性も貶められるのであり、気が知れないと思えるのである。
*書紀の史料批判~私見
そうそう、基本的な意見に還るのだが、書紀に、最高権力者の大々的な行幸記事のちゃんとした記録が残っていないのは、なぜなのだろうか。
壬申の乱で近江宮の宮廷記録が焼失したとしても、乱後の天武天皇の朝廷には、当時の関係者が大勢生存していたはずであり、2カ月の滞在地や九州北部の各機関にも、生存者がいたはずであり、当時の業務記録が残っていたはずである。重要な記事であれば、史官、書記官は、それにふさわしい努力を払って書き残すべきではないのだろうか。もちろん、はるか、遙か後世の無責任な批判なぞ、言っても詮無いのであるが。
*架空論の戒め
それにしても、独自の自説に応じて図上に直線を引いて、それにあわせて、現実に自説を投影して話を運ぶというのは、古代史学につきものの「空論」とは言え、無検閲で掲載されるという特権を与えられている高名な学者の採るべき正々堂々の論法とは思えない。「牽強付会」と言う四文字熟語が思い浮かぶのである。
またも、繰り言になるのだが、高名な専門編集委員には、記事を熟読し、難点に気づいて苦言し、思い違いを窘めてくれる良き友はいないのだろうか。
以上