新・私の本棚 瀧音 能之 邪馬台国論争の現在地 歴史人10 3/3 再掲
OCT 2023 「日本の古代史が変わる!?」 ABC アーク
私の見立て★★☆☆☆ ひび割れた骨董品 学問劣化に警鐘か 2023/09/25 2024/04/10
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
□卑弥呼はどんな祭祀を行ったのか?
「シャーマン」なる俗説で、卑弥呼を超能力者に擬しているが、「倭人伝」に明記されているのは、卑弥呼は、生涯不婚の巫女であり、共立される以前は、衆の求めに応じて、共通する祖霊の助言を仰いだのである。「人々を思いのままに導いた」と著者は糾弾するが、巫女に権力志向の「思い」など有りえないのである。とんでもない冤罪である。滅多に重臣諸侯に臨見せず、また、口頭の「お告げ」であるから、卑弥呼は、どんな意志をいだいて、どのように意志を徹底できたのか、想像するのも困難では無いか。
そもそも、卑弥呼は有力氏族の一員で、父祖は、父方母方双方の者と見え、両家/両王が従うのは、卑弥呼が鎹(かすがい)だからなのだろう。もう少し、古代人の思いに理性的に想到/解釈し、三世紀人が知らない「シャーマン」など、持ち出すべきでは無いと思われる。
それにしても、卑弥呼「天照大神説」は、指摘されていないが、いつの間に廃棄されてしまったのだろうか。
▢卑弥呼はどんな生活を送っていたのか
【最新の定説はこれだ!】
*宮室に住み、高殿で祭祀を行った。
コメント 宮室かどうかは知らないが、少なくとも、地べたから離れて、床の上にいたはずである。床下に風を通さないと、雨水が浸入して、かびが生え、ネズミが巣を作って、たまらなかったはずである。特に、冬季、地べたに藁を敷くようでは、寒くてたまらないと見るのである。
*弟と巫女の内弟子数十人が仕え、姿を見たものはほぼいなかった。
コメント 誤解に誤解を重ねて、戯画になっている。「姿を見たものは、ほぼいなかった」とは、ものを知らない誤解であり、女王として臨見、接見したものはほとんどいないというだけである。奴婢が身辺の世話をする「奧」では、大勢が姿を見たはずである。独身でも単身でなく、両親も兄弟姉妹がいたはずである。
あえていうなら、朝見するときは、文身で顔を染め、御簾に隠れたとしても、普段は、文身を落とし、髪を解いて、色気のない素顔で、普段着で生きていたはずである。
*動きやすい麻の服を着用し、民衆同様の食生活を送っていた。
コメント この項も戯画尽くしである。
倭人に麻があったとは初耳である。麻が栽培されて普及していたら、強靱な帆布、麻縄が調達でき、早々に帆船が整っていたはずである。
被服を動きやすくするには、「仕立て」と「着付け」が不可欠であり、ゴワゴワとされる麻布だから、着心地が良いというものではない。高貴な身分の女王は、長袖長裾で、動きにくかったはずである。女王は、朝見すらしないのだから、動き回ることはなかったのである。
下戸は、布地を縮めて、ツンツルテンで、膝あたりまでのホットパンツになっていたかもしれない。
当時、「民衆」がいたとは聞かない。「大家」は豪勢な暮らしをしたろうが、「小人」は、玄米や雑穀を蒸して食して、副食は市(いち)で買い付けたのか。
女王は、お供えで食卓を賑わす事ができるから、「民衆」と同列とは、侮辱ではないか。
念押しするが、同時代、掘り下げた地面の上で生活していたとしても、床がなかったと言われるのは、決めつけすぎである。せめて、簀の子の上に、藁茣蓙としなければ、四季を過ごせなかったと思われる。
◯閉店の弁
くたびれてここで打ち切ったが、総じて、現場・現地に密着した丁寧な考察が不足していると見える。特に、これっきりしかない「倭人伝」解釈が、軽率な黒子の「受け売り」とは感心しないし、校閲が無いのも感心しない。
いや、ここだけ臨時「フラット」で音程を下げて調子外れになったかもしれないが、全体に、古代史論で場違い、時代錯誤の言い回しが多い。
(数えてもいい)あちこちで、「最新」「定説」と言われても、いつ、どこで、誰が、どんな根拠で「説」を提案し、どんな権威者がどのように審査して「定説」としたのか、「可視化」公示していただきたいものである。もちろん、異議/コメント公募も不可欠である。そうでない「お手盛り」は、物騒極まりなくて、とても、食えない。
以上
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