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2024年4月 8日 (月)

新・私の本棚 榊原 英夫「邪馬台国への径」 補 序論

 「魏志東夷伝から邪馬台国を読み解こう」(海鳥社)2015年2月刊 
私の見立て ★★★★★ 総論絶賛、細瑾指摘のみ   2021/10/08 補充 2022/03/13 2024/04/08, 04/25

*加筆再掲の弁
 最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。

〇緒言のお断り~限定的論義
 榊原氏の本書での論議で気になるのが、後世概念闖入による不首尾です。
 例えば、氏は、東夷の変遷を理解していますが、殷代に山東半島の東夷が討伐されて一掃されたと誤解していますが、東夷が漢語を読み書きし古典を解する「教養」人、文化人となって、「夷」でなくなったのであり、民族不問です。もっとも、各国で、古典書を諳んじているような文化人は、一割に遥かに及ばなかったはずです。
 古来、中国史書で、稀少な例外は除き、民族を想定させる風貌記載は無く、身体特徴は短躯とされた曹操、晏子などの偉人を除けば、特記されているのは、「丈夫」の巨漢です。「丈」は、別に十尺(三㍍)というわけでなく七尺(二㍍)なら「丈夫」、さらに強調して「大丈夫」と形容したと思われます。素朴な強調は、東夷によって誤解され続けているのです。(日本人の日常会話で「大丈夫」がどんな意味になっているか、確認いただければ幸いです。極端な場合、「ネギラーメン」を注文したのに、「ネギ、大丈夫ですか」と確認されるようなものです)
 と言うことで、「文化人」となった者達は「夷」と呼べないので、東夷は「発展的に」解消し、中原人はさらなる僻遠の地に無教養な「東夷」を求めたと思われます。別に、中原人が、東夷を侵略しつくしたとは限らないのです。
 因みに、後の戦国「齊」「臨菑」は、四方に交易の道を得て繁栄し、万物が一に都(すべて)會する「一都會」との賛辞を受けていたと班固「漢書」に讃えられていますが、それは、東夷と呼ばれた太古にも同様だったとみるのです。案ずるに、商の執拗な東方征伐は、侵略者の撲滅などでなく、東夷が得ていた巨利を妬んでのものだったと見えます。
 一説では、商(殷)は、東夷から発して、中原を制したとされていますが、出自の故郷を征伐したと言う事は、実は、国を追われたものかも知れません。

*孔子東夷談義~ずれた理解
 氏が引用する孔子の言で、海」(うみ)に筏を浮かべても、「日本列島」には、到底達し得ません。
 「筏」は、要するに、船室、船倉、甲板のない軽舟、小船であって、船体は備わっていないので、潮風、雨ざらし、海水浸入で、普通人は、数日しか耐えられません。気軽な「浮海」は、山東半島沖合の海中の山島、朝鮮半島行きですから、食糧ももつし、外しようがありません。
 要するに、北を齊に遮られていた「魯」の孔子が、東に「東夷」を求めようとしても、深遠な「海」に遮られたので、結局、「北に浮海して北海を越えて、海中山島に行くことになる」との世界観だったのですが、その先の道のりは、遂に知るところではなかったのです。つまり、北の「海」(うみ)に浮かぶ「海中」の朝鮮半島が目的地だったのですが、孔子にとっては、遂に、「彼岸の地」に終わったのです。まして、半島の南方に浮かぶ遥かな世界は視界の外だったのです。

*「首都」談義~枯衰する「都」の概念
 氏が、持ち出した「首都」と言う後世語ですが、三世紀、「都」は、洛陽などの帝国皇帝居城専用です。蕃夷に「都」は、あり得ないのです。また、「首都」と言うのは、幾つかの「都」があって、「首」は、順列一位というに過ぎません。言わば、「都」が、唯一絶対でなく、大安売りされた時代の造語なのです。魚豢「魏略」佚文では、『魏文帝曹丕が、長安、洛陽、譙、鄴、許昌を「五都」とし、「洛陽」を首都とした』とあるようですから、三世紀当時にそのような造語が出回ったのかも知れませんが、三国志本文には見当たりません。
 余談ながら、「都」が蔓延状態にある現代日本では、かつて、平安朝以来の「京都」に服する「東京」(とうけい)と称した「首都」の意義は揺らいでいるようで、むしろありふれたまち(都)で、でかく、賑やかなものと解されているようです。あるいは、都道府県と列記された最上位でしかなく、仮に、一時唱えられた「大阪都」が成立すれば、それこそ二都時代の「首都」に過ぎないことになるところだったのです。
 そのような長々しい時代考証はともかく、三世紀における「首都」を(仮想された)広域国家の国王居所と解して、古代の各国が、(仮想された)広域「国家」を形成していたとみるのは、「倭人伝」に明記も示唆もされていない要するに(仮想された)「幻想」です。少なくとも、「文化」の唯一無二であった原点「中国」では、とうに滅却された概念のように思うものです。

*連邦国家談義~時代錯誤の一例
 氏が持ち出した「連邦国家」なる後世語ですが、国体が不明では「邦」と呼べるかどうか不明です。邦」は戦国七雄の領域国家と地域聚落「国邑」を区別しましたが、漢高劉邦を僻諱して死語となったので、古代史では意味が不確定です。いずれにしろ、「連邦」は場違い、時代錯誤です。近現代欧州史を語る際のことばであって、国内史学会の諸兄姉が、古代史論議に持ち込むのは、時代錯誤の愚を犯しています。
 また、倭人伝の諸「国」は、客観的に証されない限り「邦」との大国宣言はありません。「邦」がなければ、「連邦」はないのです。

 「連合」と緩めてみても、三世紀当時を時代考証する限り、隣近所の村々との連合、談合ならともかく、遠隔地に散在する諸国が、どう連絡を取って、どう盟約を締結して、どう連合を形成し、維持していたのか不可解です。文字無しで文書は送れず、馬無しですから、各国は健脚の伝令を走らせていたのでしょうか。数世紀の時代錯誤があるようです。
 いや、隣近所であれば、月に何度か寄り合いして、その場で談合すれば、「朝廷」だの「連合」と称することができるのですが、そんなに物々しい「国家」像を描かないと、「イメージ」、「イリュージョン」が描けないのでしょうか。国内史学会の諸兄姉が、古代史論議で展開する論議は、一から十まで時代錯誤の愚を犯していると感じます。誰も、分別を示して制止しないのでしょうか。

*意味のない戸数~方里の意義
 そもそも、中国式の「戸」は、各戸が、所定の耕作地を牛犂などによって耕作する前提で「国家」の国力を評価しているのですが、倭人は「牛馬無し」、つまり、農民が自動的に(自分の手足でAutomaticに)耕作し荷運びする東夷では、戸数によって収穫量を算定することはできないのです。つまり、東夷伝各国の戸数は、各国の獲れ高指標にならず、私見ですが、そのために「方里」なる、独特の統計指標を採用したと見えます。陳寿は、読者に対して太古の中原世界を想起させるよう努力していますが、「自動的な耕作」は先史時代の社会になるので、適当な史料がなく、道里も戸数も、曖昧にするしかなかったようです。
 まして、各国に正確な戸籍がなければ、「戸数」は憶測に過ぎず、家族構成が不明では、兵員徴兵の際の指針となる口数(成人男子の)人口推定の役にも立たないのです。ついでに言うと、文字や計数の基礎教育が、全国に行き届いていなければ、戸数、工数の全国集計はできないので、ますます、意味のない統計数字となります。

*後世語、後世概念の排除
 要するに、中国史書解釈で、「後世語」、「後世概念」の無法な混入は、論者と読者の意思疎通を、大いに疎外するので厳重に避けるべきと思われます。

*周旋談義~大仰な解釈
 氏は、「周旋五千里」に通俗解釈(?)を採用していますが、海上洲島、小島が散乱した国家形態で、領域周長などおよそ無意味です。文脈から、そのような俗説は不都合だと理解いただきたかったものです。ご自愛いただきたいものです。もちろん、当時、精密も何も、今日言う「地図」はなかったし、群島国家の領域など測量のしようがなかったのです。
 同時代の袁宏「後漢紀」で、「周旋」は、「二つの名家を往き来する」用例で、まことに、日常感覚の明解な地理観で、素人にも納得できます。つまり、倭人伝」では「狗邪~倭間が五千里と明示されている」ものと思われます。郡~狗邪~倭の主行程記事に、奴国、不弥国、投馬国の傍路条が挟まったので、読者が誤解しないように念押ししたと見ます。
 倭人伝の冒頭、まず、「倭人は、帯方東南に在り」と大局的な地理を明示した後、倭人は、「大海中山島」に「国邑」を形成していたとの予告を受け、洲島を伝い倭に渡ると念押ししています。何しろ、島の上に聚落を形成していたので、城壁は必要なく、国境など不要だったと書かれているのです。
 そして、末羅で上陸して、以後、陸行に転じて伊都~倭直行と明示しているのは、長期水行渡海を要して九州島内に収まらないのが自明の投馬国」共々、奴国、不弥国は、主要国でありながら、風俗記事を書かず、余傍であることを明示しています。

*倭人伝解釈に王道無し~余談
 随分言い古された警句ですが、倭人伝」は、後世東夷人に耳当たりの良い「紀行書」などでなく、三世紀当時の知識人が、同時代の知識人に提示した「問題集」なのです。同時代知識人が自慢の教養をもってしても適度に苦労する「解釈」が必要で、「読者」であった皇帝初め教養人に、軽く頭を捻らせる難易度だったのです。
 もちろん、「読者」が投げ出すような高度な設問ではないので、手頃な小手調べであって、問題」に対する解答は、当時、自明に近かったのですが、現代では、なめてかかった不勉強な落第者が、巷間山を成しているのです。知識、見識が不足して「落第」するのは、自然の成り行きであって、別に、恥じても何でもありません。「落第」を逆恨みして出題者を誹謗するのが「末代の恥」なのです。このような事態を岡田英弘氏が指摘したように、「二千年後世の無教養な東夷」は、謙虚に勉強し直すしか無いと思うのです。
 なお、以上は榊原氏に対する批判などではなく、世間に溢れる不埒な「落第」者に対する苦言であることは、ご理解いただきたいものです。氏は、惜しくも及第していませんが、最善を尽くした上での結論であり、提起された解釈は、陳寿に成り代わって、敬意をもって受け止めたいと思いますが、当方には「問題集」を改訂する術はないので、その旨よろしくご了解いただきたいものです。

                        この項完 以下別途
補追
 近来、榊原氏の本書における道里論に、不完全な史料引用で追従している論者が目に付いたので、この場を借りて、事態是正を図ります。
 

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