新・私の本棚 古田史学論集 25 谷本 茂 『「鴻廬寺掌客・裴世清=隋煬帝の遣使」説の妥当性について』 再掲
古代に真実を求めて 古代史の争点 明石書店 2022/3/31
私の見立て ★★★☆☆ 無用の深入りの感 2022/04/18 2024/04/10
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
◯はじめに~伸びた鎖の危殆
当論は、丁寧であるが、核心を離れ不確かな末節に囚われた感が勿体ない。
古田武彦氏は、好著「古代は輝いていた3」で、隋書「俀国伝」/書紀「推古紀」の不整合論について、隋書原点への回帰を宣言したが、それ以降、依然として、「推古紀」の「妥当性」検証に陥っていると見える。当方は、一介の素人であるが、古田氏の趣旨に沿って、明解な判断を示そうとした。
以下は、当ブログ過去記事に、(当然)重複するが、「俀国伝」起点の書紀「推古紀」評価により、「推古紀」の不備を露呈して、端から門前払いしてみせようというのである。
*本体部分~「推古紀」の重大な誤記と捏造
⑴ 「推古紀」は、「隋」を「唐」と誤記している。
⑵ 「俀国伝」は、隋使「文林郎」と明記し、「推古紀」は、誤記/捏造している。
⑶ 「俀国伝」は、隋使・遣隋使非同行とし、「推古紀」は、誤記/捏造している。
⑷ 「俀国伝」は、隋使は隋国書不持参とし、「推古紀」は、誤記/捏造している。
⑸ 「推古紀」は、遣隋使が訪百済時に、隋国書を略取されたと捏造している。
「推古紀」記事を不当とする理由を五点に絞ったのは、諸兄姉の諾否を容易にするためである。異論があれば、以上項目に反論していただきたい。
*補足説明~「推古紀」の捏造・改竄疑惑
説明不足とのご意見が懸念され、補足した。論証厳密でないかも知れないが、根拠ではないので、末節の揚げ足取りはご容赦いただきたい。
書紀編纂者の手許に、隋使来訪時の公文書記録は、存在しなかったと思われる。推古天皇の使節派遣時に「唐」は存在せず、従って「隋」と記録するべきである。
また、隋使裴世清は、皇帝/天子代理人であるから、絶対、本来の卑官を述べてはならないが、もし、何らかの事情で名乗らざるを得ないとしたら「文林郎」と名乗るべきである。これらの事項に、誤記、誤解はあり得ない。鴻廬寺「掌客」は、蛮夷渉外係の最下位であり、これを名乗ることは「客」が蛮夷に対する「外交辞令」であることを暴露するので、死罪に値する大罪を犯すことになるのである。
先に述べたように、「日本書紀」編纂時、「推古紀」(編者)は、公文書捏造・改竄の重罪を犯しているが、勅命に従い、文書を「復原」したので、免罪となったと思われる。
中国史官は「述べて作らず」を遵守するから、このような際には、史実をそのまま記述し「推古代公記録は存在せず」と明記した筈だが、書紀編者は中国史官でなく、創作の「不可能使命」に応じたと見える。ただし、手ぶらで創作できないから、典籍、例えば、四書五経、史記、漢書、春秋を引用したものの、肝心の隋書は入手できなかったと見える。
先に挙げた事実関係の不具合が是正されていないという事は、「推古紀」は「俀国伝」を参照せずに創作したと見る。
以上は、強固な物証でないが、強固な「状況証拠」であり克服困難と見たものである。「俀国伝」入手時は「書紀」公開後で訂正不可能だったと見られる。
従って、隋使関連記事は、専ら「俀国伝」に依拠すべきである。
*古田氏の悔恨
古田武彦氏は、自認したように、「俀国伝」と「推古紀」の融合によって、国内史書「書紀」の面目回復を図り、かえって揚げ足取りの餌食となって、本来明解な論議が混濁したのである。
かたや、「推古紀」支持者は『奈良盆地発の倭国東アジア「外交」』なる古代浪漫(Myth)を高々と謳歌して「推古紀」を金科玉条としている。本来「古代に真実を求める」「俀国伝」考察は、これを後押ししているのである。
◯結論
隋書「俀国伝」優先の古田氏提言は、一見、原史料尊重の古田氏信条に反すると見えるが、実は、「あらゆる古代史史料は、中国史書基準で史料批判した上で、採否を決するべきである」と言う史学大原則に沿うものと思われる。
以上は、諸兄姉に「安易」な議論と見えても、本来、「真理は、核心に於いて明解、安易である。」
史学素人の素人考えで、そう思うのである。
以上
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