新・私の本棚 坂本 光久 「新邪馬台国の研究… 4/4
…魏志倭人伝の漢字を読み解く」Kindle版 2024/03/13
私の見方 ★★★★☆ 面目一新、されど前途遼遠 2024/04/01
*中国語の誤解
氏が軽視して、あまり老師の助言を仰いでいないようですが、古典中国語の誤解が目立ちます。
「水」は河川で「うみ」ではありません。末羅国で「好捕魚鰒、水無深淺、皆沈沒取之」というのは、河川漁業であって、深いところで「沈没」して、つまり腰のあたりまで水に浸かって(しゃがむようにして)魚鰒を捕らえたのであり、「海人」が「潜水」していたなどと解釈するのは、海(うみ)を知らない古代中原人の中国語を知らない人の誤解です。
「大海」は内陸の塩水湖であり、史書で言う「海」とちがうと示しただけです。たしかに、西域のカスピ海は巨大な塩水湖ですが、中原にいるものは実物を見ることがないまま、横切るのに船で半年、一年かかると妄想しています。これと関係なく、「倭人伝」の「大海」は、塩水が滔々と流れる「大きな川」であり、中の島(州島)伝いに対岸に渡るという感じです。末羅国で上陸した後の陸地の様子は、いい加減というか不明瞭です。
「田」は農地であり「田地」(水田)と限りません。三国鼎立と言っても、蜀漢と東呉は稲作主体ですから、「田」は、ほぼ水田なのですが、古来中原とされる曹魏の中心部は、水田が少ないのです。漢詩で「田園」と言っても、水田かどうかははっきりしないのです。ついでに言うと、一大国(壱岐)は、水田農業が盛んだったでしょうが、山が大部分の対海国(対馬)は、水田農業が難しかったと見えます。
第6章 伊都国[に]ついて考える
6‐I 伊都国の当て字
倭国は中国側が勝手に背の小さいチビが暮らしている国なのでそう呼んでいた[。]
倭国内の国名表記は音から中国人が当てはめた漢字ですが、奴国の「奴」、邪馬台国の「邪」や「馬」、狗奴国の「狗」等の様な、失礼な漢字を使っています。
倭国にしろ、「倭」の漢字を使用して、かなり馬鹿にしています。
しかし伊都国に対しては、膀るような漢字は一切ないどころか「都」の字を当てています。
これはどうして他の国々に使われているような、見下した漢字を使わないで「都」のようなキレイな漢字を使用しているのでしょうか?
伊都国について魏志倭人伝にはどういう風に紹介しているか見てみましょう。
以上は、物を知らない人の意見に左右されて現実離れして、勿体ないところです。
「倭」は、太古以来、稲作民族を讃えた意味で使われていて、随分後世に、北方民族上がりで教養不足の隋皇帝が「矮」と混同したのでしょう。
「奴」、「邪」、「馬」、「狗」が、「失礼」とは物知らず丸出しです。二千年後生の無教養の東夷が、中国を「失礼」と侮辱するのは滑稽です。
「礼」とは、儒教で説くように「人」の行動規範です。蛮人は、「礼」を知らず「人」扱いされないので、そのように扱われて文句は言えないのですが、秦漢代以来、異民族の蔑称は排されて、「客」と尊称していたのです。
ただし、敬称めかさずに蔑称すると、蛮人が開化後に知ってひどい反発を買うからです。例えば、漢高祖劉邦は「匈奴」単于に降服して貢ぎ物をして兄事し、蔑称できなかったのです。漢帝国を中断した新朝皇帝王莽すら、尊大な「匈奴」を侮辱しきれずに「恭奴」と敬称したぐらいです。
時代違いですが、唐代に「日本」と改称したのは、自国が「三国魏に貢献した卑彌呼の後裔でも無ければ、東晋、劉宋に貢献した倭国王とも関係無い」と自認したと見えます。
ちなみに「都」は、一般的には、「すべて」の意味であり、「倭人伝」の「都市牛利」は、恐らく『全「いち」管理者』でしょう。中国の公式官制で、「都督」と付く官名がありますが、別に、「みやこ」の監督者では無いのです。
「都」を「みやこ」としている用例は、西周代以降希少であって、主流は、「京都」(けいと)、「京師」などです。当然、「人」扱いされていない蕃王の居処は、はなから排除されています。つまり、伊都国の「都」は「みやこ」の意味で命名されたのではないのです。
関連して、原文で「南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月」とあるのは、「南至邪馬壹國女王之所」。「都水行十日陸行一月」。と句切って解釈するのが、正史の用語として「自然」です。兎に角、蕃王に「都」は有りえないから、「…女王之所」で行程記事が終わり、行を変えたつもりで、「所要期間は、都(すべ)て水行十日陸行一月である」と「読む」のが正解なのですが、国内の古代史学界でほぼ全員が不正解しているのです。「通説」とか「全員一致」とか、言うだけ空しいのです。真理は、多数決、満場一致では、決められないのです。近来、高名な岡田英弘氏の苦言を土台に、「二千年後生の無教養な東夷」と諸兄姉に自覚を求めている原因のひとつです。
「馬鹿」は、昭和前期日本人が尊大にシナ人を蔑視した呼び方で、中国語としては、絶対に避けるべき死語であり、能天気な日本人が知らないだけです。
「倭人伝」論では、先人の失言を真似ず、口を慎んで、暴言を避けることをお勧めします。
◯まとめ
以下、氏の考察は厖大ですが、当ブログの圏外に近く、また、本稿の持ち分を超えているので、審議はここまでとし、氏の寛恕を請う次第です。
(陳寿曰) 頓首頓首死罪死罪
以上
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