私の本棚 大庭 脩 「親魏倭王」 三掲 8/12
学生社 2001年9月 増訂初版 (初版 1971年)
私の見立て ★★★★☆ 豊かな見識を湛えた好著 2018/05/26 補充 2020/06/24 2022/12/13 2024/04/20
最初に見立てを入れるのは、以下を非難と取られたら困るからである。
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
*唐代正史革命
唐皇帝の北朝正統史観では、「南朝は、西晋が国家崩壊によって滅亡した後、残党が不法に東晋を再興した、不法な賊徒」というものであり、皇帝の指示と相俟って「正史」の客観性を喪失して行ったと見える。従って、「晋書」は、西晋の頽廃、紛争を語っていて、前代史の本分に務めた「三国志」と同列に見ることはできない。
*「宋書」州郡志の奇蹟~沈約の偉業
正史の過渡期の谷間で、「宋書」が「州郡志」を備えたのは奇蹟である。「宋書」編纂時点では、諸家後漢書が併存したものの司馬彪「続漢書」のみが「志」を備え、正史要件欠格の笵曄「後漢書」は、無名に近かったと見える。
この点、宋書編者の沈約は「前代史料は、班固「漢書」と馬彪(司馬彪)「続漢書」の「志」のみで、三国志は「志」を欠くので、会稽郡県の異同明細は得られず、辛うじて「呉書」本紀部から郡の異同を知るのみ」と歎くが、沈約が宋代公文書で補った「州郡志」がなければ谷間は全く埋まっていなかったのであるから、その功績は絶大である。
*会稽郡分郡
沈約「宋書」州郡志によると、会稽郡南部は、三国東呉時代に会稽郡から不可逆的に切り離され、会稽郡の「県」と呼べなくなっている。
東呉が、司馬晋(馬晋)に降伏した際、国志「呉書」と戸籍、地籍を献じたものの、国家としての記録である公文書は廃棄されたと見るのである。つまり、会稽郡の異同経歴は、沈約が公文書佚文を復元しようとしたものの、散佚していて、不確かだったのである。「宋書」州郡志を、信じるべきである。
したがって、陳寿「三国志」魏志「倭人伝」編纂時には、会稽郡南部の東冶県に関する曹魏史料は、全く存在しなかったのである。従って、東冶県から郡治に至る公式道里も不明だったのである。少なくとも「呉書」の会稽郡地理情報は、「呉書」未公認の間は参照できず、「呉書」を「呉志」として収容したとは言え、「呉志」記事を「魏志」に補充することは、不法であるから、陳寿が、「魏志倭人伝」に「会稽東冶」と書くことはなかったのである。
*公式「水」道里の謎
因みに、東冶、後の福州、厦門と会稽郡治の間は、海岸沿いに迫り出した巨大で険阻な福建山地で厳重に隔離されていて、会稽郡治まで、官道どころか通商路も、陸上街道を一貫して利用することはできなかったのである。分郡するしかなかったのである。
一方、正史「州郡志」に拠点から京都(けいと)建康の公式道里は必須である。
*宋書「州郡志」道里記事 維基文庫引用
江州刺史,晉惠帝元康元年,分揚州之豫章、鄱陽、廬陵、臨川、南康、建安、晉安,荊州之武昌、桂陽、安成十郡為江州。初治豫章,成帝咸康六年,移治尋陽,庾翼又治豫章,尋還尋陽。領郡九,縣六十五。戶五萬二千三十三,口三十七萬七千一百四十七。去京都水一千四百。
江州刺史治所は、去京都水一千四百。麾下の建安郡は、去州水二千三百八十。去京都水三千四十,並無陸。とされていて、江州陸路道里は別記されているようだが、東冶県の後身と見える建安郡治は、江州も京都も、陸路道里がなく、「水」、つまり、河川経路とされている。恐らく、渓谷を船行したのであろうが、唐代遣唐使留学僧の報告以外、史料が見えない。
このように、建康に避難した南朝は公式道里に「水」を認めたらしいが詳細不明である。
*東冶県談議
古田武彦氏は、陳寿が、三国鼎立期の東呉の国内事情、特に行政区画の変動を逐一時代考証した上で、「倭人伝」をまとめたと見ているが、「呉書」は「魏書」とは別の「国志」、別の巻物であるから、参照することはなかったのである。
未完
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