新・私の本棚 石野 博信討論集「邪馬台国とは何か」田中 琢 銅鏡論 2/2 三掲
吉野ヶ里遺跡と纏向遺跡 新泉社 2012年4月刊
私の見立て 星無し ただし、本記事に限定 2021/04/14 2024/01/27, 04/21
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
◯書紀の変格不法記事考察
因みに、国内史料「日本書紀」神功紀補注は、景初三年記事を「明帝景初」と改竄しています。
書紀編者は皇帝元日逝去の史実か、翌年改元の制度のいずれかを知らず、好意的に見ると、景初三年中、何ヵ月かは皇帝が存命だったから、そう呼んだとの先入観でしょうが、田中氏は、冒頭の「史料読まず・知らず」という自罰高言を裏付けるように、いずれの史料も「読めていない」不勉強を露呈しているのです。いや、はなからデタラメ満載と勝手に判定して、読もうとしないのでしょうか。
では、記紀も読まない、以下の史書も読まないのでしょうか。一体、何を根拠に、こうした暴論を言い続けるのでしょうか。
◯石野氏弾劾発言の考察~敬意無き乱闘発言
個人発言の後の、討論という名の意見交換で発生した大事件は、石野博信氏罵倒暴言です。
銅鏡舶来・非舶来論議で、石野氏は、「不勉強」(勉強不足)と自認し、つまり、大人の態度で謙遜し、持論を公言するのを避けましたが、暴言氏はまるで理解していないようで、「だったら勉強しろ」と言い放ちます。子供の口喧嘩みたいです。
まさに、この暴言は、自罰発言です。素人目にも、石野氏は、古代史の考古学分野の最高峰であり、広範、深遠な見識を備え、当然、銅鏡の由来にも定見を持っているはずですが、専門外への介入を避けたと見えるのです。(当方の銅鏡論は、定見に至っていないので、ここでは批判も何もいたしませんが、暴言は、敗勢を自覚した側から、自暴自棄隠しとして出るものです)
さらに深意を察すると、石野氏は、立場に相応しくないので、見解の明言を避けたと憶測されます。詮索を避け、「不勉強」発言をしたのは、まことに賢明です。
◯見当識喪失の発言
単純思考の持ち主である暴言氏は、これが、「討論でなく衆知の結集を聴衆に伝える公開の場」との意義を失念し、討論論客が誰かも忘れ、大先輩に論敵面罵発言を呈したのです。正直の所、これ程の暴言が公開されたのは驚きです。
田中氏は、「失見当識」に加え、書面発言を問わず、文章深意の理解力に欠けているようです。暴言蔓延防止のため、治癒まで蟄居謹慎をお勧めします。
*最後の暴言
田中氏は、最後に、またもや、根拠の無い暴言を発して何とも無残です。
曰わく、『昔はみな邪馬台国を「やまと」と読んでいた』。その証拠はどこにあるのでしょうか。氏は、史料を信じませんが、「倭人伝』にない「邪馬台国」を論じるのに、氏は何を信じているのでしょうか。奇っ怪です。まして、唯一信ずるに足る史料にない、手前味噌の国名の発音など、何の根拠もないのです。
*暴言救済
水野正好氏が、取り繕うように蘊蓄を傾けますが、要は、『「倭人伝」に現実に書かれている「邪馬壹国」は「邪馬臺国」である』との改竄に始まって『「邪馬臺国」は「邪馬台国」と同発音』、『「やまたい」でなく、「やまと」と発音した』と大変迂遠で、大飛躍連発であり、論理の鎖が繋がっているかどうかの不信は別として、これは、田中氏の持論に真っ向から挑戦するものと見えます。一向に、取り繕えていないのです。
*暴言フォローへの愚行
水野氏の発言を理解できないのか、田中氏は、またもや『「やまと」と読んでいた』と暴言します。「つけるクスリがない」のでしょうか。
「戦後変わったがそれ以前の昔は」と言う意図であるとしたら、「倭人伝」の時代である西暦250年頃から終戦1945年までの期間の発音の「信頼できる」記録史料はあるのでしょうか。と言うより、この暴論者は、信用できるのでしょうか。
これでは、田中氏の銅鏡観の同調者は、氏の「無知と不勉強」に同調・加担していると見なされ、暴言者に連座して、不見識だと自罰することになるのです。
○小結尾
田中氏の発言は、「邪馬台国」纏向派の足もとを根こそぎ掬います。主張のためには、唯一の同時代史料の「倭人伝」を「落書き」扱いするしかない、追い詰められた姿を露呈して、逆効果の自罰行為なのです。
石野博信氏ほどの泰斗が、暴論の徒を招請したのは勿体ないと思います。そして、席上受けた罵倒を、愚直に収録したことに複雑な所感を覚えます。
この項 完
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