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2024年4月 1日 (月)

新・私の本棚 坂本 光久 「新邪馬台国の研究… 2/4

…魏志倭人伝の漢字を読み解く」Kindle版 2024/03/13
 私の見方 ★★★★☆ 面目一新、されど前途遼遠  2024/04/01 

*老師の卓見
 原点に還ると、氏は、偶(たま)さか、現代中国語講座老師の卓見を取り込みますが、老師/師匠が中国古典専門家で無い以上、それは「一解」です。氏が、例えば、中国古文解読に必要な漢字字書を擁する白川勝師の(宏大な)労作と出会えば、古代中国語語句の智識を学べるはずです。
 氏は、しばしば記事聞きかじりに囚われますが、大事なのは、氏も耳にしているように文脈理解であり、依存手法で墜ちたとき、解釈は地に墜ちます。
 初学者は、見習うときに見習う師匠を選別しないと、「特殊詐欺」紛いの泥沼に引きずり込まれるのです。よくよく味見していただきたいものです。
*「従郡至倭」観照
 氏の理性のきらめきは、「従郡至倭」の四字の解釈に見られます。氏は、以下の記事が、郡を出て倭に至る道程の明快な指示と見通していて脱帽ものですが、いかんせん、「倭」が末羅国と即断して、玉に瑕です。
 末羅国は、単に海津、船馬乗り換えの地に過ぎず、狗邪韓国が波止場であって韓国の王治でないのと同様です。「倭人伝」に、明記されているように郡からの文書使の配達先となり得るのは伊都国であるのを見過ごしてはなりません。伊都国が行程の「要」(かなめ)、「終着駅」であるから、以後の行程は「放射状」が自然です。根拠不明の文法など無用です。

*傍路談議
 伊都国から先の奴、不弥、投馬は傍路と明記されています。女王国と見える「邪馬壹国」は、諸国と無関係な伊都国「垣内」と見て取れます。「城内」と言いたいが、倭人諸国は城壁を持たないので垣の内と見ます。
 女王に対する通達文書、書簡は、伊都国の受領を持って配達済みとされます。女王の手元にいつ着いたかは問われません。返信も伊都国基準と見えます。字面や文法論義に呑まれず、史料事態の解釈を深めるべきと思います。

*筋の見えない書き継ぎ
 氏のネット記事は、細切れに随時公開されたようで、個々の記事は、とかく無理なこじつけと見えましたが、書籍の態を成していると、全体構想が見て取れて大部評価が上がりました。それにしても、全体の見通しが支えていて分断の感じは否めません。書籍の体には段階的構成を深める必要があります。氏は、初学者を惑わせて稼ぐ芸風と見えないので不満が解けません。

*「道里行程論」
 さて、具体的なダメ出しとして当方の専業「道里行程論」批判に入ります。
 先ずは、「倭人伝」前半を成す「道里行程論」です。氏は「魏の少帝曹芳が倭に下賜物を送達した道中記」との俗説の安直な「誤解」を避け、賢明です。
 大事なのは、従って「従郡至倭」の理解であり、氏は的確ですが、それにしては、郡を発した直後、海を行く和風愚行に組みして、まことに残念です。

 記事は、当然、郡から倭への道程の規定であり、半島中央部の小高い土地にある郡から、西に海津に出て船に乗り込む想定は「無法」「無謀」です。

 半島中央部の南下街道が整備されていて、文書使は宿場を重ね狗邪韓国まで進むのが至当です。「無謀」な説は半島西岸経路の論証/文書が不可欠です。同節に追従するには、半島西南部を廻遊して「倭」、即ち「大海」と接する南岸を踏破など「できない」との「当然」の解釈を論拠に基づき論破する必要があります。

                                未完

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