新・私の本棚 番外 大阪府立弥生文化博物館 講演会の味わうべき弥生時代観 再掲
2019/07/06 再掲 2024/04/12
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
今回の題材は、毎日新聞大阪夕刊「夕刊ワイド」面の囲み記事である。
大見出しに 異口同音「邪馬台国は畿内」とあって、何のことかとみたが、話題は、大阪府立弥生文化博物館(以下、弥生博)の館長代替わりの機会に、新旧館長が語り合う講演会が開かれたとの報道であった。
失礼を承知で言うと、弥生博は、在阪であることから、当然、地域文化としての「畿内説」の支持者であり、館長はその「首長」であるから、これまた当然、畿内説支持以外の発言はあり得ないのである。
さらに失礼を覚悟で言うと、古来、報道は、新規性のあるものを報道するのであり、いわば「犬が人をかんだ」のは、ニュースにならないのではなかったか。これほど、見出しの役に立たない見出しも珍しいのではないか。いや、これは、毎日新聞の落ち度であって、両館長及び弥生博には、一分の否もないのである。
いやなことを先に言ったので、後は、真剣に両館長の発言を確認させていただく。
新館長のお話として、弥生時代終末期の三世紀には、「初期国家」と呼べる要素が揃い始める、と大変慎重に言葉を選んでいて、弥生博としては、三世紀は「初期国家」の萌芽期と見ることもできる程度と限定していることがわかる。
前館長(現名誉館長)は、七世紀から八世紀にかけて(堂々たる)古代国家の完成が見られるものの、そこから四,五世紀遡る三世紀は、まだ、国家として随分未熟な時代であり、国家形成の初期段階という確信は持てないのではないかと、これまた限定的な意見が窺える。
両館長の見解表明が、慎重で、無用な断言を避けているのは、史学者としてまことに廉直な姿勢を示したものであり、大いに学ぶべきである。
毎日新聞記者は、ジャーナリストの務めと感じてか、邪馬台国の所在地について見解を求めているが、公式見解しか出てこないのは明らかであるから、毎日新聞記者に似つかわしい、賢い質問とは言えない。これでは、まるで三流ジャーナリスト並である。それにしても、両館長が、リハーサルでもしたのか「声をそろえた」というのは、まことに涙ぐましいものがある。そこまでさせて報道するとは、新聞記者は残酷なものである。
新館長は、纏向遺跡について、慎重に言葉を選んで、弥生博の受け持ちとして弥生時代中期から後期にかけての畿内社会について調査研究していくと述べている。まことに、慎重である。また、記事の末尾で、新館長は、新しい切り口で研究を進めると語られている。府民税納税者としては、頼もしい限りである。
一読者としては、毎日新聞記者が、自身が使命感を持って担いでいる(風化に曝されてレジェンド化しかけている)畿内説を洗い直す/検証する活動を期待したいものである。そうなれば、わくわくするような見出しが期待できるのである。
以上
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