新・私の本棚 邪馬台国の会 第381回講演「邪馬台国」論争 三 3/10
安本 美典 記2019/09/17 追記2020/10/06 2024/05/05
私の見立て ★★★☆☆ 古典的卓見の現状確認
*加筆再掲の弁
最近、Amazon.com由来のロボットが大量に来訪して、当ブログの記事をランダムに読み囓っているので、旧ログの揚げ足を取られないように、折に触れ加筆再掲していることをお断りします。
〇大家の誤字ご託宣
そのあげく、当分野で定番化している「倭人伝」誤記論議が掲示されています。どうも、『ここまで誤記がある以上、「壹」もまた誤記に決まっている』という主張らしいのですが、まことに「うさん臭い」論法で、せっかく御提言いただいても、とてもとても同感できないのです。
そこに、下記二書の誤記論が表形式で対照して引用されています。
①藤堂明保監修『倭国伝』(『中国の古典17』学習研究社昭和60年10月15日刊)
②森浩一編『日本の古代1 倭人の登場』(杉本憲司、森博達(ひろみち)訳注、中央公論社、昭和60年11月10日刊)
1.藤堂氏事例
藤堂氏監修本は、「太平御覧」に所引された魏志である「御覧魏志」 を劈頭に「後漢書」、「梁書」、「北史」、「隋書」の「倭伝」記事を参照して、これらがなべて「臺」を採用している以上、原典である「倭人伝」は、現在原本とされている「壹」でなく、「臺」と書いていたと判断するとしている、とのことです。
藤堂氏は、漢字学における権威者と見かけますが、少なくとも、古代史分野における文献学の権威とは思えず、また、諸史書を羅列したため、個々の史料批判や「御覧魏志」の史料批判が、適切にされていないと見える点で大いに疑問です。
2.森浩一氏事例
森浩一氏は、古代史分野における考古学の権威であり、従って、文献解釈は専門外と見られます。そのため、史料解釈は、杉本、森博達両氏に全面的に委ねたと思われますが、同書の記事を見る限り、というか、掲表の末項、「景初二年遣使」論で見られるように、杉本、森両氏の資料誤読と思われる難点を放置して「編著」としているので、氏の考古学分野での比類無き権威は、両氏に連座して大いに疑わしいものになったと見られます。
何しろ、本書の挿絵は、魏皇帝の玉座の前に平伏する倭使の姿が描かれていて、世上、囂々たる非難を浴びているのです。何しろ、景初二年説、景初三年説のいずれを採用するにしろ、倭使が、魏皇帝(景初三年元日逝去の明帝曹叡、或いは、景初三年元日即位の少帝曹芳)に拝謁したとの記事は存在せず、むしろ、拝謁しなかったと見える上に、明帝の勇姿を描くのか、少帝曹芳の頼りない姿を描くのか、どちらの見解を支持するのか、重大な懸案に対して、議論を尽くすことなく醸し出した、いわば未熟な早計を読者に押しつけているのであり、後生に大きな悔いを残したと見えます。
**森博達氏編著考察 **引用開始
景初は魏の明帝の年号であるが、ここの二年とあるのは景初三年(239)の誤りと考えられる。日本書紀に引く「魏志」と「梁書」諸夷伝の倭の条では景初三年となっている。
当時の政治情勢を見ると景初二年までの50年間、公孫氏が遼東で勢力をもち、一時は独立して燕王と称していたので、倭国の使者は魏に行けなかった。景初二年正月になって魏は公孫淵を攻撃し、八月に至ってようやく勝利を収め、遼東から楽浪・帯方に至る地域が魏の支配下に帰したのである。景初三年に遼東、楽浪などの五郡が平洲として本格的に魏の地となって、始めて倭国の卑弥呼が直接、魏に使者を派遣できるようになった。このような政治情勢からも、この景初二年が三年の誤りであることは自明のことである。
**引用終わり
可能性のある漢数字二と三の誤認を「実態」と「決めつける」と、他の項目と比して字数が多いが故に、一段と記事著者の欠点が露呈していると見えます。
*書紀神功紀/梁書事例
第一の論拠として引用された書紀神功紀の魏志引用は、記事自体に重大な錯誤があることでわかるように、当記事が、もともと、同時代に存在していた魏志(依拠写本)記事の正確な引用であったことは疑わしいと思われます。
また、冷静に見て、現存書紀写本の「三」が、武家政権下で、天皇制の正当化を図る「禁書」扱いで逼塞していたため、長年の「不安定、不規則、つまびらかでない私的な書写継承」が闇とされていた間に、必然的に伝世劣化し、誤写、改竄された可能性は、何としても否定できないと思われます。いや、当ブログ筆者は、国内史書の伝世については、門外漢ですが、誤写疑惑は当分野の定番なので書いてみただけです。
また、後世正史の中で、よりによって、編纂過程に疑問が残る「梁書」記事が採用されているのも、うさんくさいと感じられるのです。「なべて」と、どっこいどっこいです。
未完
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